【日 時】 ★2006.5.2(火) 【山 域】 ★青森の山 岩木山(1625) 【地 図】 ★山と高原地図 「八甲田・岩木山」 【天 候】 ★雨のち曇り 【行 程】 ★8合目−−リフト9合目〜岩木山〜リフト9合目 |
所要時間
|
「南・北八甲田縦走と岩木山」というツアー広告が目に入った。 八甲田山、岩木山ともにあこがれの山だし、なかなか行けない南八甲田も日程に入っている。 こりゃ、行かないと後悔する。 速攻で申し込んだ。 あとでよく見ると、サブタイトルに「登山教室・雪山技術講習」とあった。 きっと体力を使う厳しい訓練があるのだろうか? 単なる登山ツアーではなさそうだ。ついて行けるだろうか? 不安がよぎった。 しかし、既に申し込んじゃったあと^^; 不安と期待を胸に青森空港に降り立った。 バスに乗り込むとそのまま岩木山スカイラインに向かった。 外は霧雨が降っている。 山岳ガイドが言った。 「登山教室なのですから早速講習を行います」 |
|
バスの中で講習がはじまった。 | シュリンゲ・細引きの結び方と使い方。 |
雨具を付けて出発準備。 | ゴンドラ乗り場へ。 |
大館鳳鳴ヒュッテが眼下に。 | 大館鳳鳴ヒュッテの建立の由来。 |
昭和39年1月、本州北端の津軽富士で高校生たちの悲劇が発生した。 「空と山のあいだ―岩木山遭難・大館鳳鳴高校生の五日間」という本を読んだことがあった。 高校生が4人死亡、一人が生還した痛ましい遭難事故だった。 彼らは毎年大晦日に岩木山に登るのが恒例になっていた。 この日は吹雪で道を失い日本海側へ降りてしまった。 人家もなく5日もの間白魔の中をさまよい、ついに4名が大鳴沢の雪中に散った。 生き残った一人はなぜ生還できたのか。 彼だけがおじいちゃんから借りた「ラクダの股引」をはいていたからだという。 ここに避難小屋があれば二度とこんな悲劇は起こらないだろう。 そんな思いの結集が昭和40年9月「大館鳳鳴ヒュッテ」の建立となった。 |
|
9合目から歩き出す。 | 雨はやんだがガスが立ちこめている。 |
樹氷がきれいだ。 | 山頂に到着。 |
雨がやみ青空が広がった。 | 大館鳳鳴ヒュッテの前付近。 |
ゴンドラ9合目から山頂までは30分の距離。 1時間あれば往復できてしまう、最短距離のラクチンコース。 山頂に着くと、待っていたかのように空が明るくなり周囲の展望が広がった。 あこがれの岩木山山頂、感激の瞬間だ。 岩場でロープを使う練習をしながら下る。 雪と岩の混じった箇所が多かったがおおむね歩きやすい。 夏は結構暑いそうだ。 さて、この日の泊まりは「酸ヶ湯温泉」 山小屋に毛が生えたものかと馬鹿にしていたらとんでもない。 れっきとした温泉宿なのだ。 次へ |