毎日、山を想わない時はない。
昨日の反省、次回の山行、印象深いあの山この山。
心の中はいつも山がついてまわっている。
このコーナーはテッちゃんが日々想う山に関する日記を綴ります。
日記という以上、毎日書くつもりですが抜ける日もあるかもしれません。ご容赦下さい。
皆さんの割り込みメッセージも歓迎します。
1999年11月29日 月曜日 午後 05:49:12
またまた、ドタキメで明日の山行は箱根の明神ヶ岳へ行くことにした。
丹沢の大倉から県民の森とも思ったが天気がよさそうなので見晴らしのいい尾根歩きに決まった。
榛名の掃部ヶ岳へ行ったときのこと。
頂上に着くと、一組は4人でバーナーでうどんを作っていた。
もう一組は二人連れで私たちと入れ違いに下りていった。
そのあと若い二人連れが来て合計3組。
思い思いに山座同定を楽しんでいたら、突然大勢の団体が上がってきてみるみる山頂がいっぱいになった。
みんな胸にワッペンを付けている。
その中のひとりのオバサンが、
「安かったのよこのツァー。4800円でお弁当付なのよ」
といいながら折り詰めのおにぎりをほおばりはじめた。
8畳ほどの山頂はいまにもこぼれ落ちそう。
「バス2台で来たのよ。20分遅れであと40人くらい上がってくるわ」
(ご、ご、合計80人!)
男のガイドは「ここでお弁当を食べたら12時5分ね! 12時5分に出発だよ〜!」
と叫んで自分は立ったままおにぎりを食べはじめた。
私たちは早々に下山をはじめたが、時すでに遅し。登ってくるわ、登ってくるわ、その80人が!
狭い山道でのすれ違いができない。
登り優先を無視して駆け下りたのはいうまでもない。
それにしてもあのガイド、どこかで見たことのある顔だったなぁ。
1999年11月27日 土曜日 午後 04:15:44
さぁ、今夜は今年最初の忘年会だ。なんかあまり飲みたくない気分。
適当なところで引き上げることにしよう。
明日は、ウオークラリーの本番だ。昨日の夜遅くまで最終の打ち合わせをやった。
事故がないように祈るばかりだ。
1999年11月25日 木曜日 午後 04:29:45
23〜24日と伊香保温泉へ行ってきた。
槍ヶ岳で一緒になったSさんのいる某温泉宿へ泊まるためだ。
当日は、榛名山のなかで最も高く展望がよいという「掃部が岳」へ登った。
時間があったのでロープウエーで榛名富士へ。
宿へ入るとSさんの姿はなかったがフロントの人は「聞いています」といって部屋まで案内してくれた。
やがてSさんが入ってきた。3ヶ月ぶりの再会だ。
Sさんはビールを持ってきてくれて、暫し飲みながら懇談。
「この部屋はね、いちばんいい部屋なんですよ。ほら、窓から山が見えるでしょ」
といってカーテンを開けた。遠く雪を被っているのは谷川岳だ。
テーブルの上には山の展望図が置いてあった。
Sさんはこれから仕事だそうで「ゆっくりしていって下さい」と出ていった。
温泉に浸かり、部屋食を頂いてなんと幸せなことか。風呂には3回も入ってしまった。
夜が明けるといまにも泣き出しそうな空雨模様だった。
Sさんにはお世話になったお礼を言って別れ、赤城の大沼までドライブ。
誰もいない大沼は静かに水をたたえて、山は霧に包まれていた。
次に、駅のホームに温泉があるということで有名な渡良瀬渓谷鉄道の水沼駅まで走った。
「水沼温泉センター・せせらぎの湯」では温泉はパスして、そばを食べた。
大広間ではカラオケをやっていて次から次へとお年寄りが歌を唄っている。
みんな上手だなぁ。自分も久しぶりに唄ってみたくなった。
そうだ! ここから渓谷鉄道に乗って足尾の方までいってみたらどうだろう。
時刻表を見ると発車時間が迫っている。カラオケどころじゃない。
急いで車に戻り、支度をしてホームに出ると電車は発車寸前であった。
1両しかない電車は意外にもほぼ満席で、オバサンがお饅頭や野菜を車内販売をしている。
渡良瀬渓谷を縫うようにして走る車窓から見える紅葉が、もう終わりとはいえ見事であった。
「通洞」という駅で降りて足尾銅山観光をしてまた電車で帰ってきた。
小高い山に登り、山の「旧友」と会い、温泉に浸かり、湖の畔に立ち、渓谷美に目を見張る。なんとも盛りだくさんで贅沢な二日間であった。
Sさんの「またきっと来て下さいね」という言葉がいまでも胸の奥に残っている。
1999年11月22日 月曜日 午後 05:08:56
日曜日は午前中スタッフの若い連中とウオークラリーの下見のため約2時間半ほど歩いた。
参加者はけっこう年輩者が多いのではたしてこれだけ歩けるだろうか?
根本的にコースを見直そうかと相談したがこれくらい距離がないと面白みがない、ということになって計画通り実行することにした。
ウオークラリーは11/28だ。
明日はいよいよ槍ヶ岳で一緒になったSさんの居る伊香保温泉に行く日だ。
榛名湖の西にあるいちばん展望がよいといわれている掃部が岳へ登ってそのあとに温泉に。
明くる日の予定はまだ決めていない。多分近場をドライブがてら観光になるだろう。
Sさんに久しぶりに会うのが楽しみだ。
1999年11月20日 土曜日 午後 04:57:33
う〜、眠い!
昨日遅くまで飲んでいたからだろうか。
今日は早く寝よっと。
明日は、ウオークラリーのコース下見歩きだ。
う〜、眠い…。
1999年11月19日 金曜日 午後 02:46:18
背中が痛くて医者に行った日のこと。
「ちょっと胸を出して下さい」と言われワイシャツのボタンを外した。
その時、最後のボタンがポロッと取れた。
ボタンはコロコロと女医さんの机の下に転がってしまった。
まさか私が女医さんの足元に首を突っ込むわけにいかない。
女医さんは看護婦に言いつけて探させようとしたが、
「いいです、いいです。そのままで…」と照れを隠して言った。
そして昨日、血液検査の結果を聞きに再び訪れた。
レントゲンを撮ったあと、女医さんがカルテを広げるとワイシャツのボタンがカルテに挟んであるではないか。
「ボタン、保管しときましたよ」と笑顔で言われたのには頭が下がった。
結局、内臓的には何も原因は見当たらず暫く様子を見ましょうということになった。
その日の夜、診療所から電話があった。何事かと電話に出ると、
「あの〜、今日の診察代、お支払い頂いていないんですが…」
^^;^^;^^;
1999年11月17日 水曜日 午後 05:26:02
山小屋に居る夢を見た。
多分木ノ又小屋だと思うんだが実際とは全く違う建物であった。
夢の中で「ここは木ノ又」だと思い込んでいただけかもしれない。
オジサン、オバサンが出たり入ったりしていたが知っている顔はいなかった。
私は誰かと話をしたり、肩を揉んでもらったり(なぜかマッサージをしてくれたのだ)していて夕暮れになってしまった。
「いけない、これから桧洞へ行くんだった」と夕闇迫る中、小屋をあとにしたところで目が覚めた。
見る夢というとやっぱり山関係が多い。
今日も銭湯に行ってリラックスしよう(*^_^*)
1999年11月16日 火曜日 午後 05:59:48
そういうわけで今日の沢遡行の予定はドタキャンになってしまった。
お医者様の言いつけ通り、昨日の晩は銭湯に行った。
ぬるめのお湯にゆっくりとリラックスして入るのが大切なのだ。
おもむろに湯船に脚を入れると「熱っち〜!」周囲に気兼ねしながら水を注いでやっと入ることができた。
ゆっくり浸かって暖まり、サウナにも入って汗を流す。そしてまた湯船に。
う〜ん、やっぱり銭湯はいい。
外に出ると雨。神田川のように待つ人はいないが身体から湯気を立ち上らせて居酒屋の暖簾をくぐる。
銭湯の効用あってか今朝は背中の痛みが消えた。といってもまだ油断はできないが。
雨はだいぶ小降りになったようだ。木枯らし1号が吹いたとニュースが報じていた。
一日中風の強い日であった。
1999年11月15日 月曜日 午後 05:05:14
昨夜、秀山荘が横浜MYCAL本牧にできたというので行ってみた。
5番街の一階がアウトドアフロアーになっていてその中にあった。
amaroさんに教わったMizunoの新製品、発熱するというアンダーウエァーを上下購入した。
家に返り16日の沢の準備を整え、晩酌を少々してさぁ寝ようというとき突然背中に痛みが走った。
背中全体に鉄板を当てられたようで身動きがとれなくなってしまった。
腕も動かない。「う〜ッ!」と唸るだけでどうすることもできない。
(ヤバイな、救急車か…)と思ったがしばらく我慢しているとようやく腕が動くようになってきた。
そのままそっと横になると少し落ち着いてきた。気が付いたら朝だった、いつの間にか眠ってしまったらしい。
今日も背中が痛い。頭痛までしてきた。
風邪だろうか? 背中の痛みは内臓の疾患と大いに関係があると聞いていたので、念のため医者に行った。
例の女医のところだ。
症状を説明すると下瞼をめくったり顎をさわったり、胸に聴診器をあてて丹念に診てくれた。
その後心電図をとった。
「心臓は胸が痛くなるというほかにまず背中が痛む場合があるんです。あなたは今も痛がっているのに心電図では異常が出ていません。ということは心臓ではなさそうですね」
「そうですか安心しました!」
「昨日は特にきつい仕事をしたとかそういうことはありませんでした?」
「いいえ、ヒマでした^^;」
「お風呂は毎日入ります?」
「……。ミッカ、いえ、一日おきくらいです。このところ涼しいので……^^;」
「お風呂は時間をかけて入る方ですか? それとも烏の行水ですか?」
「あまり長くはないですが、そんなにカラスっていうほどでもないです」
「昨日はお天気がよく昼間暖かかったですよね」
「職場は底冷えがしますけど^^;」
「夜になって冷え込んだりして筋肉が痙攣したんじゃないかしら?」
「そういえば(例えば足が)ツルような痛さでした」
「お風呂はぬるめにしてリラックスするようにゆっくりと暖まって下さい。そうすると筋肉の緊張が取れますから」
「念のため血液を採取して内蔵の疾患を調べましょう。木曜日にレントゲンを撮ります」
といって採血をした。
「それに湿布薬を出しておきます。それを張って様子を見て下さい」
と、まぁこんなやりとりで湿布薬を下げて帰ってきた。
町医者はコミニュケーションがとれていいなぁ。
女医さんの机の下で組んだスラリとした脚が気になってしかたがなかった。
不埒な患者だ。う〜ッ!背中が痛い(>_<)
1999年11月14日 日曜日 午後 02:08:40
スポーツの秋だが読書の秋でもある。
というわけで本を2冊購入した。
「遭難のしかた教えます」丸山晴弘著、山と渓谷社 950円+税と、梓林太郎の山岳推理小説だ。
「遭難のしかた教えます」が面白い。助けたい遭難、助けたくもない遭難など実際の事例を上げて全編辛口の文章でまとめ上げている。
救助要請があった場合、遭難の内容によって、
1.助けたい一心でとんでいく。
2.義務だから仕方なく行く
3.本音は助けたくもない。など、読んでいて小気味よい。
助けたい一心で飛んできてもらえる遭難が理想だな、やっぱり。
1999年11月13日 土曜日 午後 04:17:31
知り合いのおばあちゃんは当時80歳を越えていた。
ご主人が亡くなってから社長として会社を切り盛りしてきたやり手の女性だ。
今は90歳を越えているだろう。現役を引退したものの、今だ元気だと聞いている。
10年ほど前、銀行のロビーでこのKさんというおばあちゃんに出会った時のことを思い出した。
「Kさん、いつまでも元気でいいねぇ。」
「いままで、がむしゃらに働いてきたからねぇ。この歳になってやっと余裕ができて旅行へ行ったりしているよ」
「これからは悠々自適ですね」
「あなたねぇ、そう思うでしょ。あなたは若いから言っておくけど遊びは若いときにやっておくものよ。
私みたいに歳を取ってから、さぁこれから自分の人生だ、と思っても身体がいうことをきかないのよ」
「でも、Kさんは元気がいいから…」
「どこへ行っても足がいうことをきかない。お料理だってどんな上等なものを出されても食べきれない。悔しいし、もったいない話だわ」
深いしわに刻まれた年輪は説得力がある。
「だからね、若いときに一生懸命働くのは当然だけど同時に適当に遊んでおいた方がいいわよ。
遊ぶっていったって家庭を壊すような悪いことをしてはいけないけれど…」
そうなんだよな。自分はこのおばあちゃんに言われるまでもなく適当に働きよく遊んでいるつもりだ。
身体が動かなくなってから山へ登ろうといったって無理な話だからね。
1999年11月11日 木曜日 午後 05:52:19
毎年、忘年会シーズンとはいっても関係する忘年会は業界の1回だけだった。
酒はしょっちゅう飲んでいるし、とくに暮れだからといって騒ぐことはない。
ところが今年は状況が違う。
山岳会、ネット、もう一つネット、旅行会の幹事会と称した忘年会、それに飛び入りで送別会。
業界や仕事関係の付き合いは利害を伴うし気を使うので一切出ない主義なのだが、こういうのは大歓迎だ。
同好の友との出合は楽しいし、酒も美味い。
せいぜい肝臓をいたわりながら愉快にお付き合いをしていきたいものだ。
おっと、今日もこれから飲み会だった。忙しいこと。イソイソ…。
1999年11月10日 水曜日 午後 04:21:28
山が怖い。
山を始めた頃は3000m級の山は別としてガイドブックに載っている近場の山を片っ端から歩いたものだった。
道間違いで闇の中を下ったときもあったし、雷にあったこともあった。そのたびに次への反省にしてきた。
そして、山岳会にも巡り会って入会し、岩登りや懸垂下降の基礎を教わった。沢の遡行も何回か参加させたもらった。この年になって思わぬ貴重な経験を積むことができた。
だが、それらの体験に反比例するかのように、なんの変哲もない山へ行く時でも、いうにいわれぬ恐怖感がつきまとうのだ。
うまく表現できないが「前回は登れたけれど今度は大丈夫だろうか?」などと妙に臆した感情が湧いてくるようになった。
これっていったい何なんだろう?
(おまえ、もう歳なんだから無理はやめろ!)ともうひとりの自分が囁いているようでもある。
経験は経験として積み重ねを大事にしなければならないが、実際の体力は歳とともに落ちているのだ。
これからは、いや、これからも、分相応の「ハイキング」に徹していこう。
怪我をして二度と山へ行かれなくなっちゃうのはもっと怖いから。
1999年11月8日 月曜日 午後 04:52:56
今日は立冬だそうだ。
それにしても暖かい日だった。車に乗っていると眠くなる。
今、雨が降り出したけど明日の神奈川県の天気は晴の予報だ。
久しぶりに鍋割山へ行くことにした。なんか、朝は、寒そうだな…。
1999年11月7日 日曜日 午後 01:03:43
故郷を持たない私にとって田舎暮らしは夢なのだ。
Uターン、Iターン、Jターンなどと都会の喧噪を離れて一家丸ごと地方へ移住する人が多いらしい。
それなりに苦労があるみたいだが、みんな一生懸命その地に溶け込んで暮らしているようだ。
南アルプスや八ヶ岳の麓みたいな遠いところではなく、たとえば東京の外れ奥多摩とか神奈川県の山沿いなどいいんじゃないかなぁ、と勝手に思っている。
澄んだ空気、朝は鳥の鳴き声で目覚める。カーテンを開けると緑に茂った樹々やその向こうに山が見える。
庭に出ると愛犬が足元に寄ってきて一緒に深呼吸をする。
こういうのが憧れなんだ。
一転して現実に戻ると、じゃあ、仕事はどうするんだ。なんで喰っていくんだ。ということになってしまう。
そうなんだよな、それが問題だ。
今日も汚れた空気とストレス充満の中で何とか生きていくことにしよう。
結局、「夢」なんだよなぁ。
1999年11月5日 金曜日 午後 04:37:40
伊香保温泉のSさんから予約完了の封書が届いた。
ご丁寧に榛名山ハイキングのガイド地図まで入っていた。
どの辺を歩こうかそろそろ計画を練らないといけない。
掃部ヶ岳なんか展望がよさそうだが時間的にどうだろう。
もうちょっと詳しく調べて決めることにしよう。
最近、気のせいか太ったような気がする。腹が出てきた。
よく食べるし、飲むし、その割には運動をしない。
このところ体重を量っていないのでどの位増えたか分からないが太ったのは気のせいではないみたい。
ジムも全く行っていない。会費だけ払ってもったいない話だ。
よし! 思い切ってまたジム通いでもするか。な〜んて行く気もないのに(^
^ ;;;
1999年11月4日 木曜日 午後 04:58:40
いや〜、まいったまいった。
掲示板をいじっていたら壊れてしまった。どうしてDTIのCGIはこんなに難しいんだろう。
次の日は鍋山行だし、支度もしなくてはならないので落ち着かない。
掲示板は壊れたまま時間切れになってしまった。
丹沢から帰ったあと風呂も入らず復旧作業にかかってやっとの思いでリニューアルできた。
手伝ってくれたAkiさん、どうも有り難う!
昨日はamaroさん主宰の鍋山行だった。総勢18人。
表丹沢県民の森から尾根に出て小広い草原で鍋が始まった。
渋沢方面の市街地が眼下に見下ろせる展望のいいところだった。
腹一杯になったあと栗の木洞まで往復した。もっと遠いのかとと思っていたら20分で着いてしまった。
祭日にも関わらず人が少ない。家族連れを2,3組見かけただけだ。
きっとバスが入っていないし、大きな看板も見当たらなかったので人が来ないのではないか。
感心したのは登山道をありのままにしているところだった。あまり手を加えていないと言えばその通りだが、「都民の森」みたいにチップの山道なんか造っていない。
手軽なところなのでまた行ってみたいと思う。気に入ってしまった。
1999年11月2日 火曜日 午後 01:47:21
とうとう11月になってしまった。カレンダーあと2枚だ。
明日の栗の木洞で鍋をやる具の買い物をしてきた。
これから掲示板のバージョンアップに取りかかろうとしている。
ソースは仕入れたし動いてくれることを祈るだけ。はたしてどうなることやら。
筑波山の標高が1m高くなるそうだ。1日発表の国土地理院地形図から書き替えらたらしい。
本来の観測地点から2m先の岩がいちばん高いんじゃないかと登山者の通報があったからだという。
どんな登山者か知らないがそういうことによく気が付くねぇ。