山恋うる日々のつぶやき 8月のつぶやき

電車に乗っても職場でも一日の内で、山を想わない時はない。
昨日の反省、次回の山行、印象深いあの山この山。
心の中はいつも山がついてまわっている。
このコーナーはテッちゃんが日々想う山に関する日記を綴ります。
日記という以上、毎日書くつもりですが抜ける日もあるかもしれません。ご容赦下さい。
皆さんの割り込みメッセージも歓迎します。


1999年08月30日 月曜日 午後 5:27:22

明日の山行がまだ決まっていない。
雷三日というからあすも夕立があるだろう。早めの下山を考えなくてはいけないから長い距離は無理だ。
結局、夜中の「トタキメ」になるんだろうな。

【槍ヶ岳こぼれ話7】
初日、上高地から歩き出したとき、道幅が広いせいもあってかパーティーは道に広がって歩いていた。
追い越す人も、すれ違う人もこれでは邪魔でしょうがない。
内心(これでいいのかなぁ)と思っていたが心配は無用であった。
道幅が狭くなるにつれて隊列はいつしか一列縦隊になっていった。
終始、パーティーの雰囲気を盛り上げていたムードメーカーSさんがいちばん後ろにいて(男性ガイドが付く前)
「特急が来たぞ〜!」「ダンプカーが追い越すぞ〜!」などと冗談を交えて前に声をかける。
すれ違いの場合は、リーダーのKさんが後ろに声をかけると、全員が山側に避ける。
槍ヶ岳山荘からの下りの時リーダーから注意があった。
「これからは下り一方です。早い人たちが来たらどんどん追い越してもらいます。原則、登り優先ですから登りには道を空けます」と。
実際その通りに登りの人に道を譲っていったが、頂上直下の急登を14人のパーティーに道を譲られた人は大変だったろう。
こちらの挨拶に、ろくに返事もできずに喘いでいる人が多かったのだから。
その後も我が隊列は一糸乱れず、すれ違う人々に元気な声をかけながら下っていったのだ。


1999年08月29日 日曜日 午前 10:04:20

【槍ヶ岳こぼれ話6】
最終の宿は横尾山荘だ。一気に上高地に下れる時間はあるのだがここでもう一泊というところが中高年向きの設定である。
この日はガイドの方から宴会(ミーティング)の話があった。三つ割り当てられた部屋の内一部屋を使って全員集合となった。ビール、日本酒、ワインと売店からわんさと買い込んで、つまみも誰のザックにこんな物が入っていたのかと思うくらい部屋に並べられた。
パンフレットが配られ会社の宣伝があった。既に来月の北海道ツアーに申し込んでいる人がいた。
笑いが絶えず座は盛り上がった。話はいつしか山の怪談話になった。
男性ガイドの話によると、槍ヶ岳山荘の奥のトイレは昔遭難者の遺体安置所だったらしい。そういえばくだんのトイレはやけに遠かった。離れのような廊下のずっと奥にあった。私はそのトイレに4回も入っていたのだ。
明神館の食堂では深夜3時頃になると遭難者が集まりだし、半透明の姿でテーブルを囲みじっと俯いて座っているそうだ。
女性達は「キャー!」といって立ち上がり「やめてよそんな話!」と耳を塞いだ。
「そういう話まだありますよ」といったが、消灯の時間が迫ってお開きになった。

二日酔いになってしまった。
三日三晩飲み続けたせいだ。山に来て肝臓を壊していたんじゃシャレにならないよ。


1999年08月28日 土曜日 午後 2:34:02

【槍ヶ岳こぼれ話5】
第二夜は槍ヶ岳山荘だ。山荘に着くと同時に雨になった。山頂への登頂は中止になった。
談話室を占領して宴会になった。ここでも「ガイドを呼べ!」と、寝ているKさんを起こして和の中に。
ここでの話題はあまり記憶がない。気がついたらテーブルの隅にビールの空き缶が15本くらい並んでいた。それに焼酎が少々。
隣の男性はテーブルに突っ伏して酔いつぶれている。さすがに高度3060mでの酒はよく効く。
時間が来て全員食堂に集まり食事を済ませた。酔いつぶれていた人もいつの間にか目が覚めて、しっかり食事をとっていた。
布団に入ったら心臓がバクンバクン高鳴って頭が痛くなってきた。こりゃイカンとトイレに行って水を飲み、呼吸を整えて床に入った。少しは落ち着いていつの間にか寝入ったようだ。
明けて朝食の時、酔いつぶれていた男性が言った「どうも昨日は寝てしまって…。ただ、ひとつだけ記憶がないんですよ。夕食を食ったかなぁって……」


1999年08月27日 金曜日 午後 12:18:09

このところの涼しさでよく眠れる。熱帯夜の寝不足を一気に取り戻すような眠気だ。
朝からボーッとして何もやる気が起きない。
夏休みが終わって学校に行くのを嫌がる小学生みたいだ。

【槍ヶ岳4】
山行中、毎晩宴会が催された。いや、催したといった方がいいかもしれない。
初日、風呂と食事が終わったあと、ロビーで私とSさんというオジサンと二人で飲んでいた。そこへ三人四人と集まりだしてとうとう全員集合となった。「ガイドを呼べ!」ということになってKさんまで呼び出された。
Kさんは「本当は最終日に集まる予定になっていたのに。では、先にやっちゃいましょう」といって彼女の進行でミーティングが始まった。
自己紹介から始まって山の経験などが語られた。
Sさんというオジサン夫婦は先月、同じツアーで燕、常念、大天井を縦走したという。参加者7人のうち最終日に3人が脱落、ガイドのひとりが3人を連れてエスケープルートを下りたそうだ。
このツアーは最小催行人数が5人だそうでどんな場合でも必ずガイドは二人付くという。
ツアーというと旗のもとにゾロゾロ歩く観光ツアーが頭にあるが、やっぱり登山はその辺が違うんだと感心してしまった。
ガイドのKさんは、元OLで山が好きでこの世界に飛び込んだそうだ。5,6月は尾瀬のガイドを、7,8月はここ、北アのガイドをやっていて主に槍コースが担当なのだという。
若い一女性が好きな道とはいえ俗世間を捨てて山の中に自分を見いだしている姿にまたまた感心してしまった。
飲むほどに酔うほどに座は盛り上がって爆笑の連続。フルートコンサートの時間が来て初日の宴会はお開きとなった。


1999年08月26日 木曜日 午後 1:23:07

【槍ヶ岳3】
朝の出発前にはガイドのKさんを中心に準備体操をする。そのあとに歩き方の基本の説明があった。
「この先は登りが続きますから歩幅を小さく、石の上に足を置くときは足裏全体で乗るように」など。
それだけでなく、山の名前や地名の由来、登山道に咲く花の名前を教えてくれる。
上高地からずっとそうであった。至れり尽くせりの大名山行だ。
私は花の名前を覚えようと頭の中にたたき込むのだが、次の花の名前を聞くと前の花の名前を忘れてしまう。
とうとう、ひとつも花の名前を覚えずに終わってしまった。


1999年08月25日 水曜日 午後 3:13:00

【槍ヶ岳2】
槍沢ロッジは小屋のオーナーが研究を重ねて造ったという水洗トイレが有名だ。
何でも微生物を利用して汚物を分解するそうで、臭いもなく清潔であった。一般登山者からは100円のカンパを募り、料金箱が設置してあった。
宿泊者用のトイレは小屋の中にあって「大」の部屋はこれまた広く洋式の便座だ。
更に驚いたのは風呂であった。ぴかぴかの木目も鮮やかな床にステンレスの浴槽で常に熱いお湯が注がれていた。5,6人はいっぺんに入れる広い浴槽に浸っていると山行の疲れもすっ飛ぶとういうものだ。

槍沢ロッジではフルートコンサートが開かれた。
大勢の人でいっぱいになった談話室にロングドレスに身を包んだ桂綾子、聡子さん姉妹のフルートの音色が流れる。「峠のわが家」「椰子の実」「エーデルワイス」など忘れかけた過去が蘇ってくるようだった。
ここが山小屋であることをいつしか忘れてしまう瞬間であった。


1999年08月24日 火曜日 午後 6:43:23

正味4日半も世間と隔絶されていると浦島太郎になった気分だ。仕事をするのも嫌だ。
昨夜、上高地から新宿までの直行バスの中で、後ろの席にいた青年が「あぁ! 餃子喰いて〜!」と叫んでいたのを聞いて私も無性に餃子を食べたくなった。
新宿についてさっそく中華屋を探し生ビールと餃子と醤油ラーメンを食べた。

槍ヶ岳4日間の旅は無事終了した(^o^)/
悪天のため、山頂は踏めなかったが終始楽しい山行であった。
初めてのツアー山行ということで心配したのはガイドであった。山を知らない添乗員が付いて事故を起こしたなんてことが過去にあったような気がしたからだ。

上高地で受付をしていたのは女性であった。参加者は10名。
全員集まると彼女は自己紹介をした。Kさんという、この女性が山岳ガイドだったのだ。
隣に集合している穂高のグループのガイドは足はブッ太く、屈強な体躯で口答えすると鞭でひっぱたかれそうなアマゾネスみたいな女性だった。
それに比べるとこちらは細身の20代半ばとおぼしき美形の女性だ。
準備体操のあと、「ご質問は?」との問いに、中年男性から「ゆっくり歩いてほしいんだけど」と声がかかった。とたんに周囲から笑いが出て座が和やかになった。
いわれるまでもなく、終始ゆっくり歩きで私にはちょうどいいペースだった。
次の朝、槍沢ロッジで若い女性が二人合流し更にガイドがひとり増えた。20代前半の無精ひげを生やしたいかにも山男らしい青年だ。Kさんが「Mさんといい、今日から私のサブリーダーをつとめます」と紹介した。
頼もしい山岳リーダーに前後を挟まれて槍ヶ岳ツアーが始まった。


1999年08月19日 木曜日 午後 3:21:22

いよいよ、北アルプスデビューが今夜から始まる(^o^)/
荷は重すぎないか、忘れ物はないか、ニセ痛風の後遺症は大丈夫か、はたしてお天気は、etc。
何となく落ち着かない。
さっき、Nifty山のフォーラムをみていたら「槍の梯子が怖い」と、やたらと書き込みがあった。
え〜い! 歩き出してしまえば何とかなるだろう。あとは運を天に任せよう。


1999年08月18日 水曜日 午前 11:39:56

お盆休みが明けたので整形外科に行ってきた。
痛風の最終診断は「ニセ痛風」だと正式に決まった。
尿酸値は3.5と正常。どうやらカルシウムが悪戯して痛風と似たような症状を起こすらしい。
「牛乳の飲み過ぎですか?」
「牛乳ぐらいいくら飲んでも構わんよ。ただ、焼き肉を食べる場合、上ではなく並にしなさい」
「私はいつも並しか食べたことがありません」
「油が多いのは避けた方がいい。ということであなたは『ニセ痛風』、ま、良かったね」
と、いうわけで痛くなったときのための新しい薬を貰ってきたのであった。

さ、今夜あたりから槍山行への本格的な準備をしなければ(^。^)


1999年08月17日 火曜日 午後 4:50:52

ふらっと山道具屋へ行ってみた。鶴見と桜木町をハシゴしたが結局何も買わずに帰ってきた。
いや、本を一冊買った。「空飛ぶ山岳救助隊」という本だ。副題に「ヘリレスキューに命を懸ける男、萩原秋彦」とある。東邦航空のヘリによる山岳救助体験をまとめたものだ。
帰りの電車の中で表紙を広げると、本人のサインがしたためてあった。
こういうのって何か得をしたような気分になるよね。


1999年08月16日 月曜日 午前 11:03:09

昨日、ザックの軽量化を図る工夫をするためパッキングをしてみた。
水を1リットル入れて計ってみると6.5s。これに弁当や上着を入れてもプラス1sくらいかな。
これじゃ、里山のハイキングだ。
今回は団体行動だからコンロも省いて非常食も最小限にする。着替えも1回分のみ。
あとは何とかなるだろう(^。^)


1999年08月15日 日曜日 午後 2:12:16

さすがにお盆まっただ中で商店街も静かだ。道路もスカスカ。
昨日とうって変わって晴天が戻ってきたから行楽地はさぞかし混雑しているだろうな。
それにしても玄倉川の事故、可哀相なことになってしまった。


1999年08月14日 土曜日 午前 11:14:49

凄い雨だ。雨の予報は知っていたがこんなに荒れるとは思ってもみなかった。
職場にいても誰〜れも来ない。こういう日はおとなしくパソコンでもいじっていよう。


1999年08月13日 金曜日 午前 10:04:14

昨日、1ヶ月半ぶりにジムに行った。
このところ何となくおっくうになって遠ざかっていたのだ。だけど、行ってみれば気持ちがいい。
ほんのちょっと動いただけで息が切れ、疲れてしまった。
持久力の低下か、体力の衰えか、これもすべて歳のせい?
帰りに居酒屋でしこたま飲んでしまった。こっちの方はまったく衰えていない。

ニセ痛風はすっかり痛みが取れた。かえって親指のタコの方が固くて痛い。


1999年08月12日 木曜日 午後 5:51:30

映画「K2」を観た。家で古いLDを引っぱり出して観たのだ。
検事で独身の男と、家庭を愛する科学者の山仲間二人がひょんなきっかけでK2登山のパーティーに加わる。
年輩のリーダーが高山病でBCまで撤退。登頂を目指した先発は遭難してしまう。
満を持して頂上を目指した二人は登頂に成功するが下山中に悪天候に阻まれ科学者は滑落。
足を骨折してしまった。
リーダーを下ろすヘリが着くまでに二人は下山しなければならないのだ。
以前観たときは山を始める前だったので気が付かないことが多かったが、いまこうして改めて観ると違った感動が伝わってくる。
山の映画はやっぱりいいね。

足の腫れと痛みがほとんどなくなった。もう少しでもとの状態に戻るんではないだろうか?
このペースで行けば山は絶対大丈夫。すぐにでも歩きたくなった。

医院での光景(その3)
年輩の患者が診察室に入った。
患者「先生、1ヶ月ぶりです。。家が遠方で身体の具合も良くなったのでついご無沙汰してしまって……」
院長「おう、そうか。それはいいことだ。医者と寺は遠いほどいいんだ」


1999年08月11日 水曜日 午後 1:20:09

医院での光景(その2)

診察室に入ると、小さな椅子が並んでいて既に二人ばかり座っていた。
目の前には診察ベッドがあり、その先のカーテンで仕切られてた所が院長が診察する場所だった。
後ろのレントゲン室から4,5歳の男の子が若い母親と出てきた。
暫くしてカーテンの奥から院長が出てきて、
「さぁ、レントゲン写真を見てみようか」と母子を呼んだ。
ぼんやり聞くともなしに聞いていた。見たところ活発でなんの不都合も感じさせない子だが、どうやら股関節の異常ということらしい。
説明が終わったあと医師は看護婦に松葉杖の用意を言い付けていた。

ここで私は別室に血液を見に行ってしまったのでその間のことは分からない。

帰ってくると男の子はパンツ一丁にされて数人の看護婦に押さえつけられていた。
ギブスの型を取っているらしかった。
母親も息子をかばいつつ後ろから押さえている。男の子は大声で泣き叫んでした。
「お利口さんでしょ。痛くないのよ」と看護婦が一生懸命なだめている。
石膏が固まるまでの5分間は同じ姿勢を保たせなければならないらしい。
男の子は何をされるのかという恐怖で小さな身体で必死に抵抗している。
男性のレントゲン技師までも加勢に加わった。
男の子は怯えで泣き声はますます大きくなって大暴れする。
カーテンの奥で診察をしていた院長が突然出てきて
「我慢するんだ! 君は男だろう! 言うことを聞け!!!」
と怒鳴りつけると同時に、男の子の手の甲をピシャピシャひっぱたいたのだ。
男の子はピタリと泣きやんだ。口元をへの字に結んでこぼれそうな涙を懸命に抑えていた。
院長は母親に言った。
「お母さん。男の子は野獣なんだ。理由をちゃんと説明して毅然としなければいけない。頭や顔ではなくこうして手を叩くんだ、分かったかい? お母さんもしっかりしなさい!」
「は、はい!」若いお母さんは院長に頭を下げて言った。
やがてギブスの型が出来たらしく母子が部屋を出ていった。私が院長に呼ばれたのはそのすぐ後だった。


血液検査の結果が出た。
なんと、尿酸値は正常だった。こんなことってあるのだろうか。
院長の説明によると、日本人特有の低尿酸値でなる痛風もあるのだそうだ。
それともう一つ、「偽(ニセ)痛風」というものがあるのだという。カルシュウムが何らかの影響を及ぼすらしい。
なんだか狐につままれた感じだ。
質問をした。
「山を歩いているんですけど大丈夫でしょうか?」
「おおッ! そりゃいいことだ。どんどん行きなさい。一応、痛み止めの薬を持ってな。はい、ご苦労さん。お大事に」


1999年08月10日 火曜日 午後 2:46:29

昨日の医院での光景(その1)
血液を見に別室に通されたのは私と60過ぎと思われるおばさんだった。
先におばさんが自分の血液をモニターで説明を受けた。
以下、検査技師とおばさんのやりとり。
「これが赤血球です」
「はあ」
「ここに黒くなってつぶれたようなものがありますね。これは赤血球がウイルスに冒されて壊れている状態です」
「それは癌だっていうことですか?」
「風邪を引いたりしているとこういう状態になるんです。どこか具合悪いところありませんか?」
「はい、そういえばこのところ肩が凝って……」
「それは関係ないでしょう。あまり気にするほどのことではありませんが」
「心当たりといえば、いすに座ると肛門が痛いんです。そのせいでしょうか?」
おばさんは最後まで真剣だった。町医者って庶民的で面白いね。


1999年08月09日 月曜日 午後 4:45:32

大ショックだ。maruse1さんに指摘されて、まさかと思いつつ医者にいった。
医者は診るなり「痛風だよこれ」とこともなげに言った。
ここは名医といわれている整形外科の個人医院なのだ。職場から徒歩で1分もかからないところにある。
採血をしたあと、血液の説明がありますからと別室へ案内された。
狭い部屋には顕微鏡を覗き込んでいる青年がいた。蜂の巣のような丸いものがいっぱい並んでいる血液をモニターでみせて、
「これが赤血球、このように壊れているのは風邪を引いた場合など、何かのウイルスに侵されているんです」と。
自分の血液を目の当たりにしたのはこれが初めてだ。説明されたってなんのことかサッパリ分からない。
診察室に戻る。「痛風の薬出しとこうな。痛み止めも。」「先生、冷やすと良いようなんですが」「そうだ、それはいいことだ湿布も出しとこう。お〜い、あとで湿布の張り方教えてやってくれ」と看護婦に言いつける。
先生は次の患者を呼ぼうとするので「さっき撮ったレントゲンはどうなりました?」というと。
「そうだそうだ、写真があったんだ。フム、骨なんて何ともないよ、きれいなものだ」とレントゲン写真を横目に言った。
「大丈夫だよ。すっかり治してやるから」と、自信たっぷりに言った。

痛風とは贅沢病で美食ばかりしている人がなるものだと信じていた。また、痛みは指の先とか尖ったところに現れると聞いていたし、尿酸値は検診の度に正常値だったのですっかり油断していた。
でも、原因が分かったので一安心。骨折や捻挫ではないので山は歩ける(^o^)/ はずだ。


1999年08月08日 日曜日 午後 12:38:14

昨日、朝起きたとき右足の親指の付け根に痛みが走った。おかしいなぁ、と思いつつ放っておいたら今朝になって赤く腫れてきた。全体的に痛みも広がってまともに歩けない。なんかヤバイ状態になってきた。
タイガーバームを塗りたくったり、熱冷シートを張ったりしているのだがいっこうに改善されない。
タコとも関係ないし、虫刺されかとも思うのだが喰われた痕跡がない。捻挫をした覚えもないしいったいどうしたのだろう。
このままでは山行に差し支えるので明日、医者に行って来よう。
こういう場合皮膚科なのか整形外科なのかどっちに行けばいいんだろう?


1999年08月07日 土曜日
読売新聞の朝刊に「涼風 槍ヶ岳」と題して槍の写真が2枚載っていた。
一枚は登山者のランプの光跡が槍の穂先まで続いている写真だ。行列かと思ったら30分間露光して撮った写真だった。この光跡の中に何人の登山者がいたんだろう。(記事をよく読んだら30人だそうだ)
この日、気温12度、ご来光が霧に反射して周りが金色に見える珍しい現象があったそうだ。


1999年08月05日 木曜日 午前 11:58:37

HPのトップページを少々変えた。大幅な変更はないが新企画として「中高年の標準タイム」(仮題)っていうのを作りたいと思っている。過去の資料を使ってガイドブックのコースタイムと自分のコースタイムを比較するのだ。
どこを歩いていても、いままで人を追い越したことがない。追い越されることはしょっちゅうあるのだ。
さて、どういう構成にしようか目下思案中。


1999年08月04日 水曜日 午前 09:37:52

このごろザックの重量が気になって仕方がない。年齢に比例して日増しに重くなっていくのだ。
下旬の槍ヶ岳山行にあたって最重要課題になっている。
1日の沢で試しに突っ込むだけ突っ込んでみようと60Lのザックにハーネス、カラビナはもちろんあらゆるものを入れてみた。
計ってはいないが20s以上にはなっていただろう。
林道をたった30分歩いただけで汗が噴き出し、息が切れた。景色を見ようとちょっと振り向いただけでよろけてしまう。
こりやイカン。こんなんで北アルプスは絶対無理だ。歩荷もどきさんの御指南によれば25Lで充分とのこと。
そして昨日。箱根山を歩くとき徹底的に要らないものを省いてみた。
でっかいマジックインキ。なんだこりゃ、未だかつて使ったことがない。
救急セット。三角巾など使い方を知らないのだ。バンドエイドで充分だ。
そんなこんなで、ザックはスカスカになってしまった。
おかげで箱根山は心も軽く身も軽くついでに財布も軽く、楽しく歩くことが出来た。槍もこれで行くことはいうまでもない。


1999年08月02日 月曜日 午後 04:53:01

昨日の女郎小屋沢の出合での水遊びは楽しかった。
総勢15人。沢の遡行に行くグループと、昼寝組(留守番)とに分かれそれぞれ思い思いに時を過ごす。
私は今回初めて留守番に回った。木陰で昼寝をしたり、沢を散策したり思ったより退屈しないですんだ。
時間になるとそーめんを茹でてみんなで食うのだ。これがまた至極の美味さなのだ。

対岸にテントを張って昼寝をしているひとりの男がいた。
聞くと昨日から泊まっていて、今日、もう一泊するらしい。小さなパラソルの下で本を読み、飯ごうで食事を作ったりたったひとりで二日も過ごしているのだ。こういう時間の過ごし方もあるんだなぁと、何か新鮮なものを感じてしまった。
だけど、私にはできないなぁ。熊に引かれそうで怖いもの。


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