山恋うる日々のつぶやき 2000年9月のつぶやき

このコーナーはテッちゃんが日々想う山に関する日記を綴ります。
日記という以上、毎日書くつもりですが抜ける日もあるかもしれません。ご容赦下さい。
皆さんの割り込みメッセージも歓迎します。


2000年9月30日 土曜日 午後 6:22:21

恐い話を聞いた。
業界の会合の後の宴席で、隣の人と情報通信の話になった。
「うちの女房はケイタイでいろんな人とメールのやりとりをしているんだ」と彼。
そんな話はよくあること。
「それでね、恐い話というテーマで体験談を交換していたらしいんだ」
彼の奥さんもススんだ人だ。
「お父さん、これ読んでみて、というからケイタイを手にとって読んでみたんだ」
以下、彼が読んだ恐い話の内容。

『大学生が3人、2000年を迎える前に何か思い出に残ることをしようと相談をした。
アメリカの超高級ホテルに泊まれるっていう懸賞募集があるのでそれに申し込むことにした。
見事当選した3人は憧れの外国に飛び立った。
そのホテルは100階建て。その最上階の部屋に泊まることになったのだ。
豪華な部屋にくつろいだ後、3人は外に出てみようということになった。
フロントから「11:30までには必ず帰ってきてください。ご承知のように2000年問題で何が起こるか分かりませんので…」と、クギをさされた。
時を忘れて夜の街を遊び回り、ホテルに帰ったのは午前0時を過ぎていた。
エントランスは明かりが消え、フロントは閉まっている。エレベーターも止まっている。
若い3人は階段で部屋まで上がろう、と歩き出した。
60階まで来たころ、一人が言った。
「黙々と上がっても疲れるだけだから、恐い話をしながら上がろうよ」と提案した。
3人は交代で話し出した。
90階まで来たとき「今度はおまえの番だぞ」と一人を促した。
「おまえ達の話はちっとも恐くなかったぞ。俺の話がいちばん恐いかも知れない」
「それは聞きたいな。どんな話だ」
「実は1階にルームキーを忘れてきたんだ」』


2000年9月27日 水曜日 午後 6:28:24

今日、日和田山と巾着田に行ってきた。
日和田山は40分で頂上に着いてしまうお手軽なハイキングコースだった。
とはいっても、岩場の急登があって侮れない箇所もある。
ちょうど幼稚園の園児が30人くらい団体で登っていくところにぶつかってしまった。
園児達の後について登っていると最後尾にいた女の子が振り返って言った。
「おじちゃん、なんでそんなに汗かいてるの?」
「^^;(^^;)(^_^;)」
「わたし、汗かいてないもん」
これが小学生でなく幼稚園児だったっから暫くショックから立ち上がれなかった。

往復した後、曼珠沙華が咲き乱れる巾着田に寄った。
満開の頃だったのでもの凄い人出だった。
確かにお見事というしかないほどの曼珠沙華の群生だ。紅い絨毯を敷き詰めたみたい。
彼岸花と言われているらしいがよく見ると可愛い姿をしている。
その後、岩場へ行って岩トレ風景を見学した。
平日なのに数組が練習をしている。
どこへ行っても女性が元気がいい。ここでも女性が半数を占めて岩に張り付いていた。

今日の一枚。

曼珠沙華の群生。ほんの一部

             岩トレ風景

2000年9月24日 日曜日 午後 4:29:00

オリンピックの女子マラソンには感動した。史上初の女子陸上での金メダル! 万歳!
心拍数のことを書いたばかりだったが、彼女、ゴールした直後でも息遣いがまったく変わっていない。
テープを切った後、ピタリと足を停めて終始ニコニコ。涼しい顔をしている。
感動とは別にあの姿には驚かされた。
監督は3500mでの高地訓練が功を奏したといっていたが、3000mだったら私だって登っているのに^^;
なんだかんだと言っても運動選手は凄い!
私だったら10m走ったら救急車ものだね。


2000年9月22日 金曜日 午後 6:58:59

山を歩いているときにいつも思うのは息が切れるのがこんなに早いんだろうということだ。
スポーツ選手は心拍数が低いと聞いていた。
山野井耕史の平常時の心拍数は40だそうだ。
私は普段の心拍数がなんと84ある。その差が山歩きに現れるのではないか。

そこで科学的な(?)考察を試みた。
有酸素運動を行う上で目安となる心拍数の計算式は、

(220−年齢)×75%=楽と感じる運動ペース

これを自分に当てはめると
(220−55^^;)×75%=124となる。
運動強度と心拍数の関係を示した表に合致する。
ちなみに私の年齢の場合
-----------------
非常にきつい→165
かなりきつい→155
きつい→145
楽→125
かなり楽→110
非常に楽→100
-----------------
となっている。
平常時の心拍数が高いと125に達するまでの時間が早いということになる。
心拍数60の人が125に達するまでの差は125−60=65。
自分は125−80=45。
「30代男性、傾斜角8度、10sの荷」と言う設定で心拍数の上昇グラフを見るとだいたい15分で10ほど上がっている。
そうすると、心拍数60の人は125に達するのにおよそ1時間半。
私の場合は1時間ちょうど。人より30分早く限界に達してしまうのだ。
結果、「超ゆっくり歩き」になる。
ま、今さら速く歩いたってどうにもなるものではない。
せいぜい人に追い越されながら、ゆっくり、ゆっくりと自然を堪能することにしよう。
それにしても心拍数って下げることはできないのだろうか?
タバコと酒を飲みながら(^^;)

(参考:中高年のための登山学 日本百名山を目指すU)


2000年9月20日 水曜日 午後 5:17:45

今夜はオリンピック注目の種目、サッカーの試合だ。
おッ、そろそろ時間だ。早く帰って見なきゃ。


2000年9月19日 火曜日 午後 7:53:12

日曜日、月曜日と業界のバス旅行。そして今日は本物の定休日。すっかり三連休してしまった。
明日が仕事と思うと何となく気が重い。
仕事をしないで生活できりゃこれに越したことはないと思うが世の中そうは甘くない。
仕事をしているからこそ山も遊びも楽しくなるんで、毎日遊んでいたんじゃ楽しみも半減するだろう。
そう割り切って明日からの仕事を頑張ることにしよう(^^;)
さて、来週は絶対に山へ行きたいな。
仕事の合間に計画を立てなくっちゃ。いや、計画を立てる合間に仕事、かな? 


2000年9月16日 土曜日 午後 4:00:21

奥穂高ツアーは9人の参加者があった。
女性が4人男性が5人。我々を除いて全て単独参加者だった。
年齢層は推測だが20代半ばから70代の男性まで幅広い層が集まった。
その中のいちばん若いと思われる女性は聾唖者だった。
彼女は終始笑みを絶やさず周囲に明るさを振りまいていた。
テラスで夕日に沈む吊り尾根を指さし、手のひらに「good!」と嬉しそうに書いた。
私は親指と人差し指を丸めて「OK、OK」と何度も頷いた。

最終日のミーティングの時、おなじみの自己紹介が始まった。
自己紹介が一巡すると、彼女の番になった。
彼女は広告チラシの裏を利用したメモ用紙をガイドに渡した。
ガイドが読み上げた。
「山はまだ初心者です」
私はそうかな? と疑問に思った。
他の女性は何となく危なげな足の運びをしているの対して、彼女の歩みはなかなかバランスがいいのだ。
ガイドが続きを読む。
「趣味はスキンダイビング(ボンベを背負って潜るヤツ)なんです」なるほどそういうことだったんだ。
そこで先の外科医が口を挟んだ。
「実は私もダイビングをやっているんです。なかなか上達せず100回潜るとやっと一人前と認められ、お祝いをしてくれるんですよね」と言った。
ちなみにあなたはどの位潜っているの? と聞いた。
隣の女性が筆談で通訳をした。
「240回くらい。潜った場所はどこそこ、どこそこ、どこそこ(10カ所ぐらいの外国の有名な海の名前)」
「へぇ〜! それは凄い! 場所も著名なところばかりだ。それはもうプロだね」と、外科医は舌を巻いた。
あとで聞いた話だが、ダイビングのインストラクターに勧められて山を始めたらしい。
よけいなことかも知れないが仕事先も一流企業なのだそうだ。
メモの続き。
「夢は日本アルプスの縦走です。ヤマケイの記事に触発されました」
私も読んだことがある。
ヤマケイ7,8月号で特集していた日本海から太平洋までアルプスを越えて横断するものだ。
みんなは驚きの声を上げた。
「そして、来月、白馬三山へ行く予定です」
聾唖者だからといって特別扱いするわけではないが、若き女性のスポーツウーマンぶりと夢に向かって突き進む真摯な姿勢にうたれた。
彼女、今頃は白馬のどこを歩いているのだろう。


2000年9月14日 木曜日 午後 6:54:22

プロトレックの電池が消耗したので取り替えに秋葉原のカシオへ行ってきた。
1時間待ってくれれば出来るというので近くの喫茶店でお茶を飲みながら待った。
時間が来て取りに行くとカバーに付いているネジが錆び付いて取れてしまったのでカバーごと取り替えしないとダメだとのこと。
修理に一週間かかるので直ったら送ってもらうように手配して帰ってきた。
カバーの取り替えはなぜか無料なんだそうだ。
しかし、電池の交換だけで2400円かかる。
プロトレックの電池交換はこれで2回目。なかなか役に立つ時計で重宝している。


2000年9月10日 日曜日 午後 2:05:34

奥穂高ツアーで一緒になった一人の男性がいた。仮にSさんとしておこう。
涸沢山荘に荷物をおいて殆ど空身の状態で奥穂を目指したのだが、Sさんだけは終始大きなザックを重そうに担いでいた。
けっして大柄でないSさんが担ぐザックは頭まで届いていた。
山岳ガイドの指示で、はじめSさんは2番手を歩いていた。
私はその後ろを歩いていた。
時々Sさんは立ち止まってザックを下ろしでっかいカメラを取り出して撮影しだしたりした。
すると当然前の間隔が開いてしまう。
私は仕方なくSさんを追い越して先を歩く格好になる。
内心「団体行動を乱す人だなぁ」と思っていた。
大きな重たいザック、列をはみ出す人。そんなSさんのイメージが私の中で出来上がっていた。

その晩、山荘のテラスでビールを飲みながらSさんと話す機会があった。
「ツアーって休憩したいときに休めないのが欠点ですね」と私。
「そうなんですよ。だから私は悪いと思っていながら写真を撮るふりをして重いザックを下ろし、僅かな時間ですが休んでいたんです」とSさん。
列を乱す理由が分かった。それにしても重そうなザックを担いでいる訳はなんなんだろう。

「私は外科医なんです」Sさんは静かに語りだした。
55歳まで救急医療に従事して、定年を迎え、さらに嘱託として10年間後輩の指導にあたってきたのだそうだ。
これまでに彼が執刀した数は12000余に及ぶそうで、生存率や社会復帰した例など全て報告書としてまとめたばかりだという。
やっと近年、自分の時間が作れるようになったので以前から夢だった山歩きをはじめたのだそうだ。

Sさんは、誰かに事故があった場合を想定して緊急用の医療器具を一式担いでいるのだという。
その重量が2.4s。それに自分の荷物がプラスされるのだ。
「万一の時にお役に立てれば。それが医療に携わってきたものの私としてのせめてもの恩返しなんです」

彼は私たちや私たちに関係のない登山者の万一のための余分な医療器具を背負って歩いていたんだ。
医師という立場にもかかわらず尊大なところが全くなくむしろ謙虚な人柄が印象的だった。
知らないこととはいえ、勝手なイメージを作り上げた自分を反省した。
Sさんは今頃どこの山を歩いているのだろう。


2000年9月5日 火曜日 午後 1:54:54

日曜日のソーメン山行は楽しかった。
これはamaroさん(WATER BLUE 水王国)主宰の恒例行事なのだ。
水無川を沢登りよろしく思いっきり水遊び。
F1,F2の滝も確保してくれているから心配ない。久しぶりの沢気分を味わうことができた。
水遊びしたあとは、まるでそれが最後だよと言わんばかりの涼しさになった。
今年は沢は一度も行けないな、と思っていたので嬉しかった。
この夏は思いっきり遊んだ。いい歳をしてよく遊んだものだ。
涼しくなっていくこの先、今度は低山を思いっきり歩き回ろうかな。

ソーメンを平らげたあと、くつろぐメンバー達


2000年9月2日 土曜日 午後 3:34:35

とうとう9月になってしまった。
山も一気に秋山へと変貌し、紅葉の便りが話題になるシーズンだ。
それにしてもこの蒸し暑さはなんだ! いっこうに秋風が吹く様子がない。
表へ出るとムッとする暑さで思わず後ずさりしてしまう。
だからというわけではないが、明日は沢で「水遊び」をすることになった。
某ネット恒例のWW(ウオーター・ウオーク)なのだ。
夏を満喫できる最後のイベントになるのかも知れない。
久しぶりにハーネスや渓流シューズを着けると思うと柄になく緊張してしまう。


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