山恋うる日々のつぶやき 2002年1月のつぶやき

このコーナーはテッちゃんが日々想う山に関する日記を綴ります。
日記という以上、毎日書くつもりですが抜ける日もあるかもしれません。ご容赦下さい。
皆さんの割り込みメッセージも歓迎します。


2002年1月28日 月曜日 午後 6:56:25

今日は恒例の成人病検診があった。
昨日の夜から飲むな、食うな、吸うな、でひもじい思いをしたが今夜は目一杯飲めそうだ。
朝もどうせ食べられないのだからとぎりぎりまで布団の中に。
9時まで寝てしまった。
寝間着のまま検診会場へ。
早くも大勢の人が順番を待っていた。
私は27番目だった。
しかし、流れがスムースでお昼前には検査が終わった。
バリュームの下剤を飲んだため腹部がシクシクしている。
いつ催すか分からないのが欠点でうかつに外に出られない。
先ほどめでたく最後と思われるバリュームが出たのでこれで一息といったところだろうか。
さて、検査の結果がどう出るかお楽しみ。
きっと毎年のようにタバコと酒の影響は避けられないだろうけど…。


2002年1月23日 水曜日 午後 8:53:13

フリーのCGIをダウンロードし、自分用にカスタマイズして使うのだが、どうしても動かないCGIがあった。
サポートMLに問い合わせると「使えないのはサーバーのせいでSendMeil版が出版されるからそれを買ってくれ」みたいな回答だった。
本の付録にCDが付いていてそれをインストールして使うわけだ。
発売の日を待って早速買ってきた。
今度こそは動くぞ! とワクワクしながらカスタマイズ。
ところがどうやっても動かない。
悔しいので友人を呼んでやって貰った。しかし、結果は同じ。
おまけにIEでは表示はするがNNでは記述ががそのまま表示されてしまう始末。
これは使い物にならない。
残念だがこのCGIを使うのは諦めた。
先日、ふとこのサイトのMLを見た。
CGIの作者が「卒倒しそうだ!」と書き込みがあった。
どうやら出版社がCDを焼く際、改行コードを間違えたらしい。
100本ものCGIがあるというふれこみの本だった。
それが全て使い物にならない代物だったのだ。
出版社のHPから修正版がDLできるようになっていた。
いったんは諦めたCGIだがまたやってみようと欲がわいてきた。
早速、件のCGIをDL。
エディタで開いてみると! 素人目に見てもどこか違うと分かる記述の羅列。
案の定、動くわけがない。
そこでCD全体をDLするサイトで試みてみた。
その中から選んで使うわけだ。
そうしたらなんと! いままでの悪戦苦闘は何だったんだ! というほどあっけなく動いた。
友人に聞くと「ミスが多すぎるのであの出版社のPC関係の本は買うのをやめている」とのことだった。
フリーといえども使えないものを配布する無神経さに怒りを覚えたが、結果的に使わせて頂いたのでこれでおあいこかな? とも思う。


2002年1月18日 金曜日 午後 11:14:20

先週の土曜日だったか、何気なく新聞の折り込み広告を見ていたら三菱のディーラーで「パジェロio」の新車が目にとまった。
以前から気になっていた車なので一目見てみようとディーラーに電話をした。
「パジェロioは展示していますか?」
「パジェロioはありません」
ないものを広告出すな! と少々意地になってしまった。
ないと分かると見たさが増す。
早速ネットで探しまくっているうちにいつしか新車ではなく中古を探しはじめていた。
「色、シルバー。ioであること。年式は1,2年落ち。走行距離が比較的短いもの。ナビをはじめフル装備であること。そして価格は安く」など我が儘な条件を入力してみた。
すると、神奈川県川崎区内で2台が見つかった。
そうなるとすぐにでも見ないと気が済まないのが悪い癖。
電話をして在庫があることを確認し、車を飛ばした。
こういうとき、仕事のことが全く頭にないのも困ったものだ。
三菱の看板を見つけて入っていくとぴかぴかのパジェロioが展示してあるではないか!
「この車はこれですか?」HPでプリントした写真を営業マンに見せた。
「ここは新車の営業所です。中古の展示場はあっちですよ」と道路の向かい側を指さして言った。
営業マンは袖を引っ張るように「中古に負けないくらい価格サービスしますから」と室内に通された。
「お見積もりをしましょう。すぐ出ますから…」といってコーヒーを出された。
見積もりを貰って「せっかくだからあっちの中古の方も顔を出しておくわ」と断って向かいの中古車展示場へ。
確かにネットで見た車はあったがナビも付いていないし、「商談中」の札が掛かっていた。
もう一台は麻生区にあった。
時間も遅くなったしこのまま帰ろうかととも思ったがここまで来たのだからと30分先へ足をのばした。
そこには夕闇迫る頃到着。
営業マンの案内で車を見せて貰う。
これが探していた条件にぴったり。ピカピカ、傷なし、フル装備、おまけに細かいオプションまで付いている。
「お見積もりを…」
ここでコーヒーが出なかったのは新車と中古車の違いだろうか。
2枚の見積もりを持ってこの日は引き上げた。
家に帰ると留守電が入っていた。
「三菱の○○ですが、今日は有り難うございました。良いご返事をお待ちしています…」


2002年1月9日 水曜日 午後 6:19:08

正月の休みなどあっという間に終わってしまう。
仕事も生活も何となくせわしい日常が戻ってきた。
それにしてもこれほど正月らしくない正月も初めてだ。
師走の慌ただしさもなく、正月のどこかウキウキした新鮮さもない。
相次ぐ暗いニュースや失業者の増加、不景気による将来への不安。
そういったものが重なってとてもめでたいなんていえる状況ではないのだ。
だから「おめでとう!」と挨拶をしている人の少ないこと。
心からめでたいといえる世の中が早くやってくることを祈るばかりだ。


2002年1月8日 火曜日 午後 7:59:30

足の親指に出来たタコがやっととれた。
痛さに耐えきれなくなって皮膚科に駆けつけたのは99年7月のことだった。
(トップページの「HP内検索エンジン」で「タコ」と検索するとタコの歴史?が出ます(^^ゞ)
医者の薬や絆創膏では思うようにいかず、買い薬やタコ取りグッズを試してみた。
二日か三日おきに薬と絆創膏を取り替え電池式のグラインダーで削る。
思えばタコとの戦いを2年半余続けていたことになる。
はじめはこんなもの2,3日で取れるんだとタカをくくっていたが人に聞くと何年もかかるのだと聞かされた。
それじゃ、と長期戦に出て根気よく手入れをしていった。
その成果が1ヶ月前に出たのだ。
これでいいだろうとその日から薬と絆創膏をやめた。
親指の底は平らになって痛くも痒くもなくなった。
これからは少しでも堅くなるようなことがあったら放置せず早期治療を心がけなくてはならないと思っている。
タコよ、さらば! の2001年末であった。


2002年1月5日 土曜日 午後 7:22:54

大げさだが自分の人生を振り返ってみると常に「趣味」と生きてきたような気がする。
小学校から中学校にかけて切手を収集するのが好きだった。
当時なぜそんなに古い切手が集まったのか不思議だが専用の収集ブックに沢山挟んであった。
切手は手垢が付かないように丁寧にピンセットで抜き差しする。
同じように古銭にも興味を持ち、当時としては結構集めたように思う。
子供の頃から映画も好きだった。
ひとりで近所の映画館によく出掛け、見終わると感想をノートに書き映画評論の切り抜きを一緒に貼り付けたものだ。
平行して探偵小説を読みふけった時でもあった。江戸川乱歩が多かった。
探偵小説が長じるにつれて推理小説になり松本清張の作品はほとんど読んだだろうか。
カメラに凝ったこともあった。
高校に入ると今度はバンドに夢中になった。
青春デンデケデケデケならぬハワイアンだった。
スチールギター、ベース、ウクレレ、ボーカル、私はサイドギターを担当した。
毎年、文化祭ではトリをとって会場の体育館を満員にしたものだった。
当時の仲間のひとりはセミプロになって今でもハワイアンの世界で活躍している。
もうひとりはクラブ歌手になってピアノの弾き語りでネオン街で生息している。
私はといえば芸能界で歌手のバックバンドを担当していたギター弾きのバンドボーイになってテレビ局のスタジオ回りをやった。
それもいつの間にか遠のいて車の免許を取った。
今度はラリーに凝り出した。
ドライバーとナビゲーターのコンビで真夜中行き先も分からない山岳コースをひた走る。
車には泥よけを付けゼッケンを張り、車高を上げてツーアンドヒールで尻を振ってヘアピンカーブを曲がる。
ひとりは崖から落ち、車は大破。大けがをして入院。
もうひとりは無傷だったものの車を深い谷に落とした。
家族や世間から猛烈な批判の声が挙がり、だんだんと参加者が減りいつしか消滅した。
思い出すときりがないほど色々なことをやってきた。
しかし、ひとつだけ言えることは「何をやっても中途半端」、モノになったものはひとつもない、ということ。
常に趣味と生きていくのは良いことだと思う。生き甲斐にもなるし、活力になる。
だから登山だけはモノになるとかならない、とかではなく身体の動く限り続けていきたいものだと思っている。
しかし、こんな過去をツラツラ書くようじゃ、こりゃ歳のせいかな?


2002年1月3日 木曜日 午後 6:54:09

2002年の登山初めは丹沢「鍋割山」だった。
「鍋割山荘」は大晦日は混雑するのでそれを避けて元旦に予約を入れた。
予約を入れたのは12月の下旬だったと思う。
その時電話に出たのは声の様子から草野さんの奥さんらしき方だったが、予約状況を聞いてみた。
「元旦の予約はあなたが始めてです」とのこと。
毎年の例ではこの時期にはほぼ定員いっぱいの予約が入るらしいのだが今年は少ないという。
大晦日の予約も去年の半分しか入っていないとのことだった。
その代わり、12月の忘年山行なのか、連休や週末はめちゃくちゃ混んだそうだ。

そんなことがあって、元旦、大倉に車を停めて二俣経由で鍋割山を目指す。
後沢乗越の尾根に出ると天気はいいのだが凄い強風。それも冷たいこと!
やがて見覚えのある山荘に到着。
宿帳に記帳すると草野さんが泊まりの説明をしてくれた。
「夕食は5時半。このテーブルで」
「靴はあそこの靴箱に入れサンダルを使ってください」
「寝床は2階に、ザックも2階に上げて結構です」
「今日は空いているから好きなところに寝ていいですよ」
「それと、山荘内は禁煙! 寝煙草はもってのほか」
「たばこを吸いたかったら外で吸ってください」
夕食のテーブルも靴箱も2階の寝床も始めてではないから知っていた。
しかし、山荘内が全面的に禁煙になったのは知らなかった。
去年の元旦、木の又からここへ寄ったときは灰皿がいっぱい置いてあった。
鍋焼きうどんを食べたあと美味しい一服をしたものだった。
夕食あと、小屋の外へたばこを吸いに出た。
3,4人の登山者が暗がりでたばこを吸っていた。
氷点下の強風が吹く中、防寒着を着てふるえながら口から紫煙を出している。
「寒いですなぁ」
「いつから禁煙になったんですか?」
「さぁ、この間来たときはそうじゃなかったんだが…」
「小屋の中でイッパイ飲みながら吸うたばこが美味いんですがねぇ」
「喫煙者と嫌煙家との間で何かトラブルでもあったんでしょうか」
「さぁ、ねぇ。これじゃ、来年は考えなくっちゃいけないなぁ…」
そんな会話が聞こえていた。
ますます、肩身の狭くなるスモーカー。
嫌われる愛煙家は山小屋からも追放されちゃうのだろうか。

 鍋割山からの夕日 2002年元旦 

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