このコーナーはテッちゃんが日々想う山に関する日記を綴ります。
日記という以上、毎日書くつもりですが抜ける日もあるかもしれません。ご容赦下さい。
皆さんの割り込みメッセージも歓迎します。
2002年5月30日 木曜日 午後 5:40:18
一応、この夏の計画を立ててみた。
6月10日〜12日 「屋久島、縄文杉探訪登山」
7月16日〜17日 「北岳」
8月13日〜17日 「折立〜雲の平〜新穂高温泉」
計画は立てたものの果たして歩けるか、それが問題だ。
あとはお天気次第。
さて、計画通りことは進むのか。
それも問題だ。
2002年5月29日 水曜日 午後 5:29:22
朝の出がけに起きた事柄がその日の気分を良くしたり悪くしたりすることがよくある。
今朝は自転車で狭い道でのすれ違い。
避けようと右に寄ると相手も右に寄ってくる。
お互いがブレーキをかけて止まったがその若い青年は「左側通行でしょ!!」と険しい顔で言った。
若いのに偉いことを言うな、と「おお、そうだったな」と言葉を返した。
すれ違って暫く行くと後から小さな声が聞こえた。
「アホ!」
振り返るとさっきの青年の捨てぜりふだったのだ。
大の大人に向かってアホはないだろ。
思わずUターンして捕まえようとしたが大人げないのでやめた。
これは気分を悪くさせた例だが、いいこともある。
特にこれといった出来事ではないが鼻歌が出るような気分になる一日もある。
人間はとかく感情の動物だ。
些細なことに感情が揺れ動く。
その感情を自身がどうコントロールするかよってつまらない日にもなり、楽しい一日にもなるのだ。
2002年5月28日 火曜日 午後 5:47:26
あるものをどこにしまったか分からなくなることがよくある。
「しまい忘れ」というのだがそれが激しいのだ。
机の下の小さな引き出しに鍵が付いている。
一度も鍵をかけてことがなかったが最近ここに鍵をかける必要が生じた。
さて、もう何年も使ったことがない鍵をどこにしまった全く分からなくなった。
しまったという記憶もないし、かといって捨てた覚えもない。
捨てた覚えがないのだからどこかにあるはずだ。
さして大きくもない家の中ではあるが小さなたった1本の鍵を探すのは砂漠の中でコンタクトレンズを探すのに等しい。
怪しい箱や他の引き出しをくまなく探した。しかし、どこにもない。
鍵穴があって鍵がなければ鍵の役目はしない。ただの「穴」だ。
仕方なく鍵の本体を外し、同じものがないかと金物屋を回ったがどこへ行っても型が古く無いと言われてしまった。
ハッと気が付いた場所があった。
あるとすれば残るはそこしかない。押入の奥にある古い鍵ボックスだ。
灯台下暗し…、小さな薄っぺらな鍵が2本出てきた。きっとこれが探し求めた鍵ではないだろうか。
イソイソと鍵穴へ突っ込んでみた。
カチッと音がして鍵が閉まった。
おお、苦節1週間(^^ゞ。鍵の雄と雌のご対面だ。
ところでこの引き出し、鍵を閉めて何をしまうんだっけ?
2002年5月23日 木曜日 午後 6:54:40
一時沈静化したと思っていたウイルス。
このところまたまたウイルスメールが入ってくるようになった。
一日平均3通は来る。
多分どなたかのメーラーがウイルスに感染しそれに気が付かずにいるのかも知れない。
ウイルスを受信するとウイルスチェックが働く前に分かるようになった。
それほどまでに蔓延していると言うことか。
自分がウイルスに感染したメールを送っては相手に迷惑がかかるので必ず駆除ソフトで駆除、削除してから送ることにしている。
最近のウイルスメールはどこかで見たことのあるドメイン名が多い。
ああ、あの人のメールは感染しているな、と判断できる。
いったいどこの誰がウイルスというものを発明したのだろう。
それだけの知識があればもっと世のため人のためになる有効利用ができるだろうに。
2002年5月22日 水曜日 午後 6:54:19
ある中堅ドラッグストアーをチェーン展開している社長が遊びに来た。
この歳になると回りに亡くなる人が多いという話になった。
その社長は60代半ば位だろうか。
同級生や同年代の友人がけっこういなくなっているというのだ。
年下の私でさえ身近にいる同級生が3人も死んでいる。
ガンなどの病気が多いが一人はアル中だった。
「50過ぎたらいつ死んでも不思議はないよ」
その社長は達観したように言う。
薬屋の社長の言葉だから妙に説得力をもって聞こえた。
先日、某旅行会社からDMが来た。
世界自然遺産「屋久島探訪」のお誘いだった。
パンフレットを読むと「通常の観光では見られない縄文杉までの登山体験!」と銘打ってある。
宮の浦岳に登るわけではないが一日10時間、本格登山装備が必要なのだそうだ。
う〜ん、興味を惹かれるなぁ。
2泊3日。2名様一室。79800円均一。
自分で計画して行かれるところではない。
どうしようかなぁ、と、迷うんなら可愛い。
「山は行かれるときに行っておこう!」という自分で決めた勝手な信条で即決!
こういうとき仕事の日程やお金の捻出方法が思考から吹っ飛んでいるのだから困ったもんだ。
「元気で歩けうるうちに」「いつ死んでも悔いのないように」「好きなことをやっておく」だから今のうちに山へ登っておくのだ。
これも勝手に決めた自分の信条なのだ。
「50過ぎたらいつ死んでも不思議はないよ」この言葉が今でも脳裏から離れないのだ。
2002年5月18日 土曜日 午後 5:03:09
尾瀬に行ったのは過去6回ある。
96年6月がはじめての尾瀬だった。
この時は記録的な大雪で尾瀬沼もまだ凍っていて氷の上を歩いた記憶がある。
この時に尾瀬の大自然に魅せられ立て続けに年2回は尾瀬に入った。
長蔵小屋へ泊まったのは97年8月、燧ヶ岳を目指したときだった。
その後、いつしか尾瀬から遠ざかってしまったのは熊騒動があったからではない。
尾瀬に入るにつれて商業主義というか黙っていても人は来る、みたいな殿様商売的なところが鼻につくようになった。
駐車場の料金は目の玉が飛び出すような値段だった(幾らか忘れたが)。
知る限り尾瀬の山小屋で出す弁当はどの小屋も全く同じものだ。
決定的だったのは長蔵小屋の夕食だった。
アルバイトの若い女の子が皿にのせるおかずは小魚の甘露煮3切れ、野菜ひとつまみ。
小屋の指示なのかバイトが気が利かないのかは分からないが相当がっかりした覚えがある。
それでも長蔵小屋といえばどのガイドブックを開いても「尾瀬で最も古い山小屋。尾瀬の自然を見守り続けてきた山小屋」とある。
尾瀬開発の危機に一人立ち向かった平野長蔵氏こそがこの小屋の元祖だった。
小屋は長英氏、長靖氏とその跡を継いだ。
その自然保護の歴史と伝統を築き上げてきた長蔵小屋がなんと別館新築の際の廃材を近くの地中に埋めていたことが発覚した。
はじめはほんの一握りの廃材かと思いきや調査が進むにつれてその量10トンにのぼるという。
発泡スチロール、電線、木材、鉄片ありとあらゆる廃材が掘り出された。
想像するに廃材を尾瀬山中から運び出す費用をケチったのだろう。
登山者にはゴミ持ち帰り運動を訴えながらなんというザマだ。
自然を守るという大義名分の陰にかくれて金欲の亡霊にとりつかれるとはなんとさもしいことか。
ものを言わない大自然と尾瀬を守り続けた先達はこの姿を見てその嘆きはいかばかりかと思う。
2002年5月17日 金曜日 午後 6:51:07
新聞の折り込み広告は大げさに言えば世相を反映しているようで面白い。
これもパターンがあって週末は不動産広告、日曜日は求人広告が多い。
それに商店などの特売や新開店のお店がランダムに入ってくる。
その日、B5版の安手の紙に手書きの広告が入っていた。
ふすま屋さんのチラシだった。
読んでみるとこれがとてもユニークなチラシなのだ。
襖と畳の張り替えが5年に一度のサービスなのだそうだ。
「1枚からOK!」「3日間限り」等はおきまりの文句なのだが、
「チラシ広告は全部母の手書きです」と隅っこに書いてある。
「親子ふたりでこだわりを持って仕事しています」
障子の張り替えは「母が水できれいに洗ってふき掃除をしています」
アミ戸張り替えには「父も頑張っています」
「注文は私のケイタイへ」
笑ってしまったのは「かわいいお嫁さん募集。息子26歳、真面目に一生懸命仕事しています」
無駄のないようにウラにも広告が。
「パソコン(インターネット)を出張で教えます。(娘の名前)28歳」
マジックインクで一生懸命書いたのだろう。
決して上手とは言えない文字で。
豪華ででかい色刷りチラシが多い中、こういった素朴なチラシが心を打つ。
不況に喘ぐ零細商店が一家団結して頑張っているんだと叫びに似た声が聞こえてくるようだ。
このフスマ屋さん営業25年だそうだがチラシの効果は如何だったのだろう。
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胸を打たれる「母の手書きチラシ」 |
明日は尾瀬の長蔵小屋のことを書きたい。
2002年5月13日 月曜日 午後 6:22:43
このところ薄ら寒い日が続いている。
梅雨入りになったみたいな天気だ。
週間天気をみていると明日だけがわずかに小さな晴れマークが付いている。
これを逃してなるものか!
というわけで明日は「櫛形山」へ行ってみようと思う。
林道も整備されているようだし、頂上までの最短距離に行けるところからピストンだ。
これから支度にかかって今夜は早く寝なければ…。
2002年5月10日 金曜日 午後 6:57:14
先日の大室山で山行回数が210回になった。
山をはじめてから一応簡単な記録を付けて第何回目と回数をふっていたのだ。
回数はずいぶん重ねているが振り返ってみるとこれといった収穫がないのに気が付く。
例えば野山に咲く花に詳しくなるとか野鳥に興味を持って少なくても数種類の名前くらいは覚えそうなものだ。
未だに山座同定すらおぼつかない。
キノコを調べるとか山菜を見つけるとか全くそういうことに無頓着なのだ。
野鳥や高山植物の図鑑はいっちょ前に本棚に飾ってあるが開いたことがない。
何かをテーマに持って山を歩けば楽しさも倍増するのだろう。
でも、山を歩いているときは楽しいし、気分もリフレッシュする。
まぁ、それだけでも山の効用を充分に享受しているのだからいいかな、と自己満足している。
![]() |
三冊になった「山行記録」 |
2002年5月8日 水曜日 午後 7:13:39
5日間の連休もあっという間に終わってしまった。
一日は妻の田舎へ行った。
一日は山へ行った。
一日は山道具屋回りをした。ただそれだけだった。
あとはボ〜っとして過ごしていたようだ。
それが休日のいいところなのかも知れない。
今日から元のスタイルに戻って仕事になった。
しかし、頭の中は来週はどこの山に行こうかと思いめぐらしている。
お天気次第だけど「櫛形山」なんか行ってみたいなぁ。
2002年5月6日 月曜日 午後 7:59:33
昨日、西丹沢の大室山〜加入道山へ行って来た。
ガイドブックによると6時間30分とか、6時間45分とか所要時間が書いてあった。
これじゃ私なら休憩も入れると8時間はみなくてはいけないな、と思った。
計画としてはとにかく早く歩き出すこと、これにつきる。
折しもGWのまっただ中。まともに出発したのでは渋滞に巻き込まれるのは間違いない。
と言うことで4時50分には家を出た。
これが正解だった。
渋滞は全くなし、スイスイと西丹沢自然教室に到着した。
駐車場もまだ数台空きがあったので滑り込んだ。
支度をしているうちに駐車場がいっぱいになった。
7時ちょっと過ぎには出発することが出来た。
これで余裕を持ってゆっくり歩くことが出来る。
山は何でも前倒しに行動することが一番だと改めて痛感した日でもあった。
透き通るような新緑が美しい。
展望が望めないコースだと聞いていたがなんのなんの、富士山がくっきり。
その右手の奥に雪をかぶった山脈が連なっているのはきっと南アルプスの山々だろう。
大室山山頂では桜が咲いていた。
山頂直下ではバイケイソウが一面に咲いている。
気温は高かったが吹く風が気持ちいい。
久しぶりの歩き甲斐のある登山コースであった。
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大室山山頂。 山梨百名山だそうだ。 |
2002年5月2日 木曜日 午後 4:58:26
さぁ〜て、明日からGWだ!
ところが、山の予定はなにも決まっていない。
こんな連休も珍しい。
親戚の所に行ったり細かい用事があるのでまとまった休みが取れないのだ。
一日くらいはどこかの山へ行きたいと思っている。
どこにしようかなぁ。
とにかく休みの前は子供の遠足前夜みたいに嬉しいものだ。
ウシシ…(^^)/