毎日、山を想わない時はない。
昨日の反省、次回の山行、印象深いあの山この山。
心の中はいつも山がついてまわっている。
このコーナーはテッちゃんが日々想う山に関する日記を綴ります。
日記という以上、毎日書くつもりですが抜ける日もあるかもしれません。ご容赦下さい。
皆さんの割り込みメッセージも歓迎します。
1999年09月30日 木曜日 午後 05:52:51
タコ削りのウイ〜ン、ウイ〜ンは優れものだ。
毎日少しづつ削っていたら出っ張りがほとんどなくなった。あと芯が少し残っているのでそれを取れば消えてなくなるはずだ。変なものに病みつきになってしまった。
1999年09月29日 水曜日 午後 07:56:38
昨日は歩荷もどきさんの「別荘」、木ノ又小屋へおじゃました。
烏尾尾根を登り、表尾根に出て行者岳へ向かうと人影が。今日初めてで会う人間だ。誰かと思ったら歩荷もどきさんだった。
政次郎尾根から双眼鏡でこちらを見ていたらどうやらテッちゃんらしき人が見えたのでこちらへ向かって来たという。
お先にクサリ場を降りて先へ進む。もどきさんは新大日辺りで追いついて一緒に木ノ又へ向かった。
小屋について窓を開けると涼しい風が吹き抜けてなんとも気持ちがいい。
すぐに数人の登山者が入ってきて缶ジュースやビールを求めた。カップラーメンも売れた。もどきさん大忙しだ。
そこに「小屋の方いらっしゃいます?」と入ってきたのは背の高い好青年だった。
「私ですが…」ともどきさん。
「さかぼうです」
なんと、さかぼうさん(HPさかぼうの山岳劇場主宰者)がここへ来るとは!
もどきさんと私がここで会うことをBBSで知って、わざわざ来たのだという。
「やぁ、やぁ」ということでミニオフ会になった。歓談は時間を忘れあっという間に134分が過ぎた。
下山は木ノ又新道を降りることになった。もどきさんが最後尾に付き急坂を下る。
ヤブありガレ場あり涸れ沢のトラバースありで私にとっては完璧なバリエーションコースだ。
テープもあり踏み跡もしっかりしているけれど道が幾重にも分かれているところもあり、ガイドなしでは完全に道を失う。
もどきさんがこの先急だから、とか、ここは右へ、と後ろから指示してくれて小一時間で水無川の河原へ出た。
そこから更に40分。戸沢の交番へ着いた。
もどきさんの車で新茅山荘まで送ってもらい、私は車を乗り換える。大倉でさかぼうさんと別れ私たちはもどきさんの後を付いて秦野ICまでの近道を教えてもらった。
途中アイス工房でソフトクリームを沈みゆく真っ赤に燃えた太陽を眺めながら食べた。
そうそう、朝。戸川の林道で鹿の親子にあった。林道の真ん中に親子はいた。
車に驚くこともなくこちらを見ている。小柄できれいな毛並みをした鹿だった。
やがて鹿は林の中に駆け込んで姿が見えなくなった。
有意義で貴重な体験をした一日だった。
噂のアイス工房 | アイス工房から見た夕日 |
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1999年09月26日 日曜日 午後 02:26:18
蒲田へ行ったとき○急ストアーの前で雑貨のワゴンセールをやっていた。
台所用品や自転車に付ける雨カバーなどアイデア商品が沢山並んでいた。
タコや魚の目で悩んでいる人が多いと見えて魚の目タコを削るグッズ(?)が置いてあった。
ジャガイモや大根の皮を剥くような形のものや電動式のまでまぁ、いろいろあるものだ。
どうも刃物で削るというのは抵抗があるので電池式のものを買ってた。
使ってみるとこれがなかなか面白い。
グラインダーみたいなヤスリが回転して固くなった角質層を削るという代物だ。
ウイ〜ン、ウイ〜ンとうなりをあげて回転するヤスリをタコにあてると削られた皮膚が白い粉になって飛び散っていく。癖になりそうだ。
結局、タコというのもは放っておくとどんどん固くなって盛り上がっていくのではないか。
それが履き物に当たって痛みを感じるようになるのだ。うん、きっとそうだ。
気のせいかタコの背が低くなって靴への当たりが少なくなり痛みが減少した。
毎日ウイ〜ン、ウイ〜ンをやっていればいつしかタコは消えてなくなる−−−かも知れない。
特別版・今日の一枚
1999年09月25日 土曜日 午後 03:35:54
台風一過、晴天になったのはいいが夏が逆戻りしたような暑さだ。
23日、鷹取山で一通りの岩トレが終わって今度はトップロープで岩登りをすることになった。
クライミングシューズを持ってきたので履き替えたら持病の(?)タコがものすごく痛くなった。
左右の親指にタコができていてきつい靴を履くと痛くなる。特に右足がひどい。
登山靴なら指に余裕があるから何ともないのだが仕事の革靴やクライミングシューズみたいなきつい靴はダメだ。
皮膚科でもらった塗り薬は全く効かない。タコが柔らかくならないのだ。よほど頑固なタコなのだろう。
もう一度医者に行って相談したほうがいいかな。このまま放っておくわけにいかないから。
1999年09月24日 金曜日 午後 06:16:56
「岳人」を読んでいたら金時山の勝俣睦枝さんの話が出ていた。
ご主人亡き後、金太郎茶屋を守っている有名なご婦人だ。ここにあるきっかけで少年院の「子供達」が刑務官とともに登って来た。
その「子供達」に冷たい飲料水を飲ませたいと勝俣さんは100sもある冷蔵庫を担ぎ上げたのだ。
その後、毎年少年院の行事になって「子供達」がやってくるようになった。
「子供達」は勝俣さんが作った食事が終わると写生をしたり富士山を眺めたりする。
勝俣さんの目には「子供達」が普通の高校生のように映った。
5年目の登山の時「表彰式をする」という。誰の表彰かと思ったら「子供達」が勝俣さんを表彰するというのだ。
刑務官は言った。「少年達に野外実習で何がよかったか」と作文を書かせたところ金時山のうどんがいちばん美味しかった、と書いたという。
早く出所して本当の自由の中でうどんを食べたいと夢を語るのだそうだ。
刑務官だけでなく「子供達」も「有り難うございました」と、拍手してくれた。
勝俣さんはその時しばらく涙が止まらなかったそうだ。
下山する「子供達」を見送りながら勝俣さんは「頑張ってよ、負けないないんだよ」と手を振りながら言ったときの「子供達」のいい顔が今でも忘れないそうだ。
1999年09月23日 木曜日 午後 05:24:53
今日は鷹取山で岩トレだった。仕事はサボり(^
^ ;;;
本来は大田山の会の行事なのだが会としては天候の不安のため中止となった。
それでは、と言うわけではないがamaroさんが音頭をとって仲間内でやろうと言うことになった。
今日の主なメニューは2,30sあるコンクリートの固まりを落として確保している人がどの位の衝撃がかかるのかという体感訓練と、懸垂下降だった。
人が落ちると確保しているものはその衝撃で完全に身体が持ち上がってしまう。
懸垂下降は今まで経験したことのない空中下降(?)だ。高さ20mのハングっている崖から降りるので足がつかない。まるでバンジージャンプみたいだった。
お天気もよく充実した訓練だった。amaroさん有り難うございました。お疲れさま。
1999年09月22日 水曜日 午後 03:26:30
昨日は、大岳山へ行った。
目的は栗拾いだった。しかし、毎日の厳しい残暑で栗はまだ落ちていなかった。
去年はバケツいっぱいになるくらい拾ってきたのに、今年はひとつもなかった。
このところの残暑で、2週間か場合によっては1ヶ月くらい先になるのかも知れない。
昼は高岩山の展望台。先客の若い男性が二人いた。
雨がひどくなってきて二人は暫く様子を見ていたがやがて下りていった。
下りた先はバリエーションルートで東の方へヤブをこぎながら消えていった。
誰もいなくなった四阿で野菜いっぱいのラーメンを作って食べる。
突然ピカッと光ったと思ったらゴロゴロと雷が鳴り出した。
以前、鉄骨でできたこの四阿に雷が落ちたと聞いていたので、あわててコンロを片づけ荷造りをして山頂を後にした。片づけ時間30秒という速攻だ。
急いでいたのでカッパは上を羽織っただけでズボンははかなかった。半ズボンのままだったので靴に水が入り込みグチョグチョになってしまった。
往路、前後して歩いていた小学6年生達は大岳山に登ったと思うが大雨と雷でどうなっただろう。
山道にはカエルがいっぱい出てきて踏まないように歩くのが大変だった。
雨の山歩きも風情があっていいものだが雷が参加するとなると話は別だ。
ぐっしょり濡れた登山靴はソウルを外し、新聞紙を丸めて突っ込んで陰干しにした。
ザックも、ザックカバーもびしょ濡れ。後の始末が一仕事だ。
1999年09月20日 月曜日 午後 05:34:51
山の縁(えん)で思い出した。
2年前、職場の電話が故障したのでメーカーを呼んだ。
修理に来た中年男性は壁に掛けてある山の写真を見るなり、
「燧と至仏ですね。いつ行ったんですか?」と、山に興味ありありなのだ。
「こういう写真は日付を入れない方がいいんですよね」と写真に含蓄がありそうなので詳しく聞くと、
山の写真を撮っているアマチュア写真家なのだそうだ。
毎年、仲間同士で写真展を開いているのだそうだ。
後日、写真展の案内状が送られてきた。真夏のある日、会場の新宿まで足を延ばした。
受付で○○さんいますか? と聞くと奥から本人が出てきた。
彼の案内で会場を見て回ったが、展示された写真の一枚一枚がなかなか力作ぞろいなのだ。
山の雑誌のグラビアを飾る写真そのままであった。
この中から12枚を選んでカレンダーにするそうで○○さんの写真が選ばれるかどうかは主宰する先生の選択にかかっているそうだ。
「私の写真がカレンダーに選ばれたら送りますね」と別れ際に彼は言った。
秋風が吹く季節になって中型の封書が届いた。
来年のカレンダーであった。1ヶ月ずつめくってみると6月の写真の下に小さく○○の名前があった。
彼のおとなしそうな顔がその写真にだぶって映った。
1999年09月19日 日曜日 午後 05:13:03
けんさんから頂いた果物は美味しく頂きました。ごちそうさまでした、けんさんm(_
_)m
次の日にうどんがゆうパックで届いた。
送り主は伊香保温泉の某保養所であった。氏名が書いてない。
こりゃいったいなんだ? 荷を前にして腕組みをしてしまった。
伊香保温泉には何度か行ったことがあるが知り合いはいない。
まして、書かれている保養所に見覚えがない。
とにかく開けてみようということでひもを解いてみた。
中に手紙が入っていた。
「写真をお送りいただき有り難うございました。大きく引き延ばした写真は額に入れて飾ることにしました。
御礼の連絡が遅れてすみません……」
そうか! 槍ヶ岳で一緒だったSさんだったのだ。
山行のあと私が撮ったスナップ写真10数枚とその中のパーティー全員の集合写真を大伸ばしにしたものをSさんに送ってあったのだ。
私が写真を送ったのはSさんの自宅で、Sさんは単身赴任で伊香保にいたのだ。
だから彼が写真のことを知ったのはつい最近のことだったらしい。そこにタイムラグが生じ、発送元の違いもあって混乱したのだった。
中身は水沢うどんだった。すぐにSさんに電話を入れて御礼をのべた。
Sさんは、槍のあと同じツアーの企画で羅臼岳、斜里岳、阿寒岳を登ってきたと嬉しそうに語っていた。
そして「伊香保温泉に来て下さい。安く泊まれる用に手配しますから」と言ってくれた。
Sさんは某保養所の所長だったのだ。
人生にはいろいろな人とふれ合い縁をする。
その中でも「山」が仲介役となって知り合った人とは一般社会でのふれ合いとどこか違った感情が生じるのではないかと思えてならない。この縁をいつまでも大切にしたいものだ。
1999年09月18日 土曜日 午後 07:31:29
肺ガン検診の結果が出ただろうと病院に電話をした。
レントゲン写真が戻ってきていないので後日改めて電話してみてくれ、とのこと。
検査からゆうに10日は経っている。これじゃぁ、肺ガンだっらたもう手遅れだ。
このところ、正体不明の荷物が続いて2個届いた。
お歳暮には早いし、お中元にしては季節はずれだ。だいいち差出人に覚えがないのだ。
1個目は果物だった。アドレス帳めくったり、送り主の住所を地図で探したりした。しかし、どうしても思い当たる人はいない。
こんな高価なものを送ってくるのだからよほど世話をしたのかも知れない。
だが、最近世話になったことはあっても世話をした人はいないはずだ。
思い切って電話をしてみた。若い奥さんが出た。
「あの〜、○○さんって方はそちらにいらっしゃいます?」
「いま、いませんが」
「実はこれこれしかじかなんですが、○○さんってどなたですか?」
などとかみ合わない会話になってしまう始末。
「帰ってきたら伝えます」とのことで電話を切った。
消去法で頭を巡らした。得意先×。過去の知り合い×。最近のお客×。相談に来た人×。過去にふった女性×××。ふられた女性×。葬儀のお返し×。
あと残るは…。山の関係、山…、山…。そうだ! この名字は! けんさんではないだろうか!
急いでまた電話に飛びついた。今度はお母様らしき人が出た。
「さっき電話した者ですが、○○さんはけんさんって言いません?」
「はぁ?」
「よく山に行く人じゃありません?」
「山にはよく行っているみたいですよ」
「最近、△△へ通っていませんでした?」
「ええ、通ってましたねぇ」
これで謎が解けた。なぜけんさんから贈り物が届いたのか疑問が残るが、とにもかくにも丁重にお礼を言い、言付けを頼んで電話を切った。同時にお礼のメールを入れたのは言うまでもない。
さて、次の日に届いた荷物はうどんであった。この先は明日書くことにしよう。
1999年09月17日 金曜日 午後 06:22:06
ヤマケイ10月号「ひとり歩きの落とし穴」を読んだ。単独行者の遭難事故例だった。
55歳の壮年が、鑓温泉直下の雪渓を過ぎて湯の入沢辺りで道を誤った。沢を下った結果、大滝に出合い5mほど滑り落ちて進退窮まった。
発見されるまでの3日間、幻覚が現れたそうだ。
眠るまいと頑張っても寝てしまい、自宅で布団に入るような気持ちで靴もカッパも脱ぎ捨ててしまうんだそうだ。
ヘリで発見されたときはパンツと半袖シャツ一枚でガタガタ震えていたそうだ。更に救助隊がいる岩の上に駆け寄ろうとしたらしい。
病院で検査の結果、胃に12カ所の潰瘍ができていたという。強烈なストレスが原因だ。
このときの遭難救助費用が300万円以上になったそうだ。
自分もこれほどではないが過去に何回か危ない目に遭ったことがある。そういう時ってどうしても冷静な判断ができなくなるのだ。頭真っ白ケ、パニック状態。自分がとんでもないことをやっていてあとで苦笑することがある。
遭難なんて経験を積むわけにもいかないし、最終的には図太い神経が必要という事かしら?
1999年09月15日 水曜日 11:50:39 AM
昨日は入笠山へ行った。
中央高速道が諏訪南ICまでけっこう距離がある。
5時半に出て8時40分頃沢入のバス停に着いた。午後から天気が悪くなる予報だったが下山まで天気は保ってくれた。
勝沼によってメルシャンワイン工場を見学、ここにしか売っていないというワインを数本買ってきた。
あれこれ試飲していると何がなんだか分からなくなる。次第に顔が赤くなって、いい気持ちになってしまった。
1999年09月13日 月曜日 午後 05:30:23
さぁて、明日は久しぶりに山歩きができる。
入笠山の予定だ。天気は何とか明日までは持ちそうだし…。
今日は何となくわさわさ忙しかった。日曜日の分が月曜日に集中するし、明日が定休日だからやっておかなければならないことがある。
忙しいといっても即、収入になるわけではないから何とも張り合いがない(^
^ ;;;
1999年09月11日 土曜日 午後 05:36:07
今度の休みは入笠山の予定。天気良ければ360度の展望だそうだ。
登山のあとは勝沼あたりへ足を延ばして、ワイン工場をハシゴ。美味しいワインを探すという計画だ。
車だからあまり大量に試飲できないのがつらいところ。
今日は仕事の合間を縫って地元某旅行会のチラシ配り。幹事になっちゃっているのもだからこの期間だけ忙しい。毎年、大型バス1台仕立ててあちこちに行っているのだが、今年は10月に堂ヶ島一泊だ。40人を目標に集めることになっている。毎年のことだから人数は大丈夫だろう。
1999年09月10日 金曜日 午後 12:17:54
15日に大田勤労者山の会で新人研修がある。
登山届けの出し方や会の運営などの説明があるらしい。
会場の会事務所はすぐ近くなので参加してみようと思っている。
続いて23日には鷹取山で確保訓練がある。いつも確保ばかりされている自分が確保するための訓練を受けるのだ。2,30sのコンクリートを詰めたドラム缶を落としてその衝撃を実感するというものらしい。
確保される方も命がけなら確保する方もいっそう大変だ。
これも大切な勉強だから是非参加しなくては。
1999年09月08日 水曜日 午後 6:35:37
デジカメが来ちゃった(^。^) 注文の時より更に1000円安くなっていた。
さっそく試写しようと思ったらスマートメディアは別売りだった。辛うじて電池は付いていたが……。
これで低山山歩も人に負けないくらいの画像になるかしら? これもやっぱり腕次第かな?
1999年09月07日 火曜日 午後 4:01:54
一応、シャキッと目が覚めたら御岳山あたりを歩いてみようと昨夜の内にザックの用意はしておいた。
午前4時、目覚ましが鳴ったがシャキッというわけにはいかなかった。
ぐずぐずしているうちにまた寝てしまった。次に目が覚めたのは9時だった。
やっぱり、「山へ行くんだ!」という固い決意がないとダメだな。曖昧な気持ちでは、結局「今日はやめとこう」となってしまう。
今日は掲示板にクッキーを仕込んで書き込みをし易くする作業をやろうと思ったが、これもなんだかんだで出来ずじまい。これから医者に三日間採った肺ガン検診用のタンを届けて今日の予定はおしまい。
1999年09月06日 月曜日 午後 5:23:33
懸案だったデジカメだが、いろいろ見て回ったところfinepix2900zに魅せられてしまった。
230万画素という代物だ。そのかわり値段もいい。欲しいけど財布の中身がなぁ、と思案していたところ、ふとしたところから幸運の女神が現れたのだ。
定価99800円。量販店で79800円、それを更に、かなり、大幅に、「え〜い!持ってけ泥棒!」状態の金額でいいというのだ。
まるで狐につままれたような話だ。この話が本当なら明日かあさってには手元に現物がくるはずだ。
あとはカードリーダーを買って、と。ウッヒッヒ!!!
1999年09月05日 日曜日 午後 1:29:01
自分が死んだ夢を見た。
観光バスかなんかに乗っていて、事故が起こったわけでもないのに、いつの間にか自分だけが死んでいるのだ。
死んだといっても自分は意識があって周りのことはみんな見える。
周囲の人が私の存在をまったく無視しているので透明人間になったみたいなのだ。
(人は死んでも意識があるんだなぁ)と思ったが(そうだ、これは火葬にされる前だから意識があるんだ。すると今頃はお通夜の最中かな?)と思い直した。
急に場所が変わって知らないどこかの家にいる。台所で若い奥さんがタバコを吸っていた。
私も無性にタバコを吸いたくなってポケットを探るがタバコがない。
(タバコを買いに行かなくっちゃ)と表へ出た。外に出ると広い国道があって反対側にタバコ屋らしき店がポツンと建っている。国道は横断歩道もなく、車がビュンビュン走っていている。
(これじゃ、危なくって渡れないな。車にぶつかったら死んじゃうもんな)と、わけの分からないことを考えながらスキを見てタバコ屋目指して走っていった。
タバコ屋は土産物屋みたいな店で数人の客がいた。小銭を出して(なぜか小銭を持っていた)やっとタバコを買うことができた。
そこで吸ったタバコの美味しいこと! それにしてもタバコ屋のおばちゃんは死んだ私になぜタバコを売ってくれたんだろう?
そのあともゴチャゴチャといろいろなことがあったのだが忘れた。
おかげで今朝は、2時間も寝過ごしてしまった。
1999年09月04日 土曜日 午後 4:46:57
いや〜、ずいぶん涼しくなった。そこここに秋の気配が漂っている。
日中は少々蒸しているけれど、朝晩は凌ぎやすい。コオロギの鳴き声が聞こえる。
天気予報では秋雨前線なんて言葉が聞かれる。
こうなると「低山山歩」の出番だ。火炎放射器に焼かれたような暑さから解放され、里山気分で山を歩ける。やがて、木々が色づき山を真っ赤に染めるだろう。次に山々は木の葉の落ちる音が聞こえるような澄んだ空気に包まれていく。
考えてみれば、カレンダーもあと4枚しか残っていないのだ。1年なんてあっという間だ。
1999年09月03日 金曜日 午後 12:27:37
不覚にも風邪を引いてしまった。
喉が痛く、頭が重い。熱を計ったら7度5分あった。こうなったら早く治すには医者に行った方が手っ取り早い。
例の美人女医がいる医院に行った。喉が真っ赤に腫れていた。
「肺ガンではないでしょうね」と聞いてみた。
つい最近、こんな話を聞いた。本人の奥さんの話だ。
ご主人が風邪を引いたといって町医者に見てもらったら大学病院を紹介された。
2週間後に検査をしてみたら肺ガンに疑いで即刻入院となった。更にその2週間後にそのご主人は亡くなってしまったという。50代前半の健康で働き盛りの方だったらしい。
聞くと、風邪の症状とまったく同じだったのだそうだ。そんなことが身近に起こったばかりだったので心配だったのだ。
「ちょうど、肺ガン検診を無料でやっていますから検査してみましょう」とレントゲンの予約をし、タンの検査の容器をくれた。
「ついでに風邪が治ったら成人病の検診もしてみましょう」と女医が言ってくれた。
医薬分業とかで薬の処方箋をもらってすぐ前の薬局に行く。
でてきた薬を見てびっくり。スーパーで買い物をしたような量だ。
「ええッ! こんなにあるんですか?」と思わず叫んでしまった。
これはタンを鎮める薬です。こちらは風邪の症状を抑える薬。こちらは咳を鎮める薬。これは細菌の感染を抑える薬。これだけ飲むと胃に負担がかかりますのでこちらは胃の薬。「サービスに山が嫌いになる薬を上げます」とは言わなかったが、5種類5日分もくれたのだ。
1999年09月02日 木曜日 午後 2:33:30
厳しい残暑も一息ついて何となく秋の気配が漂ってきた。
これからが低山の本領発揮。近場のハイキングには最適のシーズン到来だ。
どうも、風邪を引いたかも知れない。頭がボーッとして冴えない。毎年のことだけど秋口になると夏の疲れが出てスッキリしないのだ。昨夜は酒を飲んで早く寝てしまったため今朝目が覚めたら3時半だった。本を読んだりして又寝たが、そんなことをやっているんだから風邪もひくわな。
1999年09月01日 水曜日 午前 11:33:32
何となく体がだるく頭が痛い。昨日の熱暑の中歩いたのが原因か? それよりも裸で窓を開けっ放しで寝たのがいけなかったかも知れない。
昨日裏丹沢の姫次まで往復5時間くらい歩いたのだが、ニセ痛風の後遺症か足親指の付け根が痛くなった。
ニセ痛風といえば槍ヶ岳山行の時、自宅からバス乗り場の新宿まで電車に乗っただけで足が痛くなった。「これはヤバイ」と思いつつ上高地に着いた。さっそく外反母趾用のパッドを付けて医者からもらった薬を飲んでおいた。
これが効いたのかその後の山行にはなんの支障もなかったのだ。それなのに昨日の痛みはなんだろう。
普通の歩きには問題ないが長丁場を歩くのにはチト心配だ。