このコーナーはテッちゃんが日々想う山に関する日記を綴ります。
日記という以上、毎日書くつもりですが抜ける日もあるかもしれません。ご容赦下さい。
皆さんの割り込みメッセージも歓迎します。
2001年12月30日 日曜日 午後 2:23:30
とうとうあと一日で今年も終わり…。
昨日、本年最後の忘年会があった。
「カンガルー山の会」の忘年会だった。
立川のひとつ手前、西国立駅前の居酒屋「こまくさ」で行われた。
ここはカンガルー山の会の拠点になっていて山好きが大勢集まってくる。
店内の壁には仲間が写した山や野鳥や野生動物の写真が飾ってあったり、イラストもある。
それらはみんなプロ並みの腕前だ。
カウンターには山の雑誌が所狭しと並んでいる。
一見のお客さんも店内に一歩踏み入れればこの店はフツーの店とは違うな、と認識するだろう。
この日は貸し切りで狭い店内は20人ほどの男女でいっぱいになった。
宴会と言えばカラオケが当たり前の昨今だがここにはそういったものはない。
マスターの橋本さんがシンガーソングライターで山に関する作品が何曲もある。
橋本さんの弾き語りに会わせて唄うもの踊り出すもの、大変な盛り上がりようだった。
こうしてギター一本で合唱し、手拍子を叩く、この雰囲気がまたいいのだ。
したたか飲んで電車に乗った。
かろうじて自宅に帰ったがもうベロベロ(@_@)
こうして今年も山と山仲間と楽しく過ごせた1年だった。
総じてこの一年は私にとって充実した一年であったと思う(注・財布の中身は除く)。
来年も元気で山を登ろう!
2001年12月28日 金曜日 午後 1:45:37
先日、風さんのブレーンの忘年会があり、参加させて頂いた。
15人が集合して美味しい料理とうまい酒がふんだんに出て大盛況の忘年会であった。
いつも思うのだがこのグループはプロ集団だということ。
この日お会いした代表的な「有名人」をご紹介してみる。
既にご存じのトラベルライター津波克明さん。
【南アルプスを登る】2001年6月、昭文社の「どこでもアウトドアシリーズ」の一冊として刊行された。
【日本200名山を登る】上・下巻も昭文社から発刊されている。
そのほか、私たちが使っている「エアリアマップ」の東日本方面はほとんど彼が調査執筆している。
この度、読売・日本テレビ文化センター新宿主催の講座「多摩を歩く」の講師を務める。
月1度、1年かけて多摩を歩くそうだ。
写真家中野耕志さん。
東京農業大学林学科卒業・東京農大野生動物研究会OB。
鉄道写真に始まり、現在は野鳥・自然風景・飛行機・二輪レースなど幅広いジャンルの写真を撮影。
大学在学中よりプロ写真家として活動を開始し、主に野生生物や自然風景の作品を各種雑誌・カレンダーなどに発表。
趣味はモトクロスで愛車はKX250。
代表作に、写真集「谷津田小宇宙」がある。
また、2002年キャノンカレンダーに採用され、全国6都市で行われたキヤノンサロンでの写真展が終わり、中野耕志写真展「谷津田」が千葉・幕張で行われている。
ストーブ屋さんこと児玉新時さん。
オーダーメイドの薪ストーブを造り続ける「ストーブ工房 三林舎」。
工房は北アルプスを望む山の上にある。
ご本人は雑誌やテレビにしばしば登場している。
最近では12/15、NHK BS2 午前8時30分「ザ・プロフェッショナル」で放映された。
他にも報道カメラマン、パソコンならなんでもござれの名人、プロ並みの書道家など個性豊かな人材が大勢集まっていた。
普段、なかなかそういった方々とお目にかかる機会はないのだが、いきなり酒の席で旧知の間柄のように気軽に話が出来るというのもネットの偉大な力なんだなぁ、とつくづく思う。
2001年12月25日 火曜日 午後 1:46:11
以前、ある女優にアナウンサーがインタビューしていた。
年齢を重ねても変わらぬスタイルと魅力的なプロモーションを保っている女優はそのコツについて語った。
適度な運動や食べ物に気を遣っていると断ったあと、
「変な言い方ですけど、裸で立ったまま下を見て自分のヘアーが見えることを心がけています」と言った。
この言葉を最近思い出し、風呂に入ったとき直立して下を覗いてみた。
ありゃりゃ、充分に出っ張った腹がじゃまをしてヘアーどころかあるはずのイチモツも見えない。
見えるのは風呂場の床だけだ。
更に首を曲げてのぞき込んでやっとのこと足の親指が見える程度。
では、どこまで腹をへこますことが出来るのか、それに挑戦したのがおよそ1ヶ月ほど前だった。
通販で買ったままタンスの肥やしになっていた腹筋運動用の器具があった。
頭を載せハンドルで頭を持ち上げて腹筋運動が出来るようになっている。
これだと頭の後ろに手を組んでやるよりも楽なのだ。
初めは10回もやると腹が痛くなって耐えられなくなったが、今では60回程度まで出来るようになった。
しかし、肝心の腹はいっこうにへこまない。
この調子じゃ件の女優のようにヘアーが見えるほど腹をへこますのは至難の業。
歳をとって寝たきりになって骨と皮だけになってやせ細る。
その時始めて己のヘアーを見ることになるのではないだろうか。
2001年12月21日 金曜日 午後 5:49:00
低山山歩の引っ越しがやっと終わった。
引っ越し作業中はあれやこれやと試行錯誤の連続で楽しみでもあり辛くもあった。
しかし、終わってみるとなんのことはない、ただサーバーを変更しただけでひとり騒いでいたようにも思える。
「梅屋敷探検隊」の片隅に付録としてくっついていた「低山山歩」がniftyで独立したのは99年7月のことだった。
やっぱり趣味というか同好の世界は盛り上がりが違う。
アクセス数がいつの間にか梅屋敷探検隊を追い越してしまった。
これもひとえに拙HPを支えてくれている方々の影の力なのだ。感謝、感謝。m(_
_)m<(_ _)>m(_ _)m<(_ _)>
毎週休みの日になると用事が出来て今月は一度も山へ行けなかった。
忘年会、年賀状の宛名書き、パソコンの不調、サイトの引っ越し。
追われているうちに師走もこれだけ押し詰まってしまった。
明年の新年初登山を楽しみに静かに年が暮れるのを待つことにしよう。
2001年12月18日 火曜日 午後 4:35:45
鹿児島へ忘年旅行に行ってきた。
何をこの時期に、と思ったが九州はまだ未知の地なので興味もあったし、参加費が安かったのも行く気になった最大の原因だ。
早朝の羽田空港は人で大混雑。
不況はどこへ行ったのだろうと思わせる人、人、人だった。
満席の飛行機は一路鹿児島空港へ定刻通り着陸した。
真っ先に立ち寄ったのはなんと焼酎の製造工場だった。
我々の団体の性向を先読みしていたようだった。
まもなくバスは指宿へ向かう。
前方に富士山によく似た山が見えてきた。
薩摩冨士と言われている「開聞岳」だ。手前に池田湖を控えてなかなか立派な山に見えた。
池田湖は開聞岳の噴火で出来た湖だそうで一頃「イッシー」騒ぎで話題になった湖だったのだ。
夕刻前には宿泊予定地指宿温泉「白水館」に到着。
早速有名な「砂蒸し風呂」に入る。
暖かい砂の上に横になり、男の人が砂をかけてくれる。
これが結構重さを感じる。
雪崩に埋まったときはこういう感じになるのかと妙に感心してしまった。
砂の中に首だけ出して埋まっているのだが結構熱い。
15分から20分と言われているが私は15分がやっとだった。
浴衣からはみ出した腕などは赤くなってしまっていた。
これで〆て1050円。もちろん会が負担してくれた。
砂に埋まっているときにおばさんが「記念の写真をどうですか?」などと声をかけた。
一枚1050円だそうだ。観光料金丸出しで、もちろんお断りした。
それにしてもここはその昔、新婚旅行のメッカだったそうでその訳が分かるような気がした。
敷地面積5万坪、立派な庭園、素晴らしいお風呂、など個人ではとても泊まれそうもない高級旅館なのだ。
師走も押し迫った時期に思い切って参加してみたよかったと思う。
いい思い出ができた鹿児島観光旅行であった。
2001年12月14日 金曜日 午後 6:28:14
新しいサイトへの引っ越し準備が急ピッチで進んでいる。
気に入ったCGIをアップしようとするとうまく動かなかったり、エラーが出たり試行錯誤の連続だった。
トップ頁も納得がいくまでいじくり回してまぁ、これでいいや! といつものように妥協の産物が生まれる。
来週を目標に何とかせねばと寝不足をものともせず、酒を飲みながら進行中だ。
酒といえば師走とあって飲む機会が猛烈に増えた。
梅屋敷でのオフ会&忘年会が終わったと思ったら今度の日曜日には九州へ忘年旅行が控えている。
業界の指宿温泉での一泊旅行だ。
普段ならお断りするところだが今まで九州というところに行ったことがない。
この機会に、と思い参加することにした。
さ〜て、またまた品のいい紳士淑女の集団とご一緒することになったが果たしてどんな結末が…(^^ゞ
2001年12月12日 水曜日 午後 3:32:26
久しぶりにオフ会兼忘年会を梅屋敷で開催した。
思いもかけず20人もの山好きが集まってくれた。
詳細はオフ会レポートを編集中なので完成次第アップしたいと思っている。
取り急ぎ集合写真をご紹介しましょう。
皆さん、お疲れさまでした!
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梅屋敷駅前 洋風居酒屋「八百八町」にて |
2001年12月8日 土曜日 午前 10:46:39
う〜さぶ。もう完璧な冬だ。
元々何にもない人、財産家に生まれた人、どういった差でそうなるのかは分からない。
駅前の一等地に親から相続した土地とビルを持っている人がいる。
その家の若旦那は仕事をしていない。
家賃の上がりで喰えるから仕事をする必要がないのだろう。
どこへ行くのかデカ四駆で出ていったり、時折家の周りを掃除したり、趣味の鳥を日向ぼっこさせたり、はたで見ている限り何の苦労もなく毎日気ままな生活を送っている。
その姿を見るたびに「羨ましいなぁ」と思う。
ああいう生活を一生に一度で良いからしてみたい。
私はいつしかその若旦那を「師匠」と心の中で呼ぶようになった。
「師匠」は今日も奥さんとどこかへ出かけていった。
「師匠! 私を弟子にしてください」と若旦那を後ろから追いかけて懇願しそうな私があった。
師匠は私のような金のかかる弟子などいらないのだろうなぁ。
2001年12月3日 月曜日 午後 4:08:01
友人にどうも言うことを聞かない私のPCについて相談をした。
「いっそのこと買い換えちゃおうか」と私。
「最近入れ替えたハードディスクなどがもったいないですね」と彼。
そこでパッケージ、マザーボード、CPUを思い切って入れ替える。
ハードディスクなど使えるものはそのまま使う、ということで試してみることになった。
早速、ヨドバシカメラへ。
日曜日の店内は人でごった返していた。
目的のものを買って引き返す。
午後6時、作業開始。
組み立てをみているとこれが面白い。
これくらいなら私にもできそうだ。
「組み立てそのものは簡単です。セッティングが厄介なんですよ」
確かにその通り、組み立てが終わって設定にかかるとなかなかうまくいかない部分がでてきているようだ。
私はそばでたばこを吸いながらみているだけだから「ふ〜ん、そういうものか」位にしか思わない。
ようやく作業が終わったのは日付が変わった12時半。
時間がかかった甲斐があり、立ち上がりが早いし、快適に動くようになった。
体感的には4倍程の早さだろうか。
なるほど、パソコンってこうやって組み立てるものなんだ。
妙に感心した次第であった。
パソコンの組み立て風景
2001年12月1日 土曜日 午後 8:43:03
業界の仲間からメールが来た。
ある業者のPCにウイルスが侵入し、それに気が付かないままメールの送受信をしていた。
そのことに対する注意を喚起する内容だった。
ソフトのリアルタイム検索を切っていたので念のため各ドライブの検索を行った。
驚いたことに昨日だけで10個のウイルスが検出された。
『WORM BADTRANS』という名のウイルスで、メールボックスの中のアドレス帳に登録されているすべてのメールアドレスの所へ、同じウィルスが自動的にメールで送られてしまうものだそうだ。
タイトルは「RE」のみのいかにもいかがわしいメールだった。
私は開く前に全て削除していたので感染は免れたが他の同業者のファイルは完全に壊れてしまったらしい。
教えてくれた仲間は感染を知らずにいた同業者に対してウイルスソフトを入れるように厳重に忠告したそうだ。
ウイルスなんて人ごとのように思っていたがこれほど身近に迫っているとは思いもよらなかった。
全く油断も隙もありゃしない。
ところで私のパソコン「組み立て直し」と決まった。
OSの再インストールも含めて(^^ゞ