山恋うる日々のつぶやき 2001年10月のつぶやき

このコーナーはテッちゃんが日々想う山に関する日記を綴ります。
日記という以上、毎日書くつもりですが抜ける日もあるかもしれません。ご容赦下さい。
皆さんの割り込みメッセージも歓迎します。


2001年10月31日 水曜日 午後 6:19:48

昨日は久しぶりに出掛けた。
西沢渓谷へ行ってきた。
西沢渓谷は私はこれで4回目。いちばん紅葉時期に近かったのは11月はじめだった。
その時の紅葉は既に終わりに近く色づきもイマイチだった。
今回は素晴らしい光景に出会えた。
赤、黄などに彩られた山の斜面は目を見張るほど美しかった。
人気スポットだけあって平日にもかかわらず観光バスが乗り付けて大勢の人で賑わっていた。
これで休日だったらどうなっちゃうんだろう。
おそらく遊歩道は渋滞。紅葉狩りどころではなくなっちゃうんじゃないだろうか。
西沢渓谷の見頃は今週いっぱいかもしれない。
観光色が強いところだがそれでも「山と渓谷」には違いない。

コースのハイライト「七ッ釜五段の滝」 沢の上部も… 山の斜面も…
真っ赤に萌えて… 思わず… 足を止め…

2001年10月26日 金曜日 午後 5:48:34

焼岳&徳本峠〜島々谷へ行って以来、山へ行っていない。
日常の生活の中でもやらなくてはならないことは文字通り山ほどある。
それらが一気に溜まってしまった感じがする。
だから、このところ休みの日はそのたまりに溜まった「仕事」の「処理」に追われている。
来週には久しぶりにどこか近くの山へ行かなくっちゃ。

ケーブルテレビ、「ケイコとマナブ」と言うチャンネルはかなりお役立ちだ。
山の番組の他にパソコンの解説もある。
Exsel2000(2002)の基礎、応用編など各1時間にわたって解説していた。
「ほー、こんな使い方があったのか」と、思わず見入ってしまった。
録画したものをゆっくり観ながらお勉強をしようと思う。

現在、加入しているプロバイダはいったい幾つあるのだろう。
数えてみたら6個あった。
ディスクスペースが足りなくなったからといって他に入り、フレッツにするために安いところを探し、CGIが使えないからといっては使えるプロバイダに入り、そんなことをしていたらいつの間にか6個になっていたのだ。
今考えている「あること」をしようとすると今度は大がかりな引っ越し作業の必要が生じてくる。
それならいっそのこと1カ所にまとめてしまえ、と言うことにもなるが、また安易に行動を起こすと同じ轍を踏むことになりかねない。
ここは焦らず慎重に調査、研究をして進めなければと思っている。


2001年10月18日 木曜日 午後 6:06:46

自宅にケーブルテレビが入っている。
最近チャンネルが増えて数えたことはないが30チャンネル以上はあるだろう。
映画専門FOXテレビ、一日中ニュースをやっているNNNやCNN、天気予報も一日中放送している。
このところテレビも観ていなかったが送られてくる冊子を見ていたら「けいことまなぶ」などという番組があった。
この番組はパソコンのアプリケーションの使い方やお部屋の収納方法など生活に密着したものを放映しているようだ。
子細に番組表を調べると「登山教室」なるものを見つけた。
放送が今日の朝9時から。「沢登り」「雪山の登り方」をそれぞれ1時間の放送だ。
録画予約をしてあるが、沢登りの冒頭をチラッと見た限りではなかなか力の入った内容のようだった。
沢を渡渉するのに水中カメラで足下を映していたりこれは勉強になるな、と思わせる番組だ。
シリーズのほとんどは放送終了してしまっているが残った番組だけでも録画しておくつもりだ。
もっと早く気が付けばよかった。


2001年10月17日 水曜日 午後 4:57:28

焼岳へ登る朝、上高地バスターミナルにバスが着いて売店の店先で朝食を摂ることになった。
妻はさっさとザックの中からおにぎりを出して食べ始めた。
「俺のは?」と妻に聞く。
「あれ? 用意してあったのよ、持ってこなかったの?」
てっきり妻が私の分まで背負ってきたものと思い込んでいたのだ。
そういえばザックを詰めるとき部屋にビニール袋があった。
それが私のおにぎりだったのだ。
今から家までおにぎりを取りに帰るわけには行かない。
仕方なく売店で焼きそばとキノコ汁を買って腹を満たし事なきを得た。
何でも頼り切ってしまうということは危険なことだと反省した次第だ。
それにしても焼きそば750円、キノコ汁500円はいい値段だったなぁ。


2001年10月14日 日曜日 午後 6:39:29

徳本峠へ向かったのは8日のまだ暗いうちだった。
ヘッドランプをつけて真っ暗な林道を歩く姿は真夜中のホタルみたいだった。
道が狭くなって山道らしくなった頃夜が明けてきた。
標高を上げるにつれて紅葉が美しくなってくる。
振り向くと明神が朝日を浴びて金色に輝いていた。
徳本峠小屋は聞きしにまさる古さでつっかい棒がしてある。
しかし、それが本当の山小屋らしさを醸し出していて何とも風情があって魅力的だ。
「昨日は大変だったねぇ」と一人の青年が小屋番に声をかけた。
連休の大混雑から解放されたばかりの時間だったようだ。
峠でゆっくりもしていられない。これから長い長い島々までの道のりが待っているのだ。
だけど、この長い道のりもポイントごとに楽しみがあるのだ。
「力水」最初の水場だがこの日は水量が少なく水筒に水を満たすにはちょっと時間がかかる有様だった。
次の目標は「岩魚留小屋」。岩魚がここまでしか上がってこられないという場所からこの名が付いたらしい。
ここでは上がってくる人、降りてくる人の交差の場となって必ずザックを降ろし、汗を拭って一休み。素通りする登山者は皆無だ。
ここまでも長く感じたがこの先ももっと長い。
地図を見ると次の目標が見つかった。
「戻り橋」だ。
峡谷が深くって来た人がみんなここで戻っていったという言い伝えからこの名が付いたそうだ。
ここまで来ると林道終点の「二俣」はすぐそこだ。
だけど、そう思うとかえって長く感じる。
「戻り橋」から「行き橋」までが地図ではほんの少しなのにまだかなぁ、ってな感じになる。
「秀綱夫人遭難の碑」にはまだ新しい花が添えられ、経緯が書かれた看板が建っていた。
木々の陰から軽自動車らしき物体が見えた。これは幻覚ではない。
ここが「二俣」だ。
トイレもあって大休止。
この先は「島々バス停」まで広い林道をひたすら歩く。あと1時間半。
よく歩いたなぁ。長かったなぁ。というのが本音だが、昔の人はこの道を一日がかりで上高地に入り、それから北アルプスへの登山を開始したのだ。
それを思うと長いの、疲れたの、とは言っていられないが交通が便利になってますます登山は中高年向きになってきたと言うことだろうか。

徳本峠への登りで振り返ると…

2001年10月11日 木曜日 午後 6:54:30

焼岳はけっこうボリュームのある山だった。
ちょっと行って来れる山との先入観があったのでよけいにそう思ったのかも知れない。
標高を上げるにつれて紅葉が美しくなり、山道も急登になってくる。
展望が美しい場所に限って緊張を強いられる道なのはどういうことだろう。
例えば鉄のハシゴだったりクサリ場だったりする。
幾条にもザックリ剔られた溶岩流の流出あとが痛ましい。
当時の大噴火の爪痕がくっきりと残っている。
その剔られた表面に木々が茂って紅葉のグラデーションが美しい。
この時期、涸沢方面に人気が集まって焼岳にはほとんど人がいないのかと思ったらとんでもない、大勢の登山者が登っていた。
やっとたどり着いた焼岳小屋に荷物を置いて空身で山頂を目指す。
頂上に近づくと硫黄の匂いが立ちこめ、岩石が黄色に染まっていた。
ボリュームがあると言うことは時間的にもボリュームがあるということだ。
登山口に降りて河童橋を過ぎ、嘉門次小屋へ到着したのはすっかり暗くなった午後5時30分過ぎだった。
すっかり涼しくなったのに小屋で飲むビールはやっぱり美味かった。

紅葉と焼岳の噴煙

2001年10月1日 月曜日 午後 4:53:56

一日中雨だった。
こういう日は外へ出るのが億劫になる。
明日は上田へ出掛けるので何とか回復して欲しい。

それにしてももう10月。
2001年もあと3ヶ月で終わりだ。
何となく寂しい気もするし、歳月の経過はいつもながら早いなぁ、と感じる。
テレビでアナウンサーの服装を見ていると誰もが衣替えをしているのだ。
山行きも衣替えが必要な季節になったのだ。


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