このコーナーはテッちゃんが日々想う山に関する日記を綴ります。
日記という以上、毎日書くつもりですが抜ける日もあるかもしれません。ご容赦下さい。
皆さんの割り込みメッセージも歓迎します。
2001年6月26日 火曜日 午後 7:52:50
中高年のコースタイムを見たある方からメールを頂いた。
データーの中の地図を「エアリマップ」と記していたのが「エアリアマップ」と直してくださいとのご指摘だった。
今日まで「エアリマップ」だと思い込んでいた。
よ~~く見ると確かに「エアリアマップ」だった(^^ゞ
早速10個のページを直しておいた。まだ間違っているページがあるかもしれない。
このまま知らずにいたらもっと恥をかくところだった。
指摘してくださった方有り難うございましたm(_
_)m
さて、今日は久しぶりに日の出山へ行ってきた。
御岳山のケーブルカーで上がれば1時間で行けちゃう気軽な山だ。
目的は6年ぶりに日の出山の「案内犬」に会うためだった。
会うといったってどこにいるのか分からず、雲を掴むような話で会える確率はまずゼロに等しい。
登山道の右側に小広くなった場所があった。
そこに2頭の犬と小さな羊が日向ぼっこをしていた。
「あの犬かなぁ?」
「耳の先が垂れていたような気がする」
「違うよな」
一応写真を撮って先を急いだ。
日の出山は誰もいなかった。
「案内犬」も来る様子はなかった。
一人の登山者とすれ違ってもと来た道を下った。
先ほど犬が繋がれていた手前の山荘から犬のほえる声が聞こえた。
気になったので山荘の門をくぐって玄関までいってみた。
玄関前には3頭の犬と羊がいた。
どうやら餌の時間らしく女将さんが持ってくる餌を催促しているようだった。
「な~んだ」と思って戻りかけたが何か気になったので引き返して女将さんに声をかけた。
「6年前、日の出山で道案内をしてくれた犬がいたんですが心当たりはありませんか?」
「ああ、その犬はうちの犬です」
ええ~ッ! そうだったんだ。
「名前は『シロ』といいました。でもあなたが会った犬は3年前に死にました」
「!……」
「ここにいる犬はその子供達なんです。こちらは『アカ』そっちの小さいのは『チャチャ』といいます」
「この白い犬は?」
「この犬は野良犬だったのを面倒見ているんです『ノラ』といいます。あっちにいるのは山羊です」
山羊は見れば分かる。それよりも、あの案内犬が亡くなっていたとは…。
女将さんは突然のちん入者にもかかわらず「案内犬」について私の質問に丁寧に答えてくれた。
「あの犬は18年生きました。本当にお利口さんでした。お客さんが神社でお参りをしていてもちゃんと待っていて案内していたんです。
今はこの『アカ』が引き継いで、たまに案内をしますけど時々他の人についてどこかへ行っちゃうんです。まだまだ親にはかないませんね」
『アカ』や『チャチャ』が餌をねだっていて長居は気の毒なので失礼したが、思いがけない顛末に胸が詰まった。
『案内犬シロ』は死んじゃったんだ。
もしもシロに会えたらとソーセージとイカ入りの薩摩揚げを持ってきたのだが…。
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在りし日の『シロ』 1995.8.1撮影 |
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シロの子供達 手前が『アカ』 後ろが『チャチャ』 白いのは山羊 2001.6.26撮影 |
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二代目案内犬、『アカ』 2001.6.26撮影 |
2001年6月22日 金曜日 午後 6:19:05
(昨日の続き)
白井さんのメールを読んで、あの犬がまだ元気で「案内」を続けていることに懐かしさと安心感がこみ上げてきた。
どうやら毛並みが白くなってしまったようだが、自分も負けずに白いものが目立つようになったのだからお互い歳をとったということだろう。
そこで、来週は久しぶりに日の出山へ行ってみようかと思う。
「案内犬」に会えればラッキーだし、たとえ会えなくっても日の出山を訪れたことで「案内犬」との想い出を喚起できるのではないだろうか。
それにしても今回のことで驚いたのは白井さんがネットでよく探し当てたということだ。
ちなみに私も検索してみた。
Gooで「案内犬」と入力。
いろいろなページが現れたがその中に「山恋うる日々のつぶやき2001年1月」とあった。
更に絞って「日の出山 案内犬」と打ってみた。
そうしたらイッパツで「山恋うる日々のつぶやき2001年1月」が一個だけ出てきた。
検索エンジンは常にロボットを使ってネットを巡回しているとは聞いていたが、たったこれだけの文字列を探し出して来るのだから驚きだ。
私と「案内犬」を近づけてくれた白井さんには感謝、感謝。
白井道也さんは今日も訓練のため日の出山周辺を歩いているのだろうか?
2001年6月21日 木曜日 午後 3:55:36
今年、1月14日付けの「つぶやき」で御岳山系の日の出山で出会った「案内犬」について書いた。
それを見た白井道也さんという方からメールを頂いた。
以下、ご本人の了解を得た上で全文を掲載させて頂きます。
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「今いずこ? 日の出山の案内犬」 に寄せて
まさに瞬時に情報の飛び交う昨今、とっくの昔にどなたかから連絡があって御承知のことかと存じますが、ひょっとしたらとも思い、お知らせします。
私にとってはインターネット送信第1号でもありますので、少々勿体ぶって、ダラダラと牛の涎のような駄文になるでしょうが、どうぞ我慢されて御笑覧くだされば幸いです。
私は日の出町の隣にあるあきる野市(旧秋川市)に住んでおり、テント持参の夏季大雪ゆっくり単独行(?)に備えての体力づくりのため、昨年から4~6月頃は、3,4時間あれば気軽に行ってこれる日の出山に足繁く通うようになりました。
そしてその日の出山で、あの犬に初めて会ったのは去年のことです。
その日は午後になってから家を出て、山頂に着いたのは3時前後だったのでしょう。
もう誰もいません。さてベンチで一休みと思った頃、急な斜面の藪の中でガサガサ、ガサガサと音がします。
熊は兎も角としても、ひょっとしたら猪か何かかと一瞬ドキッとしたところに、ヒョイっと現れたのは1匹の茶色っぽい(?)中型犬でした。
野犬かと思い、少々警戒しつつ観察してみると、存外穏やかで、「人品(?)卑しからず」という古びた表現が思わず頭をよぎったほどの表情・立居振舞です。
おまけにシャレた赤っぽい色の首輪をつけ、更に、四角くて小さな、薄い金属片(メダル?お守り?)ようの物までぶら下げています。
そしてある程度の距離を保って四阿の隅に落ち着き、餌をねだる様子もありません。
犬ながら少々の風格さえもかもし出しているの感さえあります。
「山で生き物に餌をやらない」を遵守しているつもりの私もつい心を動かし、水とソーセージを半分ほど与えると、なかなか品のいい食べっぷりで、私の手元に残ったソーセージを更に要求する風もありません。
また気安く尻尾を振るでもなく、定位置の四阿の隅に納まりました。ますます気に入りました。
一緒に来た飼い主にはぐれたのだろうか、それとも平日には閉まっているらしいすぐ下の東雲山荘の犬だろうかなどと、気にしながらも犬と別れ、帰途につきました。
2、30分程降りたところで、今ベンチから立ち上がり、下っていこうとする人に会いました。
大きめの荷を肩にした60歳前後の人で、何日か山を歩いていて久しぶりに人里に近づいたとでも言いたくなるような、また山暮らしという言葉がピッタリするような様子の人です。
日の出山あたりではではあまり見かけないタイプの人です。
直感的にさっきの犬のことが頭に浮かび、あの犬を待っていたのではと、勝手に頭の中で二人(?)を結びつけたのでしょう。気がついたときには、「犬と一緒だったのではないですか?」と、いきなり尋ねていました。
何の脈絡もない突飛な問いかけを、彼は不審がる様子もなく、予期していたかのように聞き、「頂上にいた犬だろう?
あれは御岳の旅館か何かで飼っている犬だよ。」というようなことを平然と言い、さっさと下っていってしまいました。
心配することなど何もないさと言外に言っているかのように感じ、何だか私も安心して山を下りました。
その犬にはそのときを含め、つい半月程前に遇うまで3,4回遇っています。
いつも日の出の山頂です。遇う確率は1~2割といったところでしょうか。
今年の彼は、去年に較べると急に老け込んだ様子ですが、去年の犬と同一であることには間違いありません。いつも1匹だけなので、勝手に「登山犬」と名付けました。
その後インターネットでならあの珍しい「登山犬」について詳しく知ることができるのではと、おぼつかない手順で検索して見つかったのがあなた様のホームページでした。他には私の腕前では見つかりません。
掲載の写真が去年会ったときのイメージとそっくりで、写真は6年も前のはずなのに、「あっ、あの犬だ。」と、確信(?)しました。と同時に、登山犬についての情報がまだ届いていないのなら、私の方が教えてさし上げる立場にあることに気がつきました。
冒頭に牛の涎と断ったにしても、文章が長くなりすぎました。
この辺で6月13日早朝に山頂でお会いした、「日の出山1000回登山」を目指している方からお聞きした話を箇条書きにまとめて(?)、「登山犬」についてのお節介な通信を終わりにしたいと思います。
登山犬も余り有名になり、ファンが多くなると迷惑に思うかも知れません。そういう雰囲気をもった犬ではあります。
・ 5、6年前(?)は 親子(?) 3匹ぐらいでやって来て、餌をねだって吠えたりして、うるさいこともあった。
・ 御岳の日の出山寄りにある宿坊の犬で、客を「案内」して
( 客について?)来て、別れた後、暫く山頂に留まってから帰るらしい。
・ 以前は養沢の鍾乳洞を(鍾乳洞まで?)案内していた。
昨年は毛色も写真のような茶色だったように思うのですが、今年はほとんど白に近い色(年をとると色が変わる??)だったようなことだけが、「案内犬」と「登山犬」を隔てる唯一の壁のように思えます。
たとえ同一でなかったにしても、家族関係にあることだけは、さまざまな状況から間違いなさそうです。
ホームページ拝見後は遇っていませんが、今度日の出山で遇えないようなら御岳まで足を延ばし、写真でもお送りしましょう。
白井道也 (
初回ゆえペンネームにて失礼いたします。 )
2001年6月20日 水曜日 午後 5:40:31
昨日、某パソコン雑誌から取材を受けた。
この3月、自宅に導入した家庭内LANについてだった。
拙HP付録「フレッツADSL&家庭内LAN導入日記」が記者の目にとまったらしい。
昼過ぎに家に帰って驚いた。
家の中がピカピカに磨き上げられていていたのだ。
年末の大掃除より気合いが入っていた。
サングラスをしないとまぶしいくらい^^;
なにもそこまで…、と思うのだが前夜から大騒ぎをしていたのはこれだったのだ。
記者とカメラマンが約束の午後1時に来た。
そのちょっと前にアドバイザーA氏がスタンバイ。
写真をバシャバシャ撮った後、テーブルを囲んで記者が質問をする。
設定の専門用語が次々と出てくる。
私にゃさっぱり分からない。
そこでA氏の出番だ。
どっちが取材されているのか分からない雰囲気だ。
小一時間やりとりがあって記者は帰っていった。
取材はあっても必ず掲載されるとは限らないので、逆取材しようと記者にカメラを向けて数枚パチリ!
さて、どんな記事に仕上がるのだろう。
← 取材風景
2001年6月17日 日曜日 午後 5:52:34
アウトドアライターの津波克明さん(HP 「旅・山・酒・文」)に初めて会ったのは風のBBS(風さん主宰)のオフ会であった。
酒が進むうちに私が一つの質問をした。
「登山地図やガイドブックの標準タイムっていうのは著者がほんとに歩いた時間ですか?」
「いいことを聞いてくれました。その地図の話だけで一冊の本が書けますよ」
と、標準タイムの出し方などを語りはじめた。
「そうだ、そういった質問をHPで答えるっていうコーナーを作ったら面白いかも…」
「いいですねぇ! 改めて一杯やりながら打ち合わせをしましょう」
このときは本気とも冗談ともつかない会話だったが、それが現実になろうとは…。
「カンガルー・ファミリー山の会」を主宰する居酒屋「こまくさ」で2回の飲み会兼打ち合わせが行われた。
タイトルは「津波克明の『山と地図と花Q&A』」と決まった。
本来なら津波さんのHPでアップするものなのだろうが、もったいなくも拙HPを使って頂くことになった。
とりあえずNiftyの掲示板を使ったツリー形式だが、先々画像もアップできる掲示板が欲しい。
CGIを使うことになるのでどういった掲示板がいいのか、いま一生懸命物色中なのだ。
CGIといえばまだ内容は内緒だが、もう一つ以前からやりたいと思っていたコーナーがある。
かれこれ1週間近くも格闘しているのだが、これがなかなかうまく作動してくれない。
CGIはプロバイダによっていろいろな制限があるのでその範疇に納めなくてはならない。
サーバーにメールでアップロードを依頼し、アップロードが完了してから動作確認をする。
う~ん、動かない(^^ゞ
ファイルを手直しして再度アップロード依頼。アップロード完了のメールが来る。
動作確認。またエラーだ(T_T)
この繰り返しが延々と続いている。
まったく「みんなで創る山岳小説」はいつ日の目を見るのだろう…。あれ、言っちゃった。
2001年6月15日 金曜日 午後 6:53:32
「白神山地」といえば東北に広がる大自然を残す世界遺産の一つと聞いている。
広大な地域に学術的にも貴重な動植物が生息し、きわめて価値の高い自然生態系が保たれているところだ。
その白神山地と青森県十和田湖から流れ出る「奥入瀬渓流」。どれも一度は訪れてみたい憧れの場所なのだ。
おまけに「抱返渓谷」「田沢湖」「八幡平大沼」「深浦十二湖」それに「八幡平」。いや~、もう垂涎ものだ。
それらをいっぺんに連れて行ってくれるツアーに参加した。
「初夏の東北 新緑ハイキング」と銘打った2泊3日のツアーなのだ。
往路は東北新幹線のグリーン車、復路は秋田空港からヒコーキという何とも贅沢なものだった。
訪れた順番はともかくとして、まず「白神山地」。
青森県鰺ヶ沢町にある「ミニ白神」という白神山地の核心部から遠く離れた北の端っこにある観光施設(?)だったのだ。
鬱蒼としたブナ林の中を一周およそ一時間、整備された遊歩道を歩く。
白神岳とは言わないがそのアプローチでも歩くのかと思った。
う~ん、これなら西丹沢のヤタ尾根の方がよかったかな?
でも、奥入瀬渓流は感動ものだった。
ポイントを二時間弱しか歩かせてくれなかったが真っ白に迸る清流。人の手をいっさい加えない自然。
ムラサキヤシオツツジが満開だった。
ここは機会があればまたゆっくり来てみたいところだ。
「八幡平」は歩く予定はなかったが遊歩道を一周することができた。
雪がたっぷり残っていてこの時期、ザクザクと雪渓を歩けたのは思いがけない収穫だった。
最終日の「深浦十二湖」。
なんでも湖が三十二個もあるそうで、それなのに十二湖とは?
これは大崩山から見ると12個しか見えないところからそうなったらしい。
林道の奥にある「青池」の透き通った緑の水面に木々が映ってこれもまた充分に神秘的であった。
ともあれ、おやすい値段でここまでご案内してくれるのだから文句の言いようがない。
お天気はといえば連日の上天気!
朝、低い雲がかかってこれは雨だな? と思っていても行程が進むにつれて雲が切れ、青空が広がって、持っていったゴアの合羽も折り畳み傘もまったく出番がなかった。
帰りの飛行機の中で東北地方の梅雨入りを知った。
羽田に着くと雨。ここで初めて傘のお世話になったのだ。
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八幡平の雪と花 | 青池の水面に映る木々 |
2001年6月9日 土曜日 午後 7:04:07
(昨日の続き)
「女の人と二人っきりで小屋にいるっていうのはいやなもんだね、オヤジさん」
「あるよ、若い女の子が泊まったことが…」
「陽気な女性ならいいんだけど陰気な人だと何か不気味だね」
「雨の降る夜、小屋の扉を叩く人がいる。窓から覗くと若い女の人だった。思わず懐中電灯で足下を照らした」
「分かる分かる」
「足があるのかって聞いちゃった」
「足はあったかい?」
「ちゃんとあった」
「以前、表のある小屋で一人で留守番をしていたことがあった。深夜、誰もいないはずの階下で物音がする。そ~っと下へ降りていくと女が一人いるじゃないか! びっくりして足元を見た。それが足が無かったんだよ! 気を取り直してよ~く見るとスリーピングバックに足を入れて寝ていたんだな。聞いたらその女性はいつもそうやって一人でそっと泊まって帰っていくらしい。変な常連だな」
そのほかに、尊仏山荘が出来る前の3人が遭難した話。
天神尾根の遭難の話。
まぁまぁ、話題は多岐にわたって尽きない。
雨が上がって常連さん達も写真を撮りに塔の岳方面へ出ていった。
我々も政次郎尾根を目指し小屋を後にした。
空になった小屋で書策さんは今度はどんな芸術作品に取りかかるのだろうか。
2001年6月8日 金曜日 午後 4:30:29
雷雨にうたれて書策小屋へ飛び込んだとき、小屋の中には常連さんと思しき4人がいた。
その中の西田敏行にそっくりな風貌の人がしきりに書策さんと話をしていた。
話をしていたというよりお互いからかいあっているといった雰囲気だった。
「おやじさんよ~、もう5ヶ月も小屋に隠って、いつ降りるんだい?」
「予定はない」
「携帯電話、持っているの?」
「持っているヨ」
「じゃ、いざとなったら戸沢の交番に電話すりゃいいんだ」
「あの交番は平日は誰もいないよ」
「誰もいなきゃ繋がるわけないよな。ヘリを呼んじゃった方がいいかもしれないな」
「ヘヘヘ」
「ヘリが迎えに来てくれるんだ。さすがオヤジさんだ、いいなぁ」
「オヤジさん、降りたら真っ先に何をしたい?」
「確か秦野の駅前に眼鏡屋があったな。メガネを直したい」
(書策さんのメガネは右のレンズが割れてしまってテープで留めてあり、痛々しい)
「目ん玉も一緒に取り替えて貰うんだ」
「メガネと目ん玉、両方取っ替えちゃうんだ、そりゃいいや。目がよくなるぞ~」
「この小屋、出来て何年になる?」
「さぁ、何年だったかなぁ、覚えていないな~」
「檜洞の青が岳山荘が40周年なんだよ。俺も呼ばれたんだけど行けなかった。同じくらいかな?」
「この小屋はな、夏は涼しく、冬は暖かいように方向を考えて造ってあるんだ」
「なるほど、北はこっちで南があっちだから日の入る方向や風の向きがちょうどよくなっているんだな」
「女の人と二人っきりで小屋にいるっていうのはいやなもんだね、オヤジさん」
「あるよ、若い女の子が泊まったことが…」
(ちょっと時間がなくなっちゃった。以下、後日書きます(^^ゞ)
2001年6月3日 日曜日 午後 7:12:38
昨日は、出入りの内装業者が「世話になっているので招待します」といって飲みに連れて行ってくれた。
近所の居酒屋で料理をたっぷり食べて酒を少々飲んで2次会へ、ということになった。
蒲田まで繰り出したのだが繁華街の夜を歩くのは何年ぶりかのことだった。
バブル全盛の時は、可愛いオネーチャンの呼び込みや酔っぱらいでごった返していた街も土曜日にもかかわらず何となく閑散としている。
ビルの6階のスナックは広いホールにカラオケのステージがあった。
客は片隅に一組。それもかなりご年輩の男女だった。
驚いたことに店のスタッフはみんな男性。
それも高齢のオジサンがネクタイに黒いチョッキを着てちょこまかと動いている。
歌い、飲んで盛り上がってきた頃に客が次々と入ってきた。
またまた驚いたことに、その客達の誰もが相当の年輩者ばかりなのだ。
「ここは『老人いこいの家』か?」と思うほどだった。
「この店はお年寄りが多いね」と内装業者に聞くと、
「この店の仕事をやらせて頂いただけで客として来たのは初めてです」
「会計の時に年金手帳を見せるのかな?」
などと冗談を言って笑った。
しかし、よく考えてみるとこれからますます高齢化が進むと、このような光景がそこここに見られるようになるのではないか。
そういう意味から言えばこの店はかなり時代を先取りした店といえる。
その中に客として混じっている自分がまったく違和感がなかったのも事実だったのだ(^^ゞ
2001年6月1日 金曜日 午後 4:49:24
昨夜はアウトドアライター津波克明さん(HP「旅・山・酒・文」主宰)と待ち合わせのため、居酒屋「こまくさ」へ行った。
南武線「西国立」の駅前にその店はあった。
店に入ると山の写真や絵が壁一面に飾られている。
カウンターには’93年頃からの「新ハイキング」がズラッと並び、一目で”山のお店だ”と分かる。
ビールを一口飲むと津波さんが到着した。
沖縄からの帰りでその足でここに来たのだという。
実は、大菩薩の丸川峠にある山荘「丸川荘」のHPでこの店のマスターが紹介されているのだ。
マスターの橋本良春さんは丸川荘の常連でギターと歌を得意としている。
作詞作曲をこなしオリジナル曲は40曲以上になる。
肴が出そろったところで後ろのテーブルでマスター、橋本さんの弾き語りが始まった。
ギターの音色にまろやかな声が店内に響く。
津波克明作詞、橋本良春作曲の「北岳コール」だ。
思わず一緒に口ずさみ、手拍子を拍ってしまう。
「丸川峠賛歌」を聞いて翌日そこへ行ってしまったという人がいるほど、山への郷愁を呼び起こす歌声なのだ。
お客さんもすべて山の仲間。
高尾、陣馬、景信ばかり年に50回も登っているという人もいた。
このお店で山の会ができているらしい。
年に5回ほど定例の行事があるのだそうだ。今度仲間に入れてもらおう。
津波さんとの”密談”が終わる頃にはもう10時を回っていた。
今度風さんのオフ会を「こまくさ」でやろうか? と話しながら駅のホームでお別れとなった。
弾き語りも聴けたし、美味しい酒も飲めたし、有意義な話も聞けたし、おみやげも貰っちゃったし、今夜は最高! の津波さんとの”密会の夜”であった。
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← 橋本良春さんの「山の歌」オリジナル集 |