2003年1月31日 金曜日 午後 6:11:42
知人が読売新聞の相模版をもってきてくれた。
それには「大人気!5日間で在庫完売 北丹沢ガイド」という記事が載っていた。
「北丹沢山岳センター」が登山案内書「北丹沢ガイドブック」を出版した。
これが新聞で紹介されてからセンターにある1千部の在庫が1週間足らずでなくなったそうだ。
増刷して注文をこなしているようでその様子が紹介されていた。
早速、同センターにその場で電話、注文した。
郵送で送ってくれるとのことで発送まで暫く時間がかかるとのことだった。
ガイドブックはセンターの人たちが開拓した7コースを含む計26の登山コースを紹介している。
3千部の初版はすでに売り切れ、急遽3千部を増刷中だそうだ。
丹沢は南部に入山者が集中し、北側はあまり歩かれない。
その辺が人気を呼んだのかも知れない、と記事にはあった。
さて、どんなコースが紹介されているのだろうかガイドブックの到着が待ち遠しい。
問い合わせ先
北丹沢山岳センター(藤野町小淵) 電話0426−87−4011
「北丹沢ガイドブック」 頒価1500円
2003年1月29日 水曜日 午後 8:04:39
昨年の暮れ「ETC(自動料金収受システム)」車載器を設置した。
高速道路の料金所をノンストップで通過できるやつだ。
カーショップに行くとETC導入のメリットとして料金所をノンストップで渋滞知らず、などのうたい文句の最後に「優越感を味わえる」と言うのがあった。
このフレーズには笑ってしまったが初めて試したのが丹沢に行ったときの東名高速東京インターから秦野中井まで。
ところが行きはまったく渋滞がなく料金所もガラガラ。
ETCの特徴を発揮する場がなかった。
帰りの東京料金所は凄い渋滞でETC専用レーンに入るのに一苦労。
やっと通過したと思ったら料金所を出てすぐに渋滞。
これじゃETCも泣いちゃう。
しかし、やはり優れもののETC、昨日はその成果をいかんなく発揮した。
料金を払っている車の列をしり目に専用レーンをノンストップで通過する。
なんと快感。
うひょ〜〜! と思わず声を上げたくなった。
羽田IC〜横横道路〜三浦ICを走ったが料金を払う時間が節約され往復で30分は時間の節約ができたろう。
サービス面や導入にかかる面倒さなどいろいろ問題を抱えているETC。
5万円の前払いで58000円分使えたり時間の短縮がはかれたり、よい面も見逃せないが今の所最大のメリットは例のうたい文句「優越感」が勝っているように思える。
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←ETC車載器。 下から2番目に安いヤツ(^^ゞ |
2003年1月27日 月曜日 午後 8:01:59
なだらかな丘を緩やかに下っていくと急に展望が開け、その先には海が見える。
三脚を立ててデジタルビデオをセットした。
妻が先に下りていたのでカメラをそのままに後を追った。
海岸の先には広大な海が広がって金波銀波が光っている。
振り返ると自分が立てた三脚が遠目に見える。
丘を登ってカメラのあったところへ戻ると、立てはずの三脚もろともカメラがなくなっていた。
脇に置いたカメラバックも姿を消している。
急に場面が変わって学校の校舎みたいな建物の中に自分がいる。
階段の踊り場は人がせわしそうに行き交っている。
それらは近所のおとーさん、おばさんだったり友人だったりした。
昔の彼女(^^ゞとおぼしき姿もあった。
しかし、すれ違ってもみな無言だった。
そこに顔見知りのお兄さんが通りかかった。
その男は見覚えのある三脚とカメラを手に持っているではないか。
「そのカメラはどこから手に入れた!」
詰問すると男は無言で顔を背けた。
逃げようとする男を捕まえ、
「そのカメラは俺のものだ。しかし、君の立場からすると拾ったものだと主張するだろう」
男は頷いた。
「それじゃこうしよう。拾ったものなら多少のお礼をしよう。交番に行ってお巡りさんに間に入ってもらい話を着けよう」
男は納得がいかない様子で沈黙を保っている。
よほどこのカメラが気に入ったのだろうかカメラバックを胸に抱えたままだ。
「さぁ、交番に行こう!」
ここで目が覚めた。
夢は毎日見ているようだが記憶に残ることは少ない。
今朝の夢は鮮明に覚えていたので忘れないうちに書き留めている。
あのカメラ、結局どうなったのだろう。
2003年1月26日 日曜日 午後 8:07:05
知り合いの議員が急逝した。
56歳だった。
仕事熱心で誠実な人柄の人だった。
一緒に旅行などに行った身近な仲でもあった。
一週間前に元気な姿で会ったばかりだったのでにわかには信じられず、あちこちに確認した有様。
どうやら高円宮殿下と同じ原因だったようだ。
また漫画雑誌の編集長が44歳で急死したとの新聞記事が載っていた。
どうして働き盛りの年代がこうもあっけなくこの世を去ってしまうのだろう。
残念きわまりない。
50過ぎたら云々も身近に感じられる。
元気なうちにせいぜい山を歩いておこう。
明日はお通夜だ。
2003年1月23日 木曜日 午後 5:18:10
生活習慣病(成人病)検診が昨日終わった。
検査の前日はいつものように午後10時以降何も喰うな、飲むな、で苦しい思いをする。
だから前夜は目一杯飲んで食べて9時55分にピタリとやめる。
当日はもちろん朝からタバコはおろか水も飲めない。
お腹は背中にくっつきそう。
この時ばかりは出っ張った腹が気持ちいいほど引っ込んでいた。
やることもないので11時に来いというのに8時半に検査会場に着いてしまった。
検査が終わったら美味いものを食うぞ! と決意していたが検査の最後が胃のレントゲン撮影。
胃を膨らます顆粒状のものを飲まされた上、バリュームという白いセメントのようなものを飲む。
もうこれで腹はパンパン。
更に検査台の上でグルグル回ったり反っくり返ったりひっくり返ったり。
とどめは下剤をもらって「はいご苦労さん」
せっかく引っ込んだ腹がまたまた膨張してしまった。
さて検査結果はどう出るのだろう。
去年より体重が2s増えているのが気になるのだが…。
2003年1月22日 水曜日 午後 6:56:48
浅間嶺に行ってきた。
記録を辿ると96年以来の訪問でホントに久し振りの奥多摩方面だった。
沢沿いから尾根に出る頃には雪が深くなっておよそ20センチくらいはあっただろうか。
登山口から歩き出そうと思ったら中高年の集団がやってきた。
13人の団体だったのも拘わらず男ばっかり。
「どこかの会ですか?」
「いえ、ただの山好きの仲間です」
「男性ばかりとは珍しいですね。必ず女性がいるのに…」
「もてない男ばかりですから」
といっていた。
山頂に着くと件のおじさん集団が食事をしていた。
その頃反対側から女性の3人組が登ってきた。
そのおじさん達「お〜〜い! 男ならここにいっぱいいるぞ〜! 選り取りみどりだ」
女性を見て急に元気が出たようだ。
女性達はおじさんの声を無視してちょっと離れた所に陣取った。
男性軍は縦走とのことで身支度を整えると先へ去っていった。
私はピストンなので来た道を戻った。
振り返ると女性3人組は富士山を見ながら食事を始めていた。
出会った人はこの二組と単独の人だけ。
帰りは誰にも会わずに静かな山歩きが楽しめた。
この時期、この辺りの山もいいなぁと見直した次第だ。
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峠の茶屋手前からの展望。大岳山から鋸尾根が展望できた。 |
2003年1月17日 金曜日 午後 9:19:09
「あなたの風邪は鼻から? ノドから?」
「ノドから…」
一週間前あたりからノドが痒いようなイガラっぽいような感じがしていた。
風邪のひき初めだったのだ。
にもかかわらず連日の新年会。
毎日アルコール漬けだ。
一昨日だったか新聞で風邪とインフルエンザは全く違うものだと知った。
風邪は症状が軽く熱もさほど高くは出ない。
インフルエンザは流行性の細菌が原因で1〜3日の潜伏期間を経て急激な症状の悪化が見られるというのだ。
全身の関節の痛み、38度以上の高熱、これがインフルエンザなのだ。
インフルエンザは医者の処方に頼る以外に治らないそうだ。
風邪は関節の痛みはなくさほどの辛さはないので安静やビタミンの補給で何とか治る。
ということは今私がかかっているのは単なる風邪だと言える。
アルコールによる消毒が効果を現すことが実体験として証明されたのだから正式な風邪なのだ。
さて、明日も風邪に負けないようにアルコールのお世話になろう。
う〜、今日も酔った(^^ゞ
2003年1月13日 月曜日 午後 6:04:19
明日は近場の山でも歩こうと思ったら仕事になってしまった(>_<)
中途半端な時間に仕事が入ると一日何もできない。
夕方から映画でも観に行こうか(今度は後の席で…)
今週は新年会が連続する週だ。
それでなくても運動不足、食べ過ぎ、飲み過ぎで”腹が出る出る城ヶ島〜♪”
飲む機会が続いた次の週に成人病検診が控えているのだからできすぎた話だ。
でも、休みの前の日っていいね。
気持ちがルンルンする(~o~)
2003年1月9日 木曜日 午後 6:23:33
津波克明さんが那覇に行ったらぜひここに寄ってみな、と教えてくれたのが琉球家庭料理の居酒屋「レキオス」。
初日の泊まりがちょうど那覇だったので寄ってみることにした。
国際通りをウインドウショッピングしていたら津波さんから電話がかかった。
レキオスにいるのかと思って電話をしたそうだ。
これから寄ってみますと伝えて店に入った。
予めホテルで店の所在を聞いていたので場所はすぐに分かった。
カウンターだけの小さな店かと思ったら店内は意外に広くお客さんでほぼ満員だった。
女将さんと千葉から移住してフリーライターの仕事の傍らアルバイトをしているKさんという女性が忙しそうに働いていた。
津波さんお勧めの島らっきょうなどをつまみに地元のオリオンビールに舌鼓を打つ。
未知の土地にあってもこうして知り合いの店があると安心できるし落ち着くものだ。
長居はできなかったがよい思い出になったひとときだった。
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琉球家庭料理の居酒屋「レキオス」 (那覇国際通り) |
2003年1月8日 水曜日 午後 9:46:55
4日間も”世間”から隔絶しているとまさに浦島太郎状態になる。
3泊4日で一度は行ってみたかった沖縄を訪れた。
タイトルは世界遺産の旅、ということだが早い話が観光。
琉球時代を代表する有名な「首里城」、城はなくその城壁だけを残している「中城城跡」「勝連城跡」「今帰仁城跡」「座喜味城跡」など世界遺産に指定されている城跡は本土の城のイメージとは全く違うものだった。
もちろん沖縄といえば「ひめゆりの塔」。
15〜17歳くらいの女の子が非業の死を遂げる悲惨さが直に伝わってきて目頭が熱くなるのを禁じ得なかった。
また、数名の生存者がいてその中の2名が当時の状況を説明していたのには驚いた。
戦争の悲惨さを改めて感じさせる貴重な時間でもあった。
さすが南国沖縄、とにかく暖かい。
でも中日に寒い日が一日あった。
地元の人がこんな寒い日は珍しいと言っていたがそれでも気温11度。
島国なので海風が強く体感温度が低く感じられるのだろう。
雨が降った最終日は気温20度。
長袖のポロシャツ一枚で充分だった。
東京に着いたときの寒いこと!
気が付くと七草が過ぎ、世間はせわしく動き始めている。
年始のご挨拶「明けましておめでとう」というのが何か後ろめたい気がする仕事始めになった。
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観光客で賑わう「首里城」 |
2003年1月2日 木曜日 午後 3:37:59
年越し山行は丹沢塔の岳の直下にある「木の又山荘」にお邪魔した。
ここにはHP「丹沢info」を主宰する藪徘徊人さんがいる。
丹沢で12月にこれだけの雪が降るのは14年ぶりとのこと。
たしかに雪は豊富だった。
大倉尾根花立山荘を過ぎると雪が見え始め金冷しから塔の岳に至る山道は完全に雪に埋もれ木段が消えていた。
ご来光は望めないとの天気予報のせいかこの大晦日、丹沢の人出は極端に少なかったようだ。
そのお陰といおうか山荘ではゆっくりと過ごすことができ、藪徘徊人さん、小屋番の中森さんはじめ常連の人たちと夜遅くまで歓談することができた。
美味しい食事に年越しソバまで振る舞って頂き至福の一夜を過ごせた。
寝床も布団一人一枚どころか一部屋占領!
明日の元旦はきっと雪だ、とのみんなの予想通り目が覚めると寂とした空気の中にチラチラ雪が舞っている。
辺りの木々に張り付いた雪は樹氷となってそれは美しい幻想的な光景が広がっていた。
遅めの朝食のあと三々五々小屋をあとにする。
サクサクと新雪を踏んで塔の岳の山頂に出る。
一瞬太陽が顔を出すかと思われたがまた鉛色の雲に隠れてしまった。
昨日はなかったはずの雪が堀山の家の下まで積もっていた。
静かで楽しい元旦を思いがけなく”雪山”で過ごすことができ、やっぱり行ってよかったな、というのが正直な感想だ。
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03年元旦の朝 |