山恋うる日々のつぶやき 2002年9月のつぶやき

このコーナーはテッちゃんが日々想う山に関する日記を綴ります。
日記という以上、毎日書くつもりですが抜ける日もあるかもしれません。ご容赦下さい。
皆さんの割り込みメッセージも歓迎します。


2002年9月28日 土曜日 午後 5:02:34

この不景気にもかかわらず朝から行列をつくっている商売がある。
病院とパチンコ屋だ。
近所のパチンコ屋は必ず10〜20人が列をなして開店を待ちわびている。
年輩の人に交じって結構若い青年も多く見かける。
この人たちはいったいどんな仕事をしているのだろうといつも不思議に思う。
と同時に朝から遊べて羨ましい気もする。
それとも本人達にとってみれば「仕事」なのかも知れない。
一方、病院、診療所なども大勢の人が朝から開院を待っている。
こちらは決して羨ましいとは思わないが、病人がいかに多いものかと感心する。
近くの診療所で朝早くから毎日立っている人がいる。
顔見知りなので声をかけた。
「どこか身体が悪いの?」
「俺はどこも悪いところはない。以前ここの診療所で世話になったのでボランティアで札を配っているんだ」
患者達は先生が来て門が開く2時間以上も前に順番の札を引いて待っているのだ。
その”整理役員”を自らかって出ているのだそうだ。
ボランティアが出るほど病院、診療所に行列が絶えないのだ。
そういえば「行列ができる法律事務所」なんていうのもあったっけ。


2002年9月26日 木曜日 午後 5:22:58

昨日は全国的に晴れの予報なので月夜野の吾妻耶山へ出かけた。
関越自動車道を走っていると、遠くの山々がよく見え、今日は最高の山歩きが期待できると思った。
しかし、インターを降りて一般道路を走っていると黒い雲が山を覆っている。
何となく不吉な予感。
林道の終点に車を置いて歩き出すと雨がポツポツ降ってきた。
雨足は強くはないが木々に当たる音が大きくなってきた。
四阿があったのでお茶を飲みながらしばし思案。
空は厚い雲がかかりなにも見えない。
どうしようか?
雨じゃ展望も望めないし今日はダメだな、と結論を出し、来た道を戻った。
駐車場に着くと急に雲が切れ雨が上がってみるみる晴れ間が出てきた!
「どうだ、だまされたか」と、空がせせら笑っているみたい。
後悔先に立たず。今更戻るのもかったるい。
結局、町営の温泉に浸かって帰ってきた。
そんなわけで悔しい思いをした一日だった。


2002年9月20日 金曜日 午後 5:33:59

すっかり秋めいてきた。
半袖姿が少数派になった。
山も夜はだいぶ冷え込むんじゃないだろうか。
もう、紅葉のシーズンだ。
それにしてもこのところ天気が思わしくない。
出かけようとすると雨っぽかったりする。
世間では明日から今月2回目の3連休だそうだ。
いいなぁ。

気がついたことがある。
池袋って東口に「西武」、西口に「東武」があるんだね。


2002年9月17日 火曜日 午後 4:05:22

何の脈絡もなく口をついて出てくる唄がある。
今朝は「あざみの歌」だった。
♪山には山の愁いあり 海には海の悲しみや…。
これは童謡なのか唱歌なのか分からない。
しかし、何度か聞いたことがあるしカラオケなどで歌った記憶がある。
「♪山には山の愁いあり 海には海の悲しみや…」
このあとの歌詞が分からないので「らぁら、ら〜」などとハミングでごまかす。
どこか哀愁を帯びた曲が口をついて出てくるのは自分の感情に憂いがあるからなのだろうか。
それとも今日の天気の影響で気持ちにも鬱陶しさが表れたのか。
それはともかくこの曲をもっと知りたくなった。
近くのレコード店でCDを探してみた。
由紀さおりの唱歌集に入っていた。
しかし、収録された他の曲があまりにも赤ちゃんぽい。
更に探してみると「懐かしの歌声名曲集 伊藤久男」があった。
「あざみの歌」は童謡でも唱歌でもなく、伊藤久男の歌謡曲だったようだ。

高嶺の百合の それよりも
秘めたる夢を ひとすじに
くれない燃ゆる その姿
あざみに深き わが想い

山に咲いているアザミには鋭いトゲがありよく腕を傷つけられたりした。
そんな攻撃的なアザミにも山の愁いや海の悲しみよりももっと深い「わが想い」があるとは知らなかった。
歌を覚えて「あざみの心」に迫ってみようと思う。


2002年9月16日 月曜日 午後 4:32:09

連休は晴れ間が出るとの予報に反して肌寒くスッキリしない空模様になってしまった。
火曜日はもともと天気が悪いとの週間予報だったのでわざわざ昨日お出かけした。
なのに曇り空に雨まで降ってきた。
そんなことだろうと展望を望まないで済む旧三国街道ハイキングコースを歩いてみた。
山を見上げると真っ白で何も見えない。
小雨までパラついてきた。
でもちょっと歩けば気が済むのだからこんなものでいいだろう。
連休にもかかわらずコース中誰にも会わなかった。
混雑したのは相変わらず関越自動車道だけだった。


2002年9月14日 土曜日 午後 6:20:37

著書「山小屋はいらないのか」によると、営林署からの通達の後、伊藤正一氏は何度も要望書や請願書を出すが要領を得る回答が得られなかった。
三県山小屋会議で陳情書を出すことに決まったが陳情書作成の過程で加藤氏は「たった一人のたたかい」が決定的になる。
87年、各営林署は「収益方式」による地代徴収を開始した。
加藤氏は弁護士を通じ、営林署や長官にも文書で質問するがいっこうに回答がない。
89年3月、富山営林署から三俣、雲の平、水晶の三つの山小屋に対し「土地使用不許可」と「小屋の撤去命令」の通達が来た。
小屋を撤去し、土地を更地にして返還せよというお達しだ。
以後、毎月催促状が来ているという。
この撤去命令に対して加藤氏は農水大臣あてに行政不服審査請求を出したが90年11月に申し立ては棄却された。
棄却を受けて富山・大町営林署を相手どり「土地使用不許可処分」の取り消しを求め富山・長野地裁に提訴した。
加藤氏は最高裁までたたかう、の覚悟で現在も係争中なのだ。

著書は4部で構成されている。
第一部「北アルプスで何が起きているのか」加藤正一氏が書いている。
第二部「山小屋はどうなっているのか」と題して山小屋経営者の座談会の模様が再現されている。
第三部「山小屋の灯を消していいのか」は遭難の現場や小屋に助けられた人たちの体験談を寄稿で構成。
第四部「山小屋撤去命令の背景」には国有林野事業の3兆1千四百億円の累積赤字の現状、本質、分割民営化の動きなど大学教授やジャーナリストたちが専門の立場から説明している。

この中であるジャーナリストはこう述べている。
「国有林野内にできるだけグレードの高い施設を造り、あがりをがっぽりいただく…そうなると、登山者を相手に細々と営業しているような山小屋など邪魔なのだ。そんな山小屋など難くせつけて追い出してしまえ…それが三俣山荘撤去命令事件の根底にある林野庁の発想なのではないか」と。


2002年9月10日 火曜日 午後 8:55:05

雲の平山荘に泊まったとき、受付の棚にあった本が目についた。
「山小屋はいらないのか」という本だった。
雲の平、三俣山荘、水晶小屋のオーナーである伊藤正一さんが書いたものである。
過激な自然保護団体でもあってそれらが何か画策しているのかとその時は思った。
食事の後、まだ21歳という若い小屋番(伊藤さんの息子)からレクチャーを受けた。
ちょっと興味を引いたので例の本を一冊買ってきた。
今日読み始めて、まだ途中までしか読んでいないがことの発端はこうだ。

北アルプスのほとんどは国有林で管理は営林署が行っている。
ここで営業する山小屋は国から土地を借りていることになる。
各小屋は当然ながら地代を払っている。
書面上は2年契約だが民間の借地契約に習って小屋が存在する限り永久的に借り受けることができる。
国と山小屋は慣習に則った信頼関係で成り立っていたようだ。
ところが、1984年1月林野庁から地代を定額方式から収益方式に改めるとの通達が来た。
収益方式とは山小屋に対して営業報告書(設備投資額と毎年の総収入を記入)の提出を義務づけ、
支出には関係なくもっぱら総収入に対して地代を徴収するというものだそうだ。
相手は偏向した自然保護を標榜する団体ではなく、お国だったのだ。
収益方式になると地代が桁違いに膨れあがる。
値上げなら定額方式のままで見直しをすることもできるはずだ。と言うのが伊藤さんらの主張なのだ。
ここから伊藤さんたちの戦いが始まった。
(本の内容については順次書いていきます)

シリアスな本の内容とは裏腹に「明日は三俣山荘にオーナーが来ていますよ」と聞いたものだから、
明くる日、三俣山荘に立ち寄り伊藤正一さんのサインを貰った。
こういうところがミーハーなんだな。俺って。

 「山小屋はいらないのか」
 三俣山荘撤去命令を撤回させる会・編
 リベルタ出版 定価1545円(税込み) 

2002年9月8日 日曜日 午後 8:51:43

久しぶりに雨らしい雨が降った。
いったんやんでもう降らないだろうと傘を持たずに出かけると急に降り出したりする。
昨日は晴れ間が出ていたし、よもや雨はないだろうとJR駅前の居酒屋で酒をかっ喰らっていた。
11時近くになって帰ろうと表に出たら土砂降りの雨が降っている。
頭に手をやって駆けだしている人がいる。
きっと降り出したばかりなのだろう。
傘を持っていた一人の友人が代表してコンビニへ傘を買いに行ってくれた。
気を利かして大きめの丈夫そうなビニール傘だった。
それを使って自転車で帰宅したが傘は頭をカバーする程度で背中もズボンもびしょ濡れになってしまった。
家に帰ったら雨は小降りになった。
油断のできない空模様が続いている。


2002年9月6日 金曜日 午後 5:26:44

友人のお母さんが入院した。
火曜日のことだったが、救急車で運ばれたというので驚いた。
本人はいたって元気で念のための検査入院となった。
先ほどお見舞いに病院を訪れた。
病室に入るとベッドが空っぽで一人の見舞客が座っていた。
先ほど検査に行ったらしくその人は検査が終わるまで待っていたのだ。
私も廊下をウロウロしながら30分ほど待ったが帰ってくる様子がないのでお見舞いを置いて帰ることにした。
バッグを開けてお見舞いを出そうとしたら、お見舞いの熨斗がない。
忘れてきたのだ(^^ゞ
仕方なく名刺だけ置いて私が来た旨その見舞客に頼んできた。
本人がいなかったからよかったものの、危うく恥をさらけ出すところだった。
次回お見舞いに行くときは忘れないようにしなければ…。


2002年9月4日 水曜日 午後 6:40:27

職場のネット環境も遅まきながらADSLを導入した。
今までISDNだったのをわざわざ変更したのだ。
自宅のパソコンがADSLなのでその早さと比べると少々重く感じていた。
先月30日、プロバイダ、NTT、それに交換機の設定変更工事を行った。
モデムの設定などはパソコンの師匠にお出で願った。
工事はつつがなく終了し、いざプラウザを開く。
おお! 早いこと!
多量に画像を使ったHPも一瞬にして開く。
試しに重そうなフリーソフトをダウンロードしてみた。
ISDNでは10分くらいかかるところをものの1分で終了した。
今までのストレスはこれで解消。
やっぱり早いっていいなぁ。

昨日開店したお茶の水のアウトドアショップ「L−Breath」
アウトドア全般だから山関係の品物を探すには少々もの足りない。
結局「さかいやスポーツ」に寄って現品限りの特価品、速乾性長袖Tシャツを一枚買ってきた。
締めて1900円也(^^ゞ


2002年9月3日 火曜日 午後 12:27:35

日曜日にこっそりと山へ行って来たので今日の休日は平地にて停滞。
朝ゆっくり起きて新聞を読んでいたらお茶の水に新しいアウトドアの大型店オープンの広告が載っていた。
今日は暇なのでこれから行ってみようと思う。

最近なぜか谷川の西側の山域に登ることが多い。
1日の日曜日は大源太山に行ってきた。
時間がかかりそうなので前夜に車で発ち、三国峠の駐車場で仮眠した。
ピストンも味気ないので大源太山から川古まで周回してみようと登りはじめた。
この辺りの天気は全くあてにならない。
天気予報では新潟も群馬も晴れの予報だったがなぜかここだけが黒い雲に覆われ強風が吹いている。
前回強風と雨で三国山手前で引き返したことがあった。
この日は風こそ強く展望は望めないが雨の心配はなさそうなので出発した。
三国山でこの先展望がないからと引き返した登山者が二組いた。
大源太山手前で一人の男性に追い越された。
頂上ではその人とあとから登ってきたおじさんだけ。
大源太山から川古への道は誰にも会うことはなく自然林と淡々と歩く。
これで雲がなく展望が開けていたら最高だったのに…。
またいつの日か来てみたいところだ。

 大源太山山頂。周囲は真っ白け(^^ゞ

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