毎日、山を想わない時はない。
昨日の反省、次回の山行、印象深いあの山この山。
心の中はいつも山がついてまわっている。
このコーナーはテッちゃんが日々想う山に関する日記を綴ります。
日記という以上、毎日書くつもりですが抜ける日もあるかもしれません。ご容赦下さい。
皆さんの割り込みメッセージも歓迎します。
1999年10月29日 金曜日 午後 06:27:44
考えてみたらあと二月で今年は終わりなんだ。
年賀状印刷の申込書が来た。2000年はいったいどんな年になるのだろう。
不景気、リストラ、失業…。自分も含めて身近に大変な思いをしている人がいっぱいいる。
どんな時代になっても悠然として変わらないのが「山」だ。
「動かざること山のごとし」これが人を山にかき立てる魅力なのだろうか。
1999年10月28日 木曜日 午後 07:59:10
年末商戦の前哨戦なのか山道具屋からバーゲンのお知らせDMが届く。
この2〜3日に相次いで3通届いた。
こういうのを見てしまうと「たまには行ってみなくちゃ」と思ってしまうから不思議だ。
とりたてて不足しているものは何もないのだがああいうところは見ているだけでも楽しい。
だからつい出かけてしまう。
気が付くと何かを買っている。
家には買ったものの全く使っていない山用品がけっこうたまっている。
近々、また不用なものが増えるのかもしれない。
1999年10月27日 水曜日 午後 05:12:43
昨日は中途半端な仕事があってamaroさんに沢へ誘われたがやむなく断ってしまった。
午前中に仕事を終えたもののあまりにも天気がいい。
よしッ! とばかりに車を飛ばして日光までドライブしてしまった。
霧降高原に着くと丸山という山があってハイキングコースになっている。
リフトを使えば1時間半くらいで一周できそうだ。
乗り継いだリフトの終点から少し登ると頂上だった。人はだ〜れもいない。
ところどころ紅葉が見事だったがよく見るともう枯れてしまっている葉も多かった。
ハイキングにしてはかなり物足りないが、思いつきで行ったんだし観光だと思えばこんなものだろう。
ついでに、オジチャン、オバチャンの団体に混じって「霧降の滝」を見学をしてしまった。
先日、CGI&SSIの解説本を買ってきた。
これで掲示板をもっと使いやすくしようという魂胆だ。
書き込みの度に自分のアドレスやURLを入力するのがとってもカッタルイ。
自分が面倒なのだからカキコしてくれる人はもっと面倒な思いをしているだろう。
これを解決したいのだ。
読んでいる分には「なるほど」と思うのだけど、いざパソコンの前に座るとどこから手を付けていいのかサッパリ分からない。
自分にどこまで出来るか試してみたい気持ちが強い反面、ひょっとしたら掲示板が二度と日の目を見なくなるかもしれないという恐怖にも襲われる。
だから未だに何もしていない。
あまり能力以上のことはしない方がいいのかなぁ。
1999年10月25日 月曜日 午後 04:08:28
スカイパーフェクTVのアンテナ工事の連絡があった。
23日にして欲しいとのことで「時間は?」と聞くと「当日連絡します」とのこと。
午前中に連絡があり「午後1時30分に行きます」というので仕事を中断して家に帰り待った。
待てど暮らせどいっこうに来る気配がない。とうとう1時間経過した。
待ちきれなくなって電話したら「前の工事に時間がかかっているのでもう少し待ってくれ」という。
「こっちは仕事があるのでこれ以上遅くなるんだったら日を変えてくれ」といって今日の午前9時となった。
朝一番なら会社から直行だから遅れることはないと判断したからだ。
今日は工事と言うよりも受信チェックのためで窓の手すりに取り付けが可能か、だめなら屋根に登って工事するしかない。
朝9時になった。来ないなぁ。9時半になった。来ない。
10時になって外を見ると軽トラックが停まり、若い男が出てきてウロウロしている。
呼び止めると工事の人間だった。
取り付け場所の説明をして「どうだろうか?」と聞くと「ちょっと待って下さい。近所のBSアンテナを見てきます」といって外に出ていった。
私はガッカリしてしまった。なんと原始的な受信チェックなんだろう。
方位は南南西、仰角何度。と計れば分かることなのに。
私はザックからコンパスを出して、衛星はこっちだぞと、教えたくらいだ。
「受信チックの機材はないのかい?」と聞くと
「ただ、現場を見てこいと言われてきただけです」というのだ。
そんなことなら私が”ヒマダレ”して待ってることはない。外から現場を見るだけでことは済むのだ。
だんだんと腹が立ってきた。
「屋根に上がるにはどこから上がるんですか?」と、きたもんだ。
「梯子に決まってるだろう。2連梯子を使わなきゃ上がれないよ」と少々意地悪に言ってやった。
梯子さえ用意していないのだ。
「それじゃ、窓先がだめなら屋根ということでやりましょう。工事の日は改めて連絡します」といって帰っていった。
とうとう頭に来た。「窓先がだめなら屋根」ということは初めから分かっていることじゃないか。
それを聞くために何で私が二日に渡って2時間も時間を潰さなきゃいけないんだ。
そんな調子じゃ、あと一日でアンテナが付く保証はない。
男が帰ってすぐに工事会社へ電話をし、工事を断った。
更に契約窓口の会社に電話をかけて解約を通告した。
あ〜あ、これでCSテレビは夢と消えた。
1999年10月24日 日曜日 午後 01:31:14
槍ヶ岳で一緒になったSさんは伊香保温泉の某保養所の所長をしている。
来年の春で退職するのでそれまでに一度いらっしゃいとのお誘いを受けていた。
一ヶ月以上前から予約しないと泊まれないと言っていたので「日にちはいつでもいいから部屋が取れたら連絡を下さい」と電話をしておいた。
つい先日、Sさんから11/23(火)が空いているとの電話があった。
23日は祭日だから久しぶりに桧洞丸へ行こうと思っていたので一瞬迷った。
Sさんはやりくりして空けてくれたのだろうから変更を頼むのも悪い気がして、その日に決めてもらった。
さ〜て、そうなると計画が難しい。当日に近くの山を歩いて温泉へ、それとも翌日に歩こうか、あるいはいっそのこと山は止めて温泉三昧で過ごそうか。
いまその選択に迫られている。
1999年10月22日 金曜日 12:04:56 PM
昨日は恵比寿ガーデンプレイスでオフ会があった。
東京都美術館で開催されている「山を愛する写真家達」を鑑賞してその後に一杯やろうという趣旨だ。
集まったのは男性4人、女性3人の総勢7人。
YGPの最上階にある焼鳥屋で乾杯。さっそく山の話で盛り上がる。
少々できあがったとところでメインの「ホイス」なる飲み物を求めて駅前の「田吾作」へ。
改めて乾杯し、ますます盛り上がる。
みんな明朗闊達、元気がいい。なんとも明るいオフ会であった。
他のメンバーは〆にラーメンを食べようと雑踏の中に消えていったが私はここでお別れをした。
山の仲間が集まるとどうしてこんなに楽しいのだろう。さわやかな余韻を残しながら帰途についた。
今朝は、幸にも二日酔いにならず快適な目覚めであった。
1999年10月20日 水曜日 午後 01:36:59
茅が岳の予定がお天気が悪いとの予想で近場に変更した。
高尾山を気軽に歩こうというわけだ。人気のない南鷹尾山稜を歩く。案の定人に誰も会わない。
いつもの迷いやすい場所が更に迷いやすくなっていた。
「この先行き止まり」「危険!この先断崖絶壁」と木の幹に書いてあった。ここはちゃんと標識が必要だ。
しかし、この道は整備の手が全く入っていない。道標も朽ちかけたままだ。
草戸山に着くと急に人が多くなった。この先どうしょうと考えたが峰の薬師の姿三四郎の碑を見に行くことにした。
途中で2匹の犬が付いてきた。毛並みは整っているがなんとも可哀相なくらいやせ細っている。お腹がすいているらしくしきりに何かをねだる仕草をしている。
食べ残しのサンドイッチをやると一気に飲み込んだ。歩き出すとぴったりついてくる。
三四郎の碑がある境内について今度はスパゲティを上げたがコレもペロリと平らげた。もう犬に上げるものはなくなった。犬は諦めたのか付いてこなくなった。
三沢峠に戻り、そのまま梅の木平まで林道を下った。梅の木平からは20号線をひたすら車道歩きだ。約30分車の排気ガスを浴びながらの行程は辛い。
高尾山の敷地に入り、栗、ユズなどが並んでいる売店を見ながら歩いていたら中年の登山者が声をかけてきた。
「大きな声では言えませんがここで売っているザクロ、どこで採れたか知ってます?」
「さぁ?」
「輸入物ですって。高尾山まで来て輸入物を買わされたんじゃしょうがないですね。ハッハッハ」と笑った。
この男、妙になれなれしい。
「私はリストラにあいましてね失業中なんです。だから毎週高尾山に登っているんですよ。お宅さん、何年生まれですか?私は1939年生まれです」
「西暦で言われても分かりませんね。昭和で言うと…」と答えると
「私の方が6年も先輩だワッハッハ」なんとも気さくなオトウサンだ。
別れ際に「稲荷山コースでスズメバチに刺された人がいるって大騒ぎしてるよ。救急車が来て報道陣がいっぱいだ。あなたどこのコース登ったの?」といって立ち去ってい言った。
確かに遠足の子供が蜂に刺されたと夕刊の記事が載っていた。
予想された雨は降らず、時折陽が射すような暑くなく寒くもないちょうどよい陽気であった。
これからは低山の季節だ。大いばりで歩こう。
1999年10月17日 日曜日 午後 06:14:54
めっきり涼しくなった。これで紅葉が一気に進むのだろうか。
火曜日は茅が岳に決めた。予報によると気温がだいぶ低いみたいだから空気が澄んでいるといいのだが。頂上は360度の展望だそうだ。距離があるので早起きしなくては…。
ザックの中身が散らかっているので、これから片づけがてら準備に取りかかることにしよう。
これからの季節、ザックが重くなりそう(^ ^
;;;
1999年10月16日 土曜日 午後 04:46:47
昨日、某マンションのWさんというオーナーがやってきた。
2年ほど前、Wさんのマンションを管理するようになったとき、世間話で私は「山が好きでねぇ」と話したことがあった。
その後、私の話に刺激されたのか、知らないうちにWさんは山を始めたのだ。歳のころは70前後というところだろうか。
骨と皮しかないような小柄な身体をしている。それもそのはず、彼は病気なのだ。
正確な病名は分からないが動脈瘤が破裂して入院したり、あっちが悪い、こっちが悪いと、しょっちゅう入退院を繰り返している。病院にいるとき以外は山に登っているという不思議な人なのだ。
本人曰く「今年いっぱい保てばいい」と医者に宣告された身体なのだそうだ。
実際、遺産相続について相談されたことがあった。
「そんなに身体が悪くって山なんか大丈夫なんですか?」と聞いたことがあった。
「病院でイテテ、イテテ、と苦しみながら死ぬくらいなら山で『おお〜!いい景色だ〜 ウッ、ウ、ウ』といって死んだ方がいい」と笑いながら言った。
なるほどそれも一理あるなと妙に感心してしまった。
仕事をしていないから、明日はいい天気になると思うと夜中に車を飛ばして行ってしまう。だから展望に裏切られたことはないそうだ。
奥さんは必死になって止めるのだがWさんは言うことを聞かない。
先週は日光白根山に登ったらしく、いいところだよと、しきりに薦める。
「いつかテッちゃんと一緒に歩きたいと思っているんだが、僕は足が遅いから…」というが、とんでもない。
その根性と精神力はとても真似できるものではない。
私が病気になったらはたしてWさんのように山なんか行けるのかしら?
1999年10月15日 金曜日 午後 04:31:19
来週はどこへ登ろうかと、過去の記録を辿っていたら去年の11/3は北横岳へ行っていた。
この日北横岳の頂上は気温0℃、風が強く体感温度は氷点下だったろう。
身体が芯から冷えて震え上がった記憶がある。
今年は残暑がいつまでも続いていたので山はもう冬支度だということを忘れかけていた。
これからは、寒さ対策を怠りなくしなければ…。
1999年10月14日 木曜日 午後 04:45:55
旅行会の幹事役から解放されてホッと一息。
来年は10月の旅行シーズンを外して6月頃にしようという案が出た。ホテル代やバス代が高いからというのがその理由だが、それを聞いて一安心した。
本音を言うとこの季節、温泉なんかより山へ行った方がよっぽどいいからだ。
職場に電話がかかってきた。
スカイパーフェクTVの営業だった。衛星テレビがまだアナログだった頃、大枚をはたいて屋根にパラボラを建てチューナーを買い、通信衛星まで受信できるような完璧な設備をした頃があった。
スターチャンネルなど映画専門チャンネルを受信し、一日中映画漬けになっていたものだ。
現在は衛星放送もデジタル化し一般に浸透してきている。私も興味があったが自宅にケーブルテレビが引かれるまで待っていようと思っていたのだ。
「話を聞いてやる」といったら午後に営業がやってきた。
内容はパラボラとチューナーの受信機セットがタダだという(4年間の無料リース)。おまけに設置工事費用もタダ。
毎月の基本料金290円と会費200円。それにパックになったチャンネルの受信料が3980円がかかる。
携帯電話を無料で配って通信費を稼ごうという通信業界のそれと同じだと思った。
ウマい話には必ずウラがあるので根ほり葉ほり聞いてみたがとくにリスクはなさそうだ。
申込書にサインをしてしまった。何日か後には工事の下見に来るのだろう。
1999年10月10日 日曜日 午後 02:23:29
今日は全国的に「体育の日」だそうだ。
抜けるような青空が広がって気分のいい一日になった。近くの体育館では運動に関するいろいろな催し物をやっている。
だからというわけではないが、地元の人達と話しているうちに11月に「ウォークラリー」をやろうということになった。
3年前に私が企画して好評だったので、またやって欲しいとの声があったらしい。
ゴールを知らされないままスタート1分前に渡された地図に従ってひたすら歩くのだ。
3年前の時はおよそ7qのコースを設定しクイズを解きながら歩いてもらった。
さて、今回はどんなコースを作ってみようか楽しみだ。
明日はいよいよ堂ヶ島へ旅行。バスの中の司会、宴会の進行係となにかとお役を賜っている(^
^ ;;;
1999年10月08日 金曜日 午後 05:20:04
何回も催促してやっと肺ガン検診の結果が出た。
30分待たされて診察室にはいると「全く異常ありません。はい」とのことで、およそ10秒で終わった。
毎日眠くてしようがない。朝からボ〜ッとしてなにもやる気が起きない。さっきも診療所の待合室で熟睡してしまった。いい気持ちで寝ているところを看護婦のデカイ声で眠りを破られた。
これで夜になると目が冴えてノコノコ近所の居酒屋へ飲みに行ってしまうんだから困ったもんだ。
1999年10月06日 水曜日 午後 06:32:41
来週、月火と伊豆堂ヶ島へバス旅行だ。昨夜は部屋割りの打ち合わせだった。
温泉へ行くくらいなら山へ行った方がよほど楽しいが、年1回の行事だし、幹事を仰せつかっているので知らんぷりもできない。
ここにきてキャンセルが入ったりで、なにかとスタッフは気が休まらない。
打ち合わせが終わったのが11時半頃だった。のどが渇いたので近所の居酒屋によってビールを一気に飲んだ。家に帰ると倒れるように寝てしまった。
涼しくなったのでよく熟睡できること。
1999年10月03日 日曜日 午後 05:37:59
今日は書くことがないなぁ。日曜日の割には仕事が忙しかったので山を想う暇がなかった(^
^ ;;;
このあと一杯飲んで寝るまでにい〜っぱい山を想うことにする。
1999年10月02日 土曜日 午後 06:46:13
カレンダーがあと3枚で西暦2000年だ。
世紀の変わり目に(21世紀は2001年だそうだが)この世に生を受けているということになにか感慨深いものがある。
西暦2000年の太陽をどこで迎えようか。こんなことを考えるのも楽しいものだ。
タコ取りのウイ〜ン、ウイ〜ンを調子に乗ってやっていたら削りすぎて血が出てしまった。
タコの痛さが取れたと思ったら今度は傷で痛くなってしまった。
バンドエイドを張ったが歩くと痛い。う〜、イテテ……。