このコーナーはテッちゃんが日々想う山に関する日記を綴ります。
日記という以上、毎日書くつもりですが抜ける日もあるかもしれません。ご容赦下さい。
皆さんの割り込みメッセージも歓迎します。
2001年5月30日 水曜日 午後 4:25:24
昨日は丹沢表尾根のツツジを見ようと書策新道を登った。
山のてっぺん付近はガスがかかって「これじゃ展望はないな」と思いつつ歩き出した。
水無川本谷を越えてジグザグの急登を登ると木の又新道(木の又ツツジ新道・modokiさん命名?)の分岐らしき踏み跡を発見した。
もしこれが木の又小屋への直登コースならこちらを上がった方が「シロヤシオの広場」は近い。
暫く考えていたがもし間違っていたら面倒なのでそのまま直進した。
水場を越えた頃「ピカ!」っと光るものがあった。
稲光だ。
それまでは雲はあったものの暑いくらいで吹く風が気持ちよかったのだ。
空を見ると真っ黒い雲が上空を覆っている。
雨が降ってきた。
書策小屋は近いはずだ。このまま逃げ切ろうかと思ったが雨足も強くなってきたし、万一書策小屋が開いていなかったら悲惨だ。
ここで雨具を付けることにする。
およそ10分で書策小屋へ飛び込んだ。小屋は開いていた。
小屋には4人の常連さんらしい人が雨宿りをしていた。
「書策おじさんはいないんですか?」と聞くと、「そこにいるよ」と目の前を指さした。
雷は小屋の真上でゴロゴロ言っている。
雨はますます強くなってきた。
「オヤジさん、この雨、止むかね?」と西田敏行に似た常連さん。
「やまねぇな。ず〜っと降り続けるな」と冗談交じりに言う。
お茶をご馳走になりながら西田敏行(仮称)さんと書策おじさん、それに我々がテーブルを囲んで山小屋談義になった。(この時の会話は次回書きます)
書策さんがあるものを持ってきた。
「なんだこれぇ?! オヤジさん5ヶ月も隠ってると思ったらこんなものを作っていたのか!」と、西田敏行さん。
それは木の枝や根が巧みに絡まったものに磨きをかけて作り上げた書策さん自慢の芸術作品だったのだ。
「これいいなぁ、欲しいなぁ」と私が言うと。
「だめだ、これが世間出でたら警察に捕まっちゃう」
写真を撮ろうとすると「これ! 何をする、女房に見つかったら怒られちゃうよ」
「奥さんがこれを見たら『あんた、小屋でこんなものを作っていたの!』と言われちゃうよなぁ」と、西田さん。
奥さんに見せませんからと芸術作品を数枚、パチリ。
いつしか雷鳴も聞こえなくなり、雨が止んだ。
雷雨のおかげで書策さんと楽しいひとときを過ごすことができたのでした。
←書策さんの芸術作品
(作者の意向でモザイクをかけています(^^ゞ)
2001年5月26日 土曜日 午後 5:56:05
最近、テーピングに興味を持ちだした。
手始めに連休の檜洞丸に行ったとき試験的に張ってみた。
テープの入れ物に書いてある簡単な説明だけなので本式の張り方なのかは分からないが、足のふくらはぎに踵から3本のテープを膝の裏まで貼って登りの筋肉にどう作用するのか試してみた。
ツツジ新道の連続した急登にもかかわらず疲れが出ず快適だった。
しかし、下りで使う筋肉の太股の表側にはテープを貼らなかった。
そのためか太股だけが筋肉痛を起こしてしまった。
これでテーピングの効果が分かったので、次回からはあちこちにテーピングして山を歩いてみようと思っている。
2001年5月23日 水曜日 午後 4:00:59
朝から鬱陶しい雨が降っている。
出かけるのに自転車だと濡れるし、かといって歩きもかったるい。
ザックからゴアの雨具を引っ張り出し、合羽で出かけることにした。
普段着るゴムの合羽はあるのだがなぜか今日は山の雨具を着てみたかったのだ。
これがなかなか調子がいい。
スーツの上に着ても違和感がないし、蒸し暑くならない。
下をはくときもジッパーで幅広になっているからすんなりはける。
小一時間自転車で駆け回ったがなんか山を歩いているようで楽しくもあった。
山用の雨具も地上でも大活躍だった。
ザックの中で眠らせておくのはもったいない。
2001年5月21日 月曜日 午後 6:22:23
中学生の時まで教室の席は一番前だった。
席順を決めるのは背の高さで決められていた。
背が低かった私は常に一番前の席に座らされた。
母は「おまえは足が大きいからきっと背が伸びるよ」と慰めてくれたがいっこうに成長する気配のない背丈が恨めしかった。
子供心に悩んでいたある日、何かの本で背を伸ばしたかったら毎晩寝る前に背伸びをするといい、という記事を読んだ。
それから布団の上で足のつま先から頭のてっぺんまで思いっきりノビをして寝るのが習慣になった。
高校に入った。
それでも席は一番前だった。
「地位も名誉もなんにも要らぬ、わたしゃただただ背が欲しい」なんて古い漫才のせりふのままだった。
ところが高校1年も終わりに近づいてきた頃、急に背が伸びだした。
周りの景色が見る見る下がっていくような伸び方だった。(大げさか(^^ゞ)
友人達も「おまえ、急に背が伸びたな」と驚くほどであった。
いまの若者の体格とは比べものにならないが当時の私の喜びは大きなものがあった。
足が大きいから背が伸びるよ、という母の言葉が真実だったのか、毎晩の背伸びが功を奏したのか、あるいはその両方なのか理由は分からないがとりあえず満足がいく背丈が確保できたのだ。
山をはじめたのも6年前、背が伸びたのも10代後半から、どうやら私は何事にもオクテなのかもしれない。
2001年5月19日 土曜日 午後 6:50:24
来週の火曜日、沢に誘われた。
沢は暫くご無沙汰していたので久しぶりに行ってみようと言う気になった。
ところが法事が入ってオジャンになってしまった。
この法事は自分だけ不参加の予定にしていたのだが参加者が増えて急遽車を出すことになってしまった。
沢もいい季節になった。
短くて易しい沢だっらぜひ行ってみたかったのに…。
今日のように天気がいいと(さっき夕立があったけど)お山のてっぺんで昼寝をしたくなる。
気持ちいいだろうなぁ。
2001年5月17日 木曜日 午後 6:11:08
用事があって都庁へ行った。
ここへ来ると必ず通らなくてはいけない関所がある。
ヨドバシカメラだ。
今日もフラッと店内に。
店から出てきたときに手にぶら下げているものがあった。
携帯用の小さな三脚、デジカメのストラップ、それにスマートメディアをクリーニングするキット。
どれもこれも小物ばかりで今すぐ必要なものでもない。
どうも私には浪費癖があるのかも?
2001年5月16日 水曜日 午後 8:09:42
おとといから傘マークが付いたの、消えたのとか、どこの山へ行こうかとかあれこれ思案しているうちに明くる日になってしまった。
太陽が大分高く昇ってからノコノコと起き出してコーヒーを飲む。
本日のご予定は一切なし。今日はどうして過ごそうかと考えていると予定がないならお墓参りに付き合ってと言う。
墓園は鎌倉で比較的近いからいいよと請け負った。
さえない頭がだんだんハッキリしてきた。
鎌倉には天園というハイキングコースがあったな。
墓参の後はそこを歩いたらどうだろう、ということになった。
家を出たのは11時30分。墓参を終えたのが1時半。
鎌倉宮のハイキングコース入り口に立ったのはなんと2時。
ザックも背負わず、何も持たずに歩き始めた。暑い日差しも樹林に入ると冷たい風が気持ちいい。
平日にもかかわらずさすが鎌倉、人が多い。
およそ40分で太平山を越え、天園に着いた。茶屋が2軒営業していた。
小休止の後、瑞泉寺へと下る。
雑踏を離れ、適当なアップダウンがあって気持ちのいいハイキングコースだ。
木の根っこの草むらでガサガサと音がする。
目を凝らしてみるとリスだった。身軽に木をよじ登って姿を消した。
茶屋から1時間少々で車を停めた場所に戻った来た。
鎌倉の駅まで商店街をソフトクリームを舐めながら散策。
そうだ、今日の予定はまだあったのだ。
鶴見によってザックを物色することだった。
ザック売り場には顔なじみの店員さんがいた。
この店のお勧めのザックは決まっている。
重量の割には担いで軽く感じるザックが売り物なのだ。
半分はその気だったので思い切って買ってしまった。
50リッターも入るそんなザックを買って、いったい何を入れるんだろう?
2001年5月13日 日曜日 午後 1:27:10
文章を書く前にあれとこれを書かなくっちゃと決めて書き始める。
しかし書いているうちに枝葉末節にとらわれて肝心なことを忘れてしまうことが多い。
アップロードした後に気が付くのだからボケの始まりか^^;
そんなわけで昨日の続きを…。
参加者の中に低山山歩とリンクしている「スタジオA・自然写真館」のスタジオAさんがいた。
鳥取県に行って来たらしく「水木ロード」のおみやげを全員に買ってきてくれた。
水木しげるの世界が鳥取にあったとは知らなかったがとっても可愛いキーホルダーなのだ。
私は携帯のストラップに付けることにした。
←スタジオAさんのおみやげ
最年少の女性、にくさんがいた。
にくさんは「マルマンマ」というHPを主宰している。
日記と詩が若い感性に溢れていてとってもいいと風さんのお薦め。
また、彼女の「貧乳同盟」のページがおもしろいと教えてくれた。
この日のオフ会は「風の頁」の常連さんの集まりだったが、参加者の最大年齢差31歳とは!
いま思い出したが確か焼酎のボトルが2本空になっていたな、それにビールを10本くらい注文したような気がする。
ええと、これで書き忘れはなかったよな(^^ゞ
2001/5/12 (土) 午後 7:07:45
アウトドアライター津波克明さん、風の頁、風さんの主宰するオフ会が開かれた。
津波さん、風さんにはHP、BBS等でお世話になっていたのでこういう機会があったら是非参加したいな、と思っていた。
大都会新宿、ハナキンということもあって人が多い。
待ち合わせの喫茶店を探し当て、店内を見回した。
HPで見た顔に似ている人が座っている席があった。
案の定、風さんだった。
既に4人が集まっていて名刺を交換し、自己紹介をする。
場所を居酒屋へ移動。
やがて全員集合して8人になった。
飲むほどに酔うほどに話題はつきない。
山のガイドブックや地図を著している津波さんはじめ、デジタルトレースの仕事をしている人や、出版社で重要な地位にいる人など農大出身者はさすがプロ集団が多い。
津波さんには山に関する素朴な疑問を投げかけたり、山の裏話など聞くことができた。
津波さんと、ある企画の案が出た。
これを具体化するために、また一杯やりましょう、と再会を約し握手を交わした。
次はどこへ行こうか、などと勢いが止まらないようだったが、時間は既に11時を回っている。
後ろ髪を引かれるようだったが今日のところはこれでお開きになった。
満員の電車に揺られながら今日の有意義なオフ会を振り返っていた。
2001年5月8日 火曜日 午後 4:43:30
檜洞丸の青が岳山荘が創設40周年とのことで小屋番のトンボちゃんから来ないか、とのお誘いがあった。
青が岳には例年この時期にお邪魔していることもあってありがたくお誘いを受けた。
西丹沢自然教室からツツジ新道を使って登り始めた。
途中、展望台の手前あたりで歩荷隊に出会った。
小屋のスタッフしんちゃんと初対面のちびゆきえさんだった。
その後ろに小屋のオーナー、高城さん(みんなオヤジさんと呼んでいる)が歩いている。
展望台に着くと、いるわいるわ小屋の常連さんやスタッフたちが大勢休憩していた。
我々は一足お先に頂上へ向かった。
石棚山への分岐を越え、木道を登っていくと上から「テッちゃ〜〜ん!」という声が。
なんとありがたいことにトンボちゃんのお出迎えだ。
オヤジさんの「あとからゆっくり上がるから」との伝言を伝え小屋へ入った。
どうやら一番乗りのようだ。
トンボちゃんはオヤジさんを迎えるための緊張かソワソワ落ち着かない様子。
小屋はきれいに磨き上げられていた。
やがてオヤジさんはじめご一行が到着。
オヤジさんは5年ぶりに見る我が小屋を感慨深そうに見回していた。
←オヤジさんになにやら説明する小屋番さん
だいだいさんが友人を連れて到着。
やや遅れてYAMACatさんが到着。初対面の挨拶を交わす。
YAMACatさんは山中湖からの縦走だという。驚きだ。
その間に飛び込みのお客さんが何組か入ってきた。小屋はにわかに騒がしくなった。
中に大阪から夜行バスを使い、蓑毛から塔の岳(泊)、丹沢、蛭と縦走してきた中高年5人組がいた。
その元気さには驚きだ。
小屋の中は満杯状態に。
オヤジさんは自らドリップでたてたコーヒーを振る舞っている。
午後6時。司会の発声でトンボちゃんの挨拶、オヤジさんの挨拶があり、乾杯となった。
今日を記念したオリジナル手ぬぐいが全員に配られた。
思いがけずここに泊まった登山者も大喜び。
あっちこっちで酒盛りが始まる。
小屋の前では4頭ほどの鹿が草を食べていた。
小屋は祝賀モードに包まれて夜が更けてもその灯が消えることはなかった。
2001年5月7日 月曜日 午後 2:30:45
5月5日は朝6時ちょっと過ぎに家を出て、まだすいている高速を順調にとばした。
西丹沢自然教室に着いたのは8時50分。
そこで心配していた事態が起こった。
駐車場が既に満杯だった。車が路肩まで溢れて停められる隙間がまったく無い。
困ったなぁ、とウロウロしているとツツジ新道登山口の目の前にキャンプ場があった。
ここに停めさせてもらおうと車を降りるとちょうど軽トラックが出てきた。
「キャンプ場の方ですか?」
どうやらキャンプ場のオーナーらしい。わけを話すと快諾してくれた。
二日分2千円を払って一安心。
←檜洞丸山頂付近のバイケイソウ
明くる日、下山してくると「お帰りなさい。早かったですね」と笑顔で迎えてくれた。
「こちらでコーヒーでもいかがですか?」と管理棟へ案内された。
どうぞお読み下さい、と新聞や雑誌を出された。
「私は山へ登ったことはないんですが、よく聞かれるもので買っておきました」と丹沢登山のガイドブックが2冊あった。
「お風呂に入っていきませんか?」と真新しい建物に案内された。
「川の水を使っているんですがこれが意外と滑らかなんですよ。露天風呂みたいなものですけど…」
「駐車料金を頂いたので入浴料はもちろん要りませんよ」と、こちらの心配を先回りするように言った。
浅めの浴槽にお湯が溢れている。シャワー付きのカランが二つ。
突貫工事で造ったという割には立派なお風呂だ。
好意に甘えようかと迷ったがブナの湯も気になっていたので今日のところは遠慮することにした。
「思いがけなくこの土地を借りることができて急遽重機を入れたりして整備したばかりなので。だからまだパンフレットもできてないんですよ。やっと5月3日にオープンしました…」
と、オーナーさんは話してくれた。
そんなことをやっていたので待ち合わせていただいだいさんが通り過ぎてしまった。
お世話になった礼を言い、感じのいいキャンプ場なので「宣伝していおきますね」といって別れた。
どれほどの宣伝効果があるかしれないけど…。
キャンプ場 「ウェルネス丹沢」 支配人 竹内秀伸
神奈川県足柄上郡山北町中川868 TEL0465−78−3030
2001年5月3日 木曜日 午後 12:03:42
GW後半の初日は生憎のお天気になってしまった。
それでも今朝のテレビではどこの高速道路も大渋滞を伝えていた。
5日の土曜日から久しぶりに檜洞丸へ登ることになった。
青が岳山荘の40周年とかで記念のイベントがあるという。
そういえば、檜洞へ登ったのはちょうど1年前だった。
ヤタ尾根から登ったのだが東名高速の渋滞に巻き込まれ時間が大幅にオーバーしたことを覚えている。
あさってはかなり早出をしないと渋滞だけではなく登山口に車を停めるところがなくなってしまうかもしれない。
早起きは辛いけど渋滞はもっと辛い。
早寝早起きを心がけねば…。
2001年5月2日 水曜日 午後 7:27:54
このところ明らかにイタズラと思える書き込みが拙HPの掲示板に出没している。
自分のHPへ呼び込んで驚かせたりいやな気分にさせる、そういった目的のものが多い。
それらに限って「自然保護」だの「山を愛す」だのとたいそうな表題を付ける。
せっかくみんなが楽しくカキコしているのに水を差すような行為だ。
その心根は妬みか、ひがみか、はたまたそういった行動でしか自己を主張できない性格なのか、まったく世の中にはいろいろな人間がいるものだ。
訪問された方に迷惑をかけるので即刻削除するようにしているのだが…。
おかげで削除の方法が上手になった。
それが自分にとって唯一の効用かもしれない。