2002年12月30日 月曜日 午後 2:26:43
25,26,28日と連続の忘年会を終え、すっかりナマった身体に気がつくと今年も残りあと一日。
越年山行をどうしようかと迷っていたが今年は丹沢表尾根の木の又小屋にお邪魔することになった。
年賀状はおととい出したし、ザッと大(小)掃除も終わった。
世話になったパソコンも丁寧に拭き拭きして磨きがかかった。
これで1年の垢を落とし終わった。
あとは明日の山支度。
2003年元朝のお天気は如何なものなのだろうか…。
2002年12月23日 月曜日 午前 11:34:06
土曜日に仕事をサボって映画を観に行った。
是非観たかった「K−19」という映画だ。
前売り券なのでケット売り場を素通りし、館内に直行した。
もぎり嬢が私を引き留め「チケット売り場で指定券に交換してください」という。
今日は3連休の初日で「ハリーポッター」「ピーターパン」など子供向きの映画も上映していてチケット売り場は大混雑だった。
仕方なく行列の最後尾に並んだ。
私の番が来る寸前に「K−19・満席」の赤い表示が点灯した。
「席はもうないの?」と聞くと、窓口のお姉さんは暫く何かを調べて、
「最前列でいいですか?」といった。
ちょっと迷ったが出直すにも面倒だし次の回まで待つ時間もない。
最前列真ん中の指定券をもらい館内に入った。
指定された席に座って後悔した。
小さなシアターなので席と画面が2mと離れていない。
画面全体が視界に収まらないのだ。
まるでガリバー王国に迷い込んだ蟻になった自分を実感した。
字幕は左から右へ首をスクロールしないと読めない。
動きの早いシーンなどは黒光りした潜水艦の腹しか見えない。
ハリソンフォードのほりの深さや毛穴ばかりが気になる。
座席に寝転がるように体勢を変えてきたが横になればいいというものではない。
この時ほど魚眼が欲しいと思ったときはなかった。
なんだか訳の分からないうちに146分の映画は終わった。
映画館を出ると私の眼球は完全に真っ平らになっていた。
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2002年12月20日 金曜日 午後 7:15:48
年内の山行は絶望的になった。
来週の休みも仕事になりそうなのだ。
それに天気も思わしくない。
頼みとなるのは大晦日から元旦にかけて恒例の小屋泊まりの計画がある。
有力候補は丹沢表尾根の某小屋。
12月とはいえ1ヶ月間に一度も山へ行けなかったのは今回が初めてじゃないだろうか。
2002年12月15日 日曜日 午後 6:57:53
考えてみたら今年も残すところ半月になってしまった。
やらなくてはならないことはいっぱいあるのにまだ何も手を付けていない。
1年分のアドレス帳の整理、年賀状の画像作り、パソコンのお掃除、年越し山行の計画、等々…。
長引く不況のせいか世間は年々師走らしくなくなるしお正月と言ってもそう大騒ぎしなくなった。
そうはいっても年の変わり目は一つの”けじめ”を付ける唯一のきっかけだ。
だけど年頭の目標を立て心新たに出発! なんて志を立てていたのはいつの頃だったか…。
いまじゃなんの”けじめ”もつかずただ流されるだけ。
来年こそは何か目標を立てねば、と思う今日この頃なのだ。
2002年12月14日 土曜日 午前 11:19:43
「お店のおばあちゃんがあなたに来てくれと言ってます」
見たことのないおばさんが突然入ってきて言った。
いったい何のことかと思いつつおばさんについていった。
近所におばあちゃんと娘の二人暮らしで小さな商店を営んでいるお店がある。
私を呼びに来たおばさんの話だと買い物にそのお店に入ったが奥からか細い声がする。
店の奥を覗くとおばあちゃんが炬燵のそばで倒れている。
そして私を呼んでくれと言ったのだそうだ。
座敷に上がるとうつぶせになったまま唸っていた。
「どうしたの?」と聴くとお客さんが来たので出ようと思ったが動けなくなったと言う。
お客のおばさんと二人で仰向けにし、後から羽交い締めのように抱えて座椅子に戻した。
ちょうどそこにおばあちゃんの娘が帰ってきた。
「あらぁ、すみません」と恐縮していた。
おばあちゃんの歳は90歳半ば。娘さんも60近いのではないか。
おばあちゃんは病気をしてから体の自由が利かなくなり歩くものままならなくなった。
このおばあちゃん、体格はいいし、体重の重いこと!
不用意に持ち上げると自分の腰を痛めてしまう。
これじゃやせぎすの娘さん一人じゃどうにもならない。
娘さんの話では何かあるとあの人(私のこと)を呼んでくれ、というらしい。
そんなことは悪いからできないとなだめていたそうだ。
何かあったら呼んでくれればお手伝いするよ、と言っておいた。
それから一日1回は呼ばれるようになった。
「悪いわねぇ、ちょっと来てくれる?」と娘さんが呼びに来る。
横向きに寝たまま動けなくなっていたり、炬燵から隣の部屋の座椅子まで運ぶこともあった。
とんだきっかけで老人介護の一端を経験させてもらった。
うつぶせになっている場合の起こし方。運び方などを実践で覚えた。
それにしても動けないお年寄りを抱えている家庭の苦労を目の当たりにし、いかに大変なことかと実感した”事件”であった。
2002年12月11日 水曜日 午後 5:37:16
当時、私の朝飯は喫茶店のモーニングサービスと決まっていた。
トースト、目玉焼き、野菜サラダそれにブレンドコーヒーのセットを楽しむ。
琥珀色の液体から立ち上るコーヒーの香りは幸せな気分にしてくれる。
マーガリンをひいたトーストの上に目玉焼きを乗せ更に生野菜をのせもう一枚のトーストで挟む。
これは自分が編み出したオリジナルな食べ方なのだ。
その日もいつものように朝刊を傍らにトーストサンドを口に持っていった。
一口食べたとき何かがポトリとテーブルに落ちた。
生野菜の欠片か目玉焼きの白身かも知れない。
目線を落ちた物体に移した。
落ちた物体は半透明の白色をしている。
やはり卵の白身か…。
ところがこの白身がちょっと動いたような気がした。
目を凝らすとやはり僅かながら動いている。
白身の欠片は動くたびに大きさが変化する。
テーブルの上を軌跡を描いて少〜しずつ前進をはじめた。
それがナメクジだと気が付くのにどのくらい時間がかかっただろうか。
ナメクジは私に向かってニコッと笑った。(…ような気がした)
私はバネのように跳ね上がり意味もなく炭坑節を踊りたくなった。
掘ってェ、掘ってェ、また掘ってェ、担いで、担いでヨヨイノヨイ!!
しかし、踊ったかどうかは定かでない。
小さな声でお姉さんを呼んだ。
「こ、これ」
さすが百戦錬磨のお姉さん、いっこうに動じることなく白身のナメクジをサラダボールにひょいと入れて立ち去った。
調理場のお兄さんはちらっとこちらに視線をやると無言で新しい生野菜をお姉さんに渡した。
お姉さんはこれまた無言でテーブルに置いた。
私は反省した。
上品に小さな口でトーストサンドを口にしたから白身のナメクジが落ちたんだ。
もっと大口をあいて口に入れてしまえばなんと今日の卵はなんと弾力のある卵だろう、くらいの感じで終わっただろう。
踊りだってそうだ。
炭坑節ではなくドジョウすくいにしておけばよかった。
後悔に涙を流しながら残りのトーストを食べきり、琥珀色の液体を流し込んでレジに向かった。
お姉さんはチ〜〜〜ンとレジを開け480円也を引き出しに放り込んだ。
10年以上も前の出来事だった。
そのお店はいまでも繁盛しているがそれ以来私は足を運んでいない。
2002年12月7日 土曜日 午後 4:58:23
今年も「月の砂漠」の季節がやってきた。
月の砂漠は夕方から夜にかけてやってくる。
ポリタンを持って表へ出ると既に数人のお母さん達がポリタンを一個、二個と運んでいた。
はじめて月の砂漠を聴いたのは2000年だったからもう2年が経つのだ。
一方、「こんにちは赤ちゃん」の車が見あたらなくなった。
後発の月の砂漠に押されて撤退したかあるいは、主に日曜日の昼間が多かったので時間帯の棲み分けが出来上がったのかも知れない。
石油や氷など燃料屋やさんが少なくなっている昨今、巡回型石油販売は助かる。
それに燃料屋さんに運んでもらうより少々価格も安いようだ。
気になるのは最近新しいメロディーを奏でながら石油販売をしている業者を見かける。
メロディーは聴いたことがない曲なのであまり印象に残らない。
アイデア商売が一つ当たると次々と真似をする商売があらわれる。
毎年寒くなるとはじまる”石油戦争”は風の冷たさとは裏腹に加熱する一方のようだ。
2002年12月3日 火曜日 午後 2:05:32
早いものでもう12月になってしまった。
今年は特に日が経つのが早い気がする。
この時期、夜の会合が忙しくなる。
殆ど毎日のように何らかの寄り合いがある。
今日も夕方から会合だ。
時間が中途半端だから仕事が休みの日でも山へ行けない。
今週も来週も出かけられない。
そういえば毎年12月に山へ行っても人と会わないときが多い。
近場の低山ではいつもなら一組や二組にはあうのだが12月となるとまず人に会わない。
当然といえば当然で、師走となればみんな忙しいのだ。
今月も後半になれば近くの山へ行けるかも知れない。
1ヶ月全く山へ行けずに年を越すのも心残りだから。