このコーナーはテッちゃんが日々想う山に関する日記を綴ります。
日記という以上、毎日書くつもりですが抜ける日もあるかもしれません。ご容赦下さい。
皆さんの割り込みメッセージも歓迎します。
2001年4月30日 月曜日 午後 8:00:17
昨日のシダンゴ山は楽しかった。
山は初めてという人も含めて総勢7人の団体になった。
山頂で鍋を作る。
みそ味の鍋はこの世のものかと思われるほど美味かった。
結局4回も鍋を作ってそのうち2回は具入り、あと2回はうどんだ。
普段小食の人もこのときばかりは4杯も食べたのだからそのおいしさが分かろうというものだ。
山で食べるものは何でも美味しいものだ。
空いていた山頂もほぼ満員になって、写生している団体、家族連れ、昼寝をしている人、様々な光景が見られた。
2時間近く山頂で楽しんで下山後は「せせらぎ山荘」で温泉に。
お一人様525円。湯加減もよく、肌がツルツルして気持ちのいい温泉だった。
雨がだんだん強くなってきたが「洒水の滝」を見学。
246号も東名高速も多少の渋滞はあったもののさしたる障害もなく全員無事に帰宅できた。
山が初めての人もこれによって登山が好きになってくれるといいのだが…。
リポビタンDはあらかじめ飲んではいけない。
眠くなったら飲む。これが効果のある飲み方のようだ。
昨日はよく効いた(^_^)v
家に帰ってケイタイが無いのに気が付いた。
町中で無くしたか、山中で落としたか? 一瞬青くなった。
拾った人がいないか自分のケイタイに電話してみた。
ザックの底から呼び出し音が鳴った(@_@)
ホッと一安心。
2001年4月27日 金曜日 午後 8:52:38
本日午後、職場にフレッツISDNが開通した。
これで自分のパソコンすべてが常時接続になったのだ。
電話料金を気にしないということは精神衛生上とってもいいことだ。
もう、あっちもこっちも繋ぎっぱなし! ああ、いいなぁ(^^)/
ところで、あさっての日曜日は臨時休業して「シダンゴ山」へ行くことになった。
近所の友人たちやそのファミリーでお気軽登山を楽しもうという企画なのだ。
ヨモギ平でやったような簡単な鍋でもできるといいと思っているのだが、あの時の味はどうしたら出せるんだろう?
ま、何でもいいから突っこんでごった煮にすれば出汁が出るのかもしれない。
これをきっかけにみんなが登山のすばらしさを実感してくれれば私の思いは果たせるのだけれど…。
2001年4月25日 水曜日 午後 6:12:34
昨日の扇山はとってもいい山だった。
歩行時間は短いが午後から天気が崩れるとの予報だったのでちょうどよかったのかもしれない。
登山口の近くに「君恋温泉」があった。
車を置いたところからすぐなので寄ってみた。
平日でしかも一人では入れてくれないだろうかと心配しながら民家の玄関のような入り口の前に立った。
玄関を開けると誰もいない。インターホンを押すと女性の声がした。
「風呂だけ入れてもらえますか?」
「何人でしょうか?」
「一人です。すいません」
「どうぞ」ってな会話があって風呂場に案内された。
入湯料は500円だった。
富士が見える露天風呂かと思ったら何にも見えない小さな風呂場だった。
蛇口のお湯はチョロチョロ、浴槽の湯は熱すぎ。でも汗を流すには充分な環境だ。
一人でゆっくり湯に浸かってリフレッシュする。
帰ろうとするが人が居ない。
大声で「どうもありがとうございました〜〜!」と叫ぶ。
女性が奥から出てきて「ちょっと待ってください」という。
「これはサービスです。召し上がってください」とお盆にのったみそ田楽を差し出した。
「じゃ、ここで一服させて頂きます」とお礼を言って玄関のソファーに座った。
自動販売機でサイダーを買って田楽を食べる。これが美味かった。
食べ終わってさぁ帰ろうと奥に声をかけるがいっこうに返事がない。
仕方なく、そのまま帰ってきてしまった。
「君恋温泉」は山の中の一件宿という素朴な感じでいいんじゃないかなぁ。
帰路はそのまま直進し、大月から中央高速に入った。
走り出すといつものように猛烈な眠気が襲ってきた。
サイダーがいけなかったのか、みそ田楽との食い合わせのためか、あらかじめ飲んでおいたリポビタンDが効かない。
「ファイト〜〜! イッパ〜〜ツ」と叫んでも睡魔は退散してくれない。
仕方なく談合坂SAで仮眠をとった。
目が覚めるとフロントガラスに水滴がいっぱい。
雨が降ってきたのだ。
よいタイミングで登ってきたものだ。
君恋温泉の入り口
2001年4月20日 金曜日 午後 4:20:19
山から降りてきて麓の日帰り温泉に浸かって高速道路を走って家路につく。
本当はビールの一本くらい飲みたいところだが車を運転する関係上アルコールを飲むわけにはいかない。
ビールは何とか我慢ができても走行中の眠気はどうすることもできない。
よく今まで事故を起こさなかったと感心するくらい毎回睡魔におそわれる。
目はぱっちり開いていても脳が耐えきれずいつの間にか熟睡モードに入っている。
はっ!と目が覚めると前を走っている車が目前に迫っていて急ブレーキをかけたりすることなどしばしばだ。
山で死なずに交通事故で死んだんじゃ笑いものだ。
15日の鍋山行のあと、ちょっと眠気が差してきたのでガムをかんだ。
同乗の人が「眠気覚ましには”リポビタンD”が効くらしいよ」といった。
その人曰く。
山の帰りに乗せてもらった車にリポビタンDがいっぱい積んであった。
「眠気覚ましにこれが一番いい」と言ったそうだ。
その話を家に帰って奥さんに話した。
奥さんは仕事中よく眠気が襲ってきて困っていたそうだ。
その人の奥さんは早速リポビタンDを買ってきて会社で飲んだそうだ。
それ以来仕事中に眠く寝ることがなくなったという。
栄養ドリンクが眠気覚ましになるとは、にわかに信じがたかったが、17日の火曜日、高尾山の帰りに私も試してみた。
話は本当だった。
運転中、お目目ぱっちり、頭すっきり、眠気なし、快適に運転することができた。
実はこの日、PAで少々仮眠をしていたのだ。
仮眠が効いたのか、リポビタンDが効いたのかこの日のテストだけでははっきりしない。
仮眠しても眠くなるときは眠くなるのだから効いていると言えば効いているのだろう。
次回、仮眠なし、リポビタンDだけで走ってみたいと思う。
睡魔に勝つには寝るのが一番(^^ゞ
2001年4月17日 火曜日 午後 10:38:42
去年の今頃の高尾山が桜の見頃だったので今年も行ってみた。
ところが桜の名所、一丁平はもう終わりだった。
しかし、散り始めの桜吹雪が地面に積もって少し変わった風情を醸し出していた。
城山まで足を延ばしてみると、ここの桜はちょうど見頃で満開の桜の下で大勢の登山者が休んでいた。
平日にもかかわらず茶屋が営業していたので名物のナメコ汁とおでんを注文、早めの昼食とした。
帰りはいったんもと来た道を戻り日景沢へ。梅園を抜けて車道を歩いて駐車場へ戻った。
野鳥のさえずりや日に日に濃くなっていく緑の中を歩くと本当に心が洗われる。
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←城山の茶屋 竹輪は食べちゃった(^^ゞ → |
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2001/4/16 (月) 午後 4:35:04
昨日は某ネット恒例の鍋山行があった。
雲一つない上天気の中15名が参加、和気あいあいの闇鍋が行われた。
二班に分かれ一方は林道経由、もう一方はハイキングコースを歩いた。
自宅の階段から滑落(?)して膝のお皿を割ったり、沢遡行で滑落し頭蓋骨陥没という重傷を負った人が奇跡の回復を見てこの日が登山としては再起初日の人がいたりした。
その人たちのためにハイキングコースを急遽設定、リハビリ組はこちらを歩くことになった。
どちらも安全、快適に目的地へ合流した。
ビールを飲んで、鍋をたらふく食べて、昼寝して満足、満足の一日だった。
←得体の知れない集団^^;
2001年4月13日 金曜日 午後 5:49:26
なんでもギリギリにならないと行動を起こさないという悪い癖がある。
商売の免許の有効期限が18日に迫ってやっと腰を上げた。
昨日一日で役所に出す書類を速攻で仕上げ、今日やっと手続きを終えた。
これで一安心。5年間は大丈夫だ。
先ほどNTTから電話があった。
職場の回線をフレッツにするための確認だった。
通常、申し込みから2週間ほどかかっているそうだ。
4,5日かけてNTT内部の検証をするのでその後連絡をするということだった。
そのときにフレッツの開通日がわかるらしい。
順調にいけば今月中にはフレッツISDNが開通する。
接続や切断の手間が省け、時間を気にしないですむというだけで気分的に楽になる。
いま、だいたいINS通信のみで6000円以上使っているので3600円はお得といえる。
これで自宅も職場も24時間時間を気にせずネットしまくれるのはなんと嬉しいことだろう。ウフフ…。
石割山山頂より 4/10
2001年4月12日 木曜日 午後 5:54:28
3月下旬頃、近くのパソコンショップに買い物に行った。
ところが張り紙がしてあって「店内改装のため3/31まで休業します。4/1にバーゲンを行います」と書いてあった。
その話を友人に教えてあげた。
4月になって友人が掘り出し物でもあればと、件のパソコンショップに出かけた。
しかし、そこには「4/9まで休業します。10日より営業致します」と店舗改装が延期になったお知らせがあった。
そこで開店を待って昨日の11日、友人と出かけてみた。
USBのハブが欲しかったのと、CD−RWが安ければ買っておこうと思ったのだ。
ところが店に着いて驚いた。
店は空っぽ! おまけに「貸店舗」の不動産屋の看板が!
店の前で友人と呆然となった。
パソコン雑誌には必ず広告を見かけるし、通販を全国的に展開しているお店だったのだ。
そしてどこよりも安かった。かれこれ20年は営業していただろう。
自転車でちょっと行ける距離なので重宝していたお店だった。
このパソコンショップに何があったのだろう。
店舗改装の張り紙は何だったのだろうか?
お店が一つ消えて不便になったという気持ちと同時に、妙な寂しさがこみ上げてきた。
2001年4月9日 月曜日 午後 3:13:30
友人と居酒屋で一杯やりながら景気の話、仕事の話等々四方山話に花が咲いた。
彼が久しぶりに宝くじを買ったそうだ。
小学生低学年の一人娘に言った。「当たったらベッドを買ってやるからな。もっと広い家へ引っ越せるかもしれない」
子供は喜んで「私の部屋もあるの?」
「もちろんさ、6畳ぜ〜んぶ使ってもいいぞ」
「わ〜い、嬉しい!」
子供って無邪気でいいよな、と彼が言う。
そんな話題からお互いの子供時代の話になった。
彼は言う「これは誰にも話していないんですけど、小学生の頃、4畳半に親子6人が寝ていたことがあったんです。家具などもあるから寝る場所は実質3畳くらい。ひしめき合って寝ていました」
彼は小さいときから母親が病弱で新聞配達の手伝いをして家計を助けていたという。
4人姉弟の一番下だったので食べ物も自分の番が回ってくる頃には残り少なの場合が多かったそうだ。
「昔はみんな貧乏だっよな。俺の家なんか天井が無くっていきなり屋根裏が見えていた」
今度は私の昔話になった。
私の家は当時、平屋のあばら屋で屋根に穴が空いていた。
雨漏りがひどく、部屋中、洗面器やタライを置いて、ポッタン、チャッポンと雨だれの合唱だった。
雨の日に人が訪ねてきたときは家族全員が何食わぬ顔をして、雨漏りを頭で受けて凌いでいた。
「でも、狭い部屋で重なるように寝ていた頃の方が家族の絆が深かったような気がするな」と、私。
その彼は、辛酸をなめた貧乏時代の辛い体験がバネになったのか、今日までに家を一軒買えるくらいの蓄財をしたのだ。
まだ40代半ばの彼は特に仕事で成功したわけではない。
暮らしはひたすら質素に、バブル期に踊るわけでもなし、ただ黙々と働いて貯めた金だ。
「息子は一億円持っている」というロトくじのCMみたいな男なのだ。
けっこう、こういう男こそたまに買った宝くじなどが当たるのかもしれない。
一方、私は人に負けないほどの貧乏経験があっても金を貯めるという思考がない。
金は使うものだと信じて疑わないのだから始末が悪い。
デフレが騒がれている昨今、この日の居酒屋の片隅に、蟻とキリギリスの姿を見たような気がする。
2001年4月5日 木曜日 午後 5:02:10
パソコンが調子悪いと言い出してかなりな時間が経つ。
こりゃ再インストールの必要ありかと、覚悟をしていたのだが、どうもそうではなかったようだ。
パソコンに限らず器械ものは一カ所がイカれると付和雷同するようにあっちもこっちも故障が出る。
文章入力をしていると突然固まりウンともスンとも言わなくなった。
これはATOK13の辞書が壊れたのが原因だった。
次にスキャナーが画像を読み込まなくなった。
新しいドライバを使って再セットアップしても言うことを聞かない。
一日がかりで原因を調べてもらったところスキャナー本体の故障とわかった。
更にプラウザでの読み込みがよく止まるようになった。
これはキャッシュの箇所のある設定が壊れた模様だ。
ATOK13はATOK14に入れ替えて調子が良くなった。
ついでに一太郎を11にバージョンアップ。
スキャナーは新しいのを買って入れ替えるしか方法はない。
プラウザの不都合はイタズラしている可能性があるウイルス駆除ソフトをアンインストールした。
そうこうしているうちにハードディスクの容量がいっぱいになってしまった。
Cドライブに4.3ギガ、Dドライブに12ギガあるのだがCドライブは残り10%と今にも溢れんばかりになってしまった。
この際ついでだ! と30ギガのハードディスクに入れ替えることにした。
その作業が先ほど終わった。なんと広い部屋に僅か13%の容量しか使っていない状態になった。
やっぱり部屋は広い方が気持ちいい。
あとはスキャナーを待つばかりだ。これがないとHPの更新がはかどらない。
とにかくパソコンに振り回された日々だった。
それと、思わぬ出費がかさんだ月でもあった。
2001年4月3日 火曜日 午後 6:34:35
今日は天気が崩れると思っていたらこんなにいい天気になってしまった。
天気が崩れるのは明日だったようだ。勘違いをしたみたい。
そんなわけで、今日は映画を観てきた。
「日本の黒い夏 えん罪」だ。
邦画はほとんど観ない性分なのだがこの映画には少々興味があった。
過去に、河野義行さんの著書「妻よ! わが愛と希望と闘いの日々」(潮出版社)を読んで感動したことがあった。
警察、マスコミがグルになって罪のない一人の市民を容疑者に仕立てていく構造がよく分かる本だった。
94年6月27日午後10時40分。松本サリン事件が起こった。
警察はハナっから河野さんを容疑者と断定し、巧みにマスコミを利用しながら予断に基づいた情報をリークする。
新聞、テレビ、週刊誌は裏付けも採らずにニュースとしてタレ流す。
無責任な学者に至ってはサリンを造るのに「写真の現像液を原料にバケツで30分もあればできる」などとテレビで発言。
日本中の大多数は河野さんを犯人と思いこむ。
警察はこれで捜査がやりやすくなる。
映画の中で地元ローカルテレビ局に取材に来た高校生が「それじゃマスコミだってえん罪に加担したと同じじゃないですか!」と詰め寄る場面があった。
一人の若い記者が言った「それが新聞、テレビの現実なんだ。それが分かっただけでもよかったじゃないか」との台詞が印象的だった。
2001年4月2日 月曜日 午後 2:35:21
バーゲンで定価31000円のテントが13000円で売っていた。
テントのメーカーはよくわからなかったが、大きさは1〜2人用だった。
だまされたと思って買ってみた。
IBSやカモシカのカタログで確認するとこれが「ヨーレイカ」の「マウンテンプリズム#1」という品物だった。
おー、何となく得をした気分になった。
それを先日我が家の居間で設営してみた。テント張りの練習だ。
説明書に従って、ポールを伸ばし対角線に通し四隅を引っかける。
おー! テントが立ち上がった! (当たり前だが…)
その上にフライシートをかける。
そうするとちょっと小さいが前庭ができるようになっている。
なるほど、なるほど、意外と簡単じゃん。家内と一緒にテントの中に。
「この穴は何?」
「ベンチレーターといって空気穴だ。これがないと窒息する」
「それにしても何となく息苦しいわね」
「狭いからなぁ」
「暑苦しいわ」
「家の中だからだ」
いったんテントの外に出て説明書をもう一度読み直す。
あれれ? ベンチレーターの位置が反対だ。前後を逆に張っていたのだ。
これじゃ息苦しく暑いわけだ。
フライを張り直してこれで完璧!
「それにしても出入り口の”ひさし”がブラブラしてるわね」
「張綱で引っ張ってペグでとめればピンと張るさ」
「今日はここで寝るか」
「馬鹿言ってんじゃないわよ」
テント張りの練習を終了して説明書通りに畳んで袋にしまった。
すると、ちょっと短めのポールが一本床に転がっている。
「何だこのポールは? これは何に使うんだ?」
どうやらフライの天井に通すのもだったらしい。そうすれば”ひさし”がブラブラしなくて済むはずだったんだ。
「もう一度張ってみるか」
「もういいわよ」
かくしてテント張りのレッスンが終わった。
テントの総重量2.8s。
これを担いで涸沢はとっても無理だ。せいぜい小梨平か、頑張っても徳沢までがいいところだろう。
とりあえず城南島のテン場で幕営の練習をしてみたらどうかなと思っている。