このコーナーはテッちゃんが日々想う山に関する日記を綴ります。
日記という以上、毎日書くつもりですが抜ける日もあるかもしれません。ご容赦下さい。
皆さんの割り込みメッセージも歓迎します。
2001年9月30日 日曜日 午後 3:16:03
草津白根山で知り合った長野県上田市のNさんが先日突然やってきた。
仕事の話や山の話で小一時間はあっという間に経過した。
Nさんは同業者ということもあって私にぜひ上田へも来てくれという。
上田の地図を前にして見所などを説明してくれた。
そんな訳で明後日の火曜日にお邪魔することになった。
昨日電話したら「上田のインターまで迎えに行きます」とのこと。
「一切お構いなしにしてくださいね。こちらにきたときはなにもできなかったのだから」と、念を押した。
「お構いなんてなにもできませんよ。温泉に案内して芸者を呼べといわれたってできませんから」と冗談を言った。
上田に行く目的は単に遊びに行くのではなく、仕事の絡みで現地を下見する目的もあるのだ。
Nさんのやろうとしている新しい分野の商売を東京を拠点とした私と連携しながら展開しようという試みだ。
それはともかく、知らない土地を訪問するのってどこかワクワクするところがあるものだ。
現地視察に名を借りて観光を楽しむ、どこかの国の政治家みたいな気持ちでもある。
2001年9月19日 水曜日 午後 9:24:39
(9月13日胃カメラの続き)
胃カメラの検査が終わってベッドに横になっていると、15分位して診察室へ呼ばれた。
美人女医さんはカメラで診た様子を説明してくれた。
「胃潰瘍とか十二指腸潰瘍とか特に障害になるような症状はみられませんでしたね」
「2カ所ほど盛り上がった箇所があったので念のため組織を採取しておきました。しかし、これも見た限りでは悪性のものではありません」
といってカルテにこんもりした山を書いた。
「これが槍ヶ岳のように尖っていると危ないんですけど…」とは言わなかったがそれらしい説明をしてくれた。
「だけど、胃の中が全体に真っ赤ですね」
「胃酸が出過ぎて胃炎を起こしているんじゃないかと思います」
「今出している薬を今月いっぱいくらい続けてください。そして、お酒、たばこは控えるように。そのうち落ち着くでしょう。」
胃炎かぁ。何事もなくほっとしたが、検査の結果をその場で説明してくれるのはこういう町医者のいいところだ。
経験から大病院だとそうはいかない。
検査に○○センターとかいうところに行って一日がつぶれる。検査の結果を聞きに行くのにもう一日時間を作らなくてはならない。
それも写真を一枚くらい見せてもらってものの3分の説明だ。
それに引き替え、結果がその場で分かるというのがなによりもいいところだ。
また、今の薬を続けろということは当初の診立てが間違っていなかったということになる。
う〜ん、なかなかの女医さんだ。
おかげで胃の調子は今はなんでもない。薬も思い出したように飲むくらいだ。
結局、歳をとると何事も治りが遅いということなのだろうか。
あ〜、冷たいビールが飲みたくなった(^^ゞ
昨日、丹沢の葛葉川へ行った。
どこへ行こうか前夜から決まらず、結局9月の頭に行った二の塔を往復したあと、四阿でうどんを作って食べようということになった。
朝の東名高速が事故で大渋滞。歩き出したのが10時過ぎてしまった。
二の塔尾根を歩いたがあまり歩かれない道のようで草や藪がひどく、おまけに猛烈に蒸し暑い。
林道に出てからそのまま林道を引き返してしまった。
途中、大量の土砂に埋まった林道を修復している現場に出会った。
葛葉の泉ではmodokiさんと待ち合わせていた。
modokiさんにはビールをご馳走になり、3人でカレーうどんを囲んでミニオフ会が始まった。
帰りにはmodokiさん地元の住宅街を縦横に抜けて震生湖を案内してもらった。
表尾根を一望に見渡せる場所を教えてもらい、インター近くまで送って頂いた。
短い時間だったが有意義な時を過ごせた。
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大量の土砂で埋まった林道。 復旧作業中の現場。 |
2001年9月15日 土曜日 午後 8:58:28
昨日の夜、急遽親睦会旅行の幹事が集まった。
9/9〜11の「台風迷走旅行」の総括のためだ。
集まったのは会長、幹事A、会計、女性幹事、私、他2名の計7人。
まず、幹事Aが今日、旅行会社の社長(バスに添乗した本人)が来たことを伝え、請求書のコピーをみんなに配った。
幹事Aは駒ヶ根で明くる朝別行動を取ったのでバスの迷走には乗っていなかった。
幹事A「俺から先に喋らせてくれ」と、添乗員とのやり取りを報告した。
幹事Aは旅行社の話を一通り聞いたあと言った。
幹事A「なにを言っているんだ! あなた達は旅行のプロだろう! よりによって草津温泉に泊めるなんてどういうことだ!」
添乗員「上信越道が…」
幹事A「だから駒ヶ根を出るとき言ったろう! 新潟方面に北上し、そこで安全な通れる道を探す、関越道なら通行止めにはなっていなかったはずだ。事実、同じコースのバスツアーが関越を使ってその日のうちに帰っているんだ!」
添乗員「……」
幹事A「上信越道はそれでなくても危険なところなんだ。雨量が50ミリを超えたら絶対使っちゃいけないところだ」
幹事A「駒ヶ根で別れて部屋でテレビをつけたら上信越道が土砂崩れで通行止めになったというニュースが流れていた。それを何故上信越道に入っちゃったんだ? 知らなかった訳じゃないだろう?」
幹事A「そして草津温泉だなんてあんな山の中に泊めたんだ。万一、災害が起きたら孤立して2,3日出てこられない場所だ。もっと平地の伊香保とか他の場所があったろうに。そうすれば明くる日はもっと早く東京に帰れたんだ」
実際、私が聞いた話ではバスが県道を走っているとき川の流れは濁流と化し、崖崩れなどが心配で怖かった。と証言している。
幹事Aの怒りは収まらない。
幹事A「だいたい、台風の時に県道などに降りる奴がどこにいる。バスは重量があるし、Uターンはできない、道は狭い。路肩は弱っている。こんな危険なところを走る奴がいるか! 乗客の安全を第一に考えるのがあなた達の役目だろう。テッちゃんは山を歩いているからよく知っているよな?」
私「そうだ、そうだ(^^ゞ」
話は草津での宿泊費に及んだ。
幹事A「一人13000円も追加徴収してどういうつもりだ! こういう非常時にはもっと安いところがあるはずだ」
添乗員「あのホテルしか連絡が取れなかったんです」
幹事A「馬鹿言っちゃいけない。なぜ地元の観光案内所へバスをつけなかった。そこで探せば幾らでも安く泊めてくれるところがあったはずだ」
幹事A「旅行会社はあのホテルとツルんでいるんだろう?」
疑ってかかれば最初から今日は泊まりだ、くらいのことを考えていたのかも知れない、と幹事Aは言う。
会計が口を挟んだ。
「そういえば草津のホテルでは料理が出てくるのが早かったなぁ」
幹事A「当たり前だ。全館キャンセルになって料理を捨てるところだったんだ。そこに20数人もカモが入ってきた。ホテルとしちゃホクホクだろうよ」
幹事A「捨てるはずの料理だ。5000円だって安くはない」
女性幹事「だから私も添乗員に言ったのよ。『料金、もっと何とかならないの?』って…」
会計「添乗員ははじめは10000円だっていったんだ。それが税だのなんだのって13000円になっちゃった」
幹事A「しかりしてくれよ。俺とかテッちゃんがいないときはあんた達がしっかりしなくっちゃ。添乗員任せじゃダメなんだ」
幹事A「それにこの請求書を見てくれ」と、手元のコピーを指さした。
ホテルの領収書はお一人様諸々入れて12750円になっているのに旅行社の親睦会に対する請求書は14850円なのだ。
どさくさに紛れて小遣い稼ぎをしようとしたのか?と、旅行会社に対する不信の声が出る始末。
結局旅行社は幾ばくかの費用を負担すると言うことで決着がついた。
女性幹事は「私はバスのメンバーが疲れていないか、気分を悪くするものがいないか、そればかりが気がかりだった」と、女性らしい気遣いを示した。
台風という自然現象ではあるが、そのまっただ中に置かれたときのリーダーの対応如何によって人を安全に導けるかどうかが決まるといういい教訓になった「事件」ではあった。
(胃カメラの話は次の機会に…^^;)
2001年9月13日 木曜日 午後 12:12:15
迷走中の親睦会のバスは11日夜、無事に帰ってきた。
夕方やっと添乗員の携帯がつながった。
今、伊香保を走っているそうで、これからSAで夕食を取り帰るとのことだった。
「みんな元気です! 安心してください。テッちゃんからの電話はバスの皆さんに伝えます」と添乗員。
地元帰還は9時頃になると言うことだった。
ま、これで一安心。あとは事後処理が待つだけだ。
それにしても人騒がせな台風だった。
今朝、内視鏡検査があった。
いわゆる胃カメラだ。
北アから帰った頃から何となく胃の調子が悪い。
もたれるというか鈍痛というか何となく鬱陶しいのだ。
例の女医さんに診てもらい薬をもらって何となく快方に向かってはいたが「胃カメラで調べましょう」ということになった。
その検査が先ほど終わった。
看護婦が手際よく血圧を測り、喉の麻酔をかけ、ベッドに寝かせ、検査機器の電源を入れた。
専門の検査技師がきて検査をするのかと思ったら女医さん自ら内視鏡を手にして脇に立った。
美人女医さんは情け容赦なくマウスピースを口に挟んだ。
先端がきらきら光る長〜〜い管をおもむろに突っこむ。
「オエッ〜(>_<)!∞∀(/_;)〆〜(T_T)★(;_;)!」
「身体を楽にしてね。ハイ、もう入りましたよ」
「グッ、グ、ゲッ」
目の前のモニターには自分の胃の中が映っている。
今朝はもちろん飲まず食わず。
それにしても晩酌で摂ったモツの煮込み、マカロニグラタン、はんぺんのバター焼き、お新香二切れ、アサヒスーパードライ500ml×2が見事に消えている。
胃の消化機能に妙に感心してしまった。
カメラは「ミクロの決死圏」のごとく胃壁を照らしながら進んでいく。
シャッターが要所要所で押された。
カメラは十二指腸(多分)まで進み周囲を観察し戻っていくようだ。
そこだけ赤くなった箇所がありカメラは執拗にその部分を照らしている。
女医さんは看護婦に何か指示した。
ワイヤーのようなものを管に入れてグイグイ押し込む。
カメラの先からワイヤーが出てきた。組織を採取したようだ。
そのあとは一気にカメラが引き抜かれ検査が終わった。
「暫くそのまま寝ていてね」といって女医さんは部屋から出ていった。
(以下明日(^^ゞ)
2001年9月11日 火曜日 午後 4:55:20
台風の中迷走している親睦会のバスは、その後どこへ行ったのか。
昨夜はさすがに心配になってきた。
台風の進路を見るとまるでバスが追いかけ回されているような状態だ。
道路は何処もズタズタに寸断されている。
添乗員の携帯に電話をしてもつながらない。
そこで参加者の留守宅に電話を入れた。
1軒は「4時半頃電話があって今日は帰れないから草津にもう一泊する」と連絡が入ったそうだ。
しかし、この男、冗談が多く奥さんに嘘を言ったのではないかと疑った。
もう一軒のお宅に電話を入れてみた。こちらは女性幹事の留守宅だから信頼できる情報が入っているだろうと思ったのだ。
「6時頃電話があってどの道も通行止めで帰れなくなった。今日は草津に泊まって明日帰る」とのことだった。
一泊の予定が二泊になってしまった。
まぁ、車内に閉じこめられていないだけ安心だ。
そして今日。
社員を2名出している会社の社長から先ほど電話があった。
今、新潟廻りで帰路についているそうだが渋滞が激しく車が動かない。とのことだそうだ。
まだ漂流していたのだ。
このまま帰れてもかなり夜遅くなることだろう。ひょっとしたらもう一泊かな?
考えてみると人ごとと笑っている場合じゃないのだ。
追加した一泊料金、予定になかった高速料金、運転手の日当、ガソリン代、その他諸々、そういうものはどうなるのだろう。
会として考えなくてはならないことができてしまった。
台風という自然現象なので誰に責任があるわけではないが、かかる金はかかってしまうのだ。
落ち着いたら幹事会を開いて事後処理をしなくてはいけないなぁ。
2001年9月10日 月曜日 午後 6:20:55
毎年恒例の親睦グループのバス旅行が昨日の朝出発した。
行き先は木曽駒が岳の麓「駒ヶ根」。
先月木曽駒へ行ったときに立ち寄ったところだ。
幹事の私は当然一緒に参加しなければいけないのだがドタキャンする羽目になった。
昨日の朝は出発場所にビールや缶ジュースを運んで、バスに積み込み、見送りをした。
「幹事が行けなくってどうする?」とみんなに責められたが「急遽仕事になっちゃって」と謝ったりした。
仕事というのは本当の話で今日の午後のっぴきならない用事があったのだ。
バスで一緒に参加して宴会を済ませ、明くる朝一番で電車で帰ってくるということも考えたが仕事が午前中にも入ってしまい、それも不可能になってしまったのだ。
折しも台風が接近中。
バス旅行に関しては何とか切り抜けるだろうと思っていたら先ほど幹事の一人Sさんから電話があった。
Sさんも用事があって行程の途中から単独行動を取ったそうだ。
「そっちにバスの連中から何か連絡が入った?」
「いや、なにも…」
「今日の立ち寄りの予定は全部キャンセルして、朝9時半に宿を出たんだ。添乗員と携帯で連絡を取り合っていたのだが中央高速が通行止めで上信越道へ迂回したらしい。ところがそっちも通行止めがあったらしく他へ回ると言っていた」
「山梨辺りが通行止めだとニュースで言っていたね」
「それから連絡が取れなくなったのでそっちに何か情報が入ったかと思って…。この調子じゃ新潟まで逃げないと帰れなくなっちゃうんじゃないかと心配しているんだ」
いやいや、大変なことになったものだ。
私も参加していたら今日の仕事は全部パーになっていた。
それにしても26人が乗った観光バスはどこへ行っちゃったんだろう?
予定ではもうそろそろ地元に到着の予定なのだが…。
2001年9月8日 土曜日 午後 6:24:53
以前から興味をもっていたものに「テーピング」があった。
燕岳、大天井、常念、蝶が岳の縦走を前にして筋肉疲労を最小限に押さえるため「テーピング」をやってみたかったのだ。
以前、知り合いの女性スポーツトレーナーから「登山に有効なのは『キネシオテーピング』ね」と聞いたことがあった。
そこで、書店で「キネシオテーピング」の本を買ってきたのがもう3ヶ月も前のことだった。
本箱に突っこんだままだったその本を引っ張り出して読んでみた。
写真入りで丁寧に解説されていたが自己流で貼るのにイマイチ心配だ。
件のスポーツトレーナーに頼んでキネシオテーピングに詳しい整体師Hさんを紹介してもらった。
登山前日のことだった。
「長い登りを歩いていると疲れて足に力が入らなくなってしまうんです」と症状を話す。
「それは筋肉トレーニングが足りないからです。テーピング以前の問題です」と言い切られてしまった(^^ゞ
Hさんは私が持参したテープを見て「これは違う、これも違う。これは本物のキネシオテープね」と選り分けた。
テープはどれも同じものだと思っていたので意外な気がした。
登山具店で買ったテープがキネシオブランドじゃなく、近所の量販店で買ったものが本物のキネシオテープだったのが面白い。
Hさんは本を開いて「なかなか詳しく書いていますね」といいながら本に書かれていない巻き方も説明してくれた。
さて、いよいよ夜行で出発の直前。
本を見ながらここをこうやって、ああやって、と一人でひっくり返りながら何とか巻いてみた。
大腿四頭筋、前脛骨筋、ヒラメ筋や、Hさんに教えてもらった箇所などを重点的に貼った。
テーピングの成果は、というとこれがサイコー(^_^)v
疲れない、登りも苦にならない、(ゆっくり歩いたせいもあったが)4日間歩いても筋肉痛にもならないのだ。
テーピングの効果絶大であった。
パーティーの中に膝を痛めた中年女性がいた。
常念小屋で自分にもテープを巻いてくれと言うのだ。
「テープを持っていないんだけど…」
「私持っています」といって25oのテープを出した。
「ハサミがないんですけど…」
「私持っています」
自分に貼ったのも初めてなのに人様に貼ってあげるなんて大丈夫だろうか?
自分の貼った箇所を見ながら何とか同じように巻いてあげた。
その後、歩いているときに他の女性が聞いた。
「テーピングはどう? 効いている?」
「なかなか調子がいいわ。とっても楽よ」
それを聞いて内心ほっとしたものだ。
「キネシオテーピング」これは私にとって強力な味方になりそうだ。
![]() |
「キネシオテーピング ザ・スポーツ」 キネシオテーピング協会/編 スキージャーナル/発行 本体1467円 |
![]() |
キネシオテープ各種 |
キネシオテーピングにようこそ http://www.kinesio.co.jp/ |
2001年9月4日 火曜日 午後 5:03:15
自称「ツアーおばさん(仮にKさん)」はとってもユニークな人だった。
まったく気取るところがなく最初の印象はどこかの魚屋のおばさんかと思ったくらいだった。
「私はね、今でも太っているけどもっと太っていたのよ。生活習慣病になってこれじゃいけないって一日一万歩歩くようにして、プールへ行って減量した。そして、山に出会ったの」
「私はね、サンデー毎日(毎日が休日)なの」と、毎週どこかの山に登っているのだそうだ。それもツアーを使って。
「山を知ってから高い山から登ろうと富士山を手始めに北海道の山はみんな登った」
だからありとあらゆる会社のツアーを利用したそうだ。
自らツアーおばさんと言うだけあって山岳ツアー会社に顔が広いこと。
どこそこの社長を知っている。あそこの窓口は横柄だ。あっちのガイドは優秀だ。とまぁ、詳しいこと!
ある日、こんなことがあったそうだ。
人気の会社のツアーは20人30人、場合によっては40人という大所帯になって山を歩く。
当然、各人の脚力に差があるから行列はバラケてしまう。
「そうなるとね、こそこそ陰口を言う人がいるのよ! 『あの人遅いわね。どうして山なんかに来たのかしら』」
「私にその声が聞こえちゃったのよ。私は言ってやったわ、『私はあんたにガイドされているんじゃないよ! あんたに金を払っているんじゃないよ! そんなに自信があるならツアーなんかに参加するな!』って」
それからというもの、わざと遅く歩いてやったそうだ。
現在、一般の旅行会社までもが中高年の登山人気に目を付けたのか山のツアーを企画している。
山のガイドも千差万別、その質も様々だ。
中には山の経験が全くない添乗員を先頭に歩かせる会社もあると聞く。
ツアーおばさんはこういった自身の貴重な経験から、今日のこのC社が一番いいという結論に達したそうだ。
私はガイドにそっと聞いてみた。
「あのKさんが参加するって、会社から聞いていました?」
「ハイ、前の晩会社から電話があって急遽こっちの担当をいいつけられたときに『Kさんっていう人が行くからな』って言われました」
会社がガイドにコースを割り当てるとき、VIPならいざ知らず「カクカクシカジカの人が行くから宜しく」なんて言うだろうか。
それが本当なのだ。それほどKさんはこの世界では有名人なのだ。
上高地のバスターミナルで時間待ちしているとき、若いガイドが4人もKさんを囲んで話をしていた。
「この人はね、槍へ行ったときのガイドさん。学生のアルバイトなの」
「こちらはね、どこそこへ行ったときのガイドさんよ」と、私に紹介するのだからその顔の広さが知れようと言うものだ。
「ツアーおばさん」、いい人に巡り会ったものだ。
長いお付き合いができればいいと思っている。