これぞまさしく無謀登山
「沢登りはもうコリゴリ」の巻

このページは「月間MT」アブナイおじさん短編シリーズより転載させて頂きました。


 思えば高所恐怖症のWが、沢登りのマネをしようということ自体に無理があったのかもしれない。


 「沢に登ろう」とH中年がW中年を誘ったのは、七月の初旬だった。HはWが仲間とやっている小さ
な企業の得意先であり、同時に二人とも丹沢ハイカイ中年団という秘密結社の構成員だったので、
時折、N隊長、S団長らと共に丹沢を歩き回っていた。Wは長い間、一人で山歩きをしていたので、
単独では危険だといわれている沢登りはやったことがなかった。

 一方のHは、高校時代から山岳部で、丹沢の沢はもとより、有名な岩もかなり登っていた。ただし、
それもかなり昔で、時間的なブランクがあった。Wは、しかし、まあ経験豊かな先輩としてHについて
いった。ところが、これがけっこうアブナイ中年二人組だったのである。

 八月初旬、一年中で最も天候が安定している時期の金曜日の午後、H中年とHの経営している会
社のH社員、つまりH中年とH青年、それにW中年の三人は、丹沢の県立登山訓練所の近くのキャ
ンプ場にテントを張って、お遊び拠点のベースキャンプを設営した。その二日目の朝、H青年を留守
番に残し、H、Wの両中年は勘七ノ沢に入った。

 この勘七ノ沢というのは、東丹沢の塔ノ岳の大倉尾根・花立近くを源流とする沢で下流は四十八瀬
川という川になる。四十八瀬川は富士山から流れる酒勾川と合流し、やがて小田原付近で相模湾つ
まり太平洋に注ぐ。こうした川の上流の山中を源流に向けてさかのぼっていく沢登りは、通常の山歩
きの「尾根歩き」とは違って、岩がゴロゴロと転がった沢やいくつかの滝を越えて登っていく、涼とスリ
ルを楽しむスポーツで、特に夏に人気がある。

 H中年とW中年は、登山訓練所の上流の二俣という地点から沢に入り、上流に向かって歩いてい
った。やがて小さな、それでも五メートルはある滝にでた。Wは「こんなとこ登るのか。オレだめ、巻
く」と左岸からよじ登って滝の上に出た。さらに上流に向かって進んでいくと「F1」と書かれた滝に出
た。なんだ、けっこう苦労して越えたのに、さっきの滝は番外だった。F1も巻いた。巻き道もけっこう
コワイ。

 やがて「F2」。ここも巻き。だが、巻き道がはっきりしない。H中年にいわせると、ここは巻くような所
ではないので、踏み後もないのだろうという。岩と草付きのザラザラと崩れる土の急斜面を登る。草
や岩、樹木につかまりながら崖の上を斜めに移動していく。Hが先行したが、続くWのペースが落ち
た。へたに動くと、ズルッとすべって、崖下に落ちそうだからだ。ようやく、WがHに追い付いたとき、H
はガケから上半身だけを見せていた。下半身をガケ下に降ろして、降りていこうとしていた。そのよう
にWには見えた。

 「冗談じゃないぜ、あんなとこ降りようっていうのかい」。Wは「もうついていけない」と思った。そし
て、そのまま立ち止ってHの様子を眺めていた。ところが、Hはその姿勢のまま動こうとしない。そし
てこちらを向いて「急いでこっちに来い」という。Wは、なんかイヤな予感を感じたが、どうも様子が変
なので、慎重にホールドを探しながら近付いていくと、Hは「足を踏み外したので、オレの上の方に来
て支えろ」という。「手がしびれてきた、あまり長い時間は、もたない」という。


 「そりゃ大変だ」Wは、Hの頭上の斜面に移動した。しかし、そこには、ホールドになる木も岩もなか った。
 ただ一カ所、心もとない草が生えていた。しかし、いまは緊急事態だ。その草を右手でつかん
で左手を差し伸べた。

 しかし、Wの位置からでは、高すぎて手が届かない。Hは「もっと下がれ」という
が、下がろうにもホールドがない。そこで、Wはとっさにザックを肩から外して、背負い紐の片方をつ かんで、もう一方をHに差し出した。Hがつかんだ。

 重量が増す。Wは両足を踏ん張ってこらえる。右
手でつかまっている草の根元がグラグラと心細く揺れている。Wが左手で引き揚げようとすると、Hは 「引っ張らなくてもいい」といい、さすが往年のクライマー、バランスを取りながらよじ登ってきた。

 Hが完全にガケの上に立った後、二人は狭いざらざら斜面に折り重なってへばり付きながら冷汗を 流し、しばらく荒い息をしていた。この間、ホンの数分間だったが、とても長く感じた。もし、Hのつか んでいた草が抜け、体重がモロにWにかかれば、Wのつかんでいる草も抜けたかもしれないし、W の草が先に抜けた場合もHを支えることは、不可能だったろう。危うく中年男二人組、仲よく心中して しまうところだった。

 滝には必ずしも完備された巻き道があるわけではない――。沢登りの初歩をWは学んでいた。そ
の後しばらく岩がゴロゴロした沢を登っていくと、F3の滝に出た。ここには巻き道は全く無かった。手
掛かりを探して岩をよじ登るしかない。Hが先に登り、Wが続いた。岩登りの経験のないWは「体を
岩から離して、三点支持、冷静に落ち着いて…」とブツブツひとりごとをいいながら、以前読んだ、山
登りの教則本や新田次郎の小説などの記憶を総動員してなんとか登った。

 滝の上で、HとWはザックからコップを出して沢の水を汲んで飲んだ。緊張のあまりヤケに渇いたノ
ドに沢の水はうまかった。『生きている』実感だった。Wは、「もう、このへんでいい」と思った。これ以
上行くと、Wの能力では登れない滝に出会う可能性がある。これまで登ってきた岩場でさえ、もはや
降りるのは不可能だった。やっと登れる程度の岩は、ザイルなしでは降りられるものではない。

 我々には、ザイルもヘルメットもない。靴は普通の軽登山靴だったし、ましてWには経験も訓練もな
い。それどころか、1カ月ほど前、肋骨にヒビが入るという、ちょっとしたアクシデントに見舞われ、体
を動かさず安静を命じられている間に運動不足で肥満ぎみの『身重の体』になっていた。両腕で、自
分の体重が支えられるかどうかさえ自信がなかった。これ以上進めば、オレは落ちる――Wはビビ
リの鬼と化していた。

 Hは、そんなWの気持ちを知ってか知らずか、どんどん先へ進んだ。やがて、F4に出た。ドーッと大
量の水を落とすF4にWは息を飲んだ。「高い」。十メートルはある。この滝は途中二段になって流れ
落ちている。少なくとも一段目には巻き道はなかった。

 Hはここいらで食事にしようと言った。二人は、昨日駅で買ったおにぎりを二つずつ分けて食べた。
そびえる岩を前にして、Wは、全く味のしないおにぎりを沢の水でノドに流し込んだ。

 「さあ、行こうか」食事を終えて、しばらく岩を眺めていたHが言った。一段目はさほど高くなかった。
滝の右脇の岩をゆっくり登った。一段目を登り切って右の草付きの斜面に逃げる。そこは雑木がま
ばらに生えた急斜面だった。Wは、ここを登ってなんとか巻けないかと考えた。しかし、その斜面の
二十メートルほど上には、ややハング気味の岩場になっていて、登れそうにもない。Wは、斜面を少
し下流方向にトラバースしてみたが、巻き道らしいルートはなく、足元は崩れやすい土がザラザラで、
へたをするとまた転落する危険もあった。Wは、やむなくHのいる一段目の上に引き返した。

 そこには、滝の二段目が高くそびえていた。ここには登れない、ムリムリ――と、Wの心は叫んで
いた。しかし、引き返そうにももはや一段目の岩を降りることも容易ではない。降りるのは登るより難
しい。進退窮まったという状況だ。途方にくれてWは、石の上にヘタリ込んだ。それまで元気だったH
も心なしか言葉がない。二人はそのまま、数分間ボーッとしていた。

 その時、下流から学生らしい三人組がにぎやかにやってきた。ヘルメットをかぶり、ザイル、ハーネ
スを装着した完全装備だ。彼らは元気良く一段目を登ってきた。そしてリーダーらしい学生は、二人
にザイルを確保させて、岩登りの型通りに正しく二段目を登っていった。Hはこれを見て「勘七に登る
のにザイル、ハーネスはおおげさ過ぎる」と吐き捨てるように言った。一方、Wはこうありたいと思っ
た。万が一落ちてもザイルに支えられて下までは落ちない、「こうあらねばならぬ」と思った。

 しばらくして、リーダーが二段目に登り切った。その時、Hが後続の二人に突然話しかけた。「ザイ
ルをちょっと借りたい」。こうしてHとWは、学生たちからユマール(ナイロンの帯)を借りて腰に着け、
カラビナにザイルを通して二段目を登り始めた。ザイルを借りたとはいっても、カラビナにスカスカと
ザイルが通っているだけの気休めのようなモノだった。落ちればけっこう一気に落ちていくだろう。そ
れでも身体の近くにザイルがあるだけで心強かった。

 Wは、二段目の岩に取り付くために、途中の岩に貼り付いたまま、ユマールを直したりしていたが、
その時、下で確保してくれている二人が、なぜかザイルを引っ張ったために、Wは、ザイルによって
背中を引っ張られ、岩から引きはがされそうになった。「ゆるめてくれ〜」。ほとんど悲鳴だった。

 Hはケイベツの眼でWを見ながら「ザイルなんか外して登ってしまえ」といった。Wは外さなかった。
外してなるものか、と思った。Wは二段目を登り始めた。若いリーダーは、上からのぞきながら「右手
をそのホールドへ、次に左足をその岩へ…」と、的確に声を掛けてくれた。Wは、神の声のままに、
なんとか二段目を登り切った。

 滝の上から下をみるとけっこう高い。「オー怖ェ〜」。「あまり下をのぞき込まないほうがいいですよ」
リーダーは、少し迷惑そうにいった。次はHの登る番だった。Hは、ユマールのカラビナにザイルを通
して、岩に取り付いて登り始めた。が、岩に足を掛けては戻し、また掛けてを繰り返している。しばらく
やっていたが、これでは一向に進まない。Wの高所恐怖症がHに伝染したようだ。Hはいったん足を
元の岩に戻し、カラビナにザイルを結んだ。こうしておけば落ちても下まで落ちることはない。

 数分後、Hが滝の上に登ってきた。Wは、Hのユマールにザイルが結わえ付けてあるのを見た。W
のザイルを「外してしまえ」といったHは、いましっかり結び付けて登ってきた。ちょっと違うだろ、とW
は思ったが、まあともかく、無事にF4を登ることができたわけで、「めでたしめでたし」だった。Wはリ
ーダーに、お礼をいい、どちらのチームか聞いてみると、「昭和山岳会です」と山男らしくさわやかに
答えた。新人二人を連れて沢登りの訓練中だという。

 こうしてF4は登ったものの、Hの持っていたガイドブックによると、この沢最大のF5がこの先にある
という。Wは「もういい」と強く思った。Hに「引き返したい」といったが、Hは引き返せるものではない」
と取り合わない。川岸は雑木林の急斜面で、ヤブをかき分けて降りることなどできないというわけだ。

 Wも、かつて小さな丘のヤブを登ってみたことがあったが、結局登れず、竹の群落に挟まれて身動
きがとれなくなってしまったという、けっこう情けない体験がある。岩もイヤだし、ヤブもイヤ、という究
極の選択だったが、実はWは先ほどから、沢から逃げることばかり考えていたので、F4の少し上流
の岸に杉林があったのをシッカリ確認していた。杉や桧の植林された山には必ず道がある。この営
林のための小道は必ずしも登山、下山の目的にあった道ではないが、正しい方向にいけば必ず降り
られる、という自信はあった。

 ザックの中には、コンパス、地図をはじめフランスパン、水筒、懐中電灯、雨具など、山で基本的に
必要な道具は完備していたから、一晩ぐらいは迷っても大丈夫、という自信もあった。反対するHに
Wは「僕は帰るから」と宣言してUターンして歩き始めた。Hは「やめろ」といいながらついてきた。W
は「大丈夫だ、必ず道はある」といって前を進んだ。杉林の下に着くと、Wは、水筒に水をいれ、斜面
を登り始めた。始めは崩れやすいグズグズの斜面だったが、少し登っていくと踏み跡が見つかった。
さらに百メートルほど踏み跡をたどっていくと、立派な山道に出てしまった。眺めの良い地点で、Wは
立ち止って地図とコンパスを出した。現在位置を確かめたかった。

 かつてWは、新聞記者時代に営林道を間違ってたどって、日が暮れてしまい、真冬に幼い娘を連
れてビバークしなければならなくなって、遭難騒ぎになった父親を取材したことがあった。なんとか現
在位置を把握してから進みたかったが、大体この辺ということしかわからなかった。「これだけしっか
りした道だから大丈夫だろう。行ってみようか」などと、話しているうちに、その道を一人の中年の登
山者が降りてきた。

 Wは「二俣はこちらでいいのですか」と聞くと、その男は「そうだ」と無愛想にいって、スタスタと行っ
てしまった。HとWは、その後をたどっていくと沢の水の音がだんだん大きくなって、そのまま沢に出
てしまった。先ほど戦戦兢兢として登った沢だった。そしてその道は沢を横切って、反対側の尾根に
通じていた。断崖絶壁、陸の孤島、人外魔境と思われたその沢に、登山道がヒョイヒョイと通じていた
のだ。二人はなんだかキツネにつまされたような気がした。

 その道を下っていくと、十五分ほどでいきなりポンとキャンプサイトに出てしまった。オートキャンプ
の4WDが並んで駐車し、家族連れのキャンパーが、バーベキューをしている軟弱でヘイワな風景が
そこにあった。なんだオレたちはこんな近くで、死ぬの生きるのと騒いでいたのか。あまりにのどかな
リゾート風景と真夏の晴れ晴れとした太陽、青空のもと、両中年は言葉少なにトボトボとベースキャン
プに戻って行くのだった。

 猛暑といわれたある夏の日のかなり情けない冒険だった。(完)

1999.7.11 転載


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